33-4 共に過ごした日々 まれなる夢の中
イザベラの所属する三年
「わあ……アンジェ様、これは何をするところなんですか?」
リリアンが惚けた眼差しで見上げる先、
「ここは、イザベラ様の発明品を実験的に実用化したところなんですのよ」
「発明? イザベラ様、レーヴ・ダンジュ以外にも何か作られてたんですか?」
「ええ、そうよ……レーヴ・ダンジュも、この発明品があって初めて完成すると言っても過言ではないわ」
「ええーなんだろう……ドキドキします……」
アンジェとリリアンは手をつないだまま列に並んだ。二人のことをちらちら見てくる者がいないわけではなかったが、アンジェは気付かない体でリリアンのおしゃべりに耳を傾ける。
「アンジェ様、さっきの話の続きしてもいいですか? ……お名前は言わないので」
「ええ、どうぞ」
「私、その……てっきり、ルネティオット様だと思ってたんです」
リリアンはアンジェのみつあみの毛先を撫でながら困惑した表情を浮かべた。
「グレースさんもそうだと思ってて……それでもいい、それでも好きだってグレースさんは言ってたんです。好きな人の好きな人のことって、そうそう間違えないと思うんですけど……」
「そうねえ……」
「ルネティオット様の片想い、って感じでもなかったですよねえ?」
「……そうねえ……」
「だから、私、余計にびっくりして……ルネティオット様からお話を聞いても、ちょっと、信じられなかったって言うか……」
「……そう、ねえ……」
アンジェはだんだんと返事を曖昧にせざるを得ない。アンジェは二人が前世で夫婦だったと知っており、今世でも当然そうなのだろうと思い込んでいたのだ。それを知らないはずのリリアンやグレースでさえ二人が性別を超えた恋仲なのだろうと推測していた。だからこそイザベラとクラウスの仲は全くもって予想だにしない、それこそ寝耳に水、青天の霹靂と言って良かった。
「それに……ええと、アの人は、イの人のこと好きじゃないのに付き合ってたとか……そんなことするような人じゃないと思ってたので、それも信じられなくて……」
「……そうねえ……」
【彼はわたくしを見ているのではないの……だから、どうしても、手に入れたかった……あの人ではなく、わたくしを、わたくしだけを、見て欲しかったの……】
【己の欲一つ、消すことも制することもできない僕には、慕われるだけの価値がない……それでも僕は、あの人から目を逸らすことが出来ない!】
イザベラも、クラウスも、二人ではない誰かについて言及していた。涙ながらに苦しそうに吐露する様子はとても見ていられず、壊れてしまうのではないかと思うほど痛ましかった。クラウスには別の想い人がいる、イザベラは彼女にとって残酷なその事実を承知の上でクラウスの傍にいた。そのことは、イザベラが自身の思慕に気が付いていたことを、クラウス自身は知っていたのだろうか?
「……待って、リリィちゃん。それはルナから聞いたんですの?」
「え? はい、話して下さったときに聞きましたけど……」
待機列がじりじりと進むに合わせて二人も少しずつ移動する。リリアンは不思議そうな顔をしてアンジェの顔を覗き込む。
「アンジェ様はご存知なかったですか? 普通にご存知かと思ってました」
「……イの方からお聞きしていたのですけれど、それをルナが知っていることが意外でしたの」
「ですよね。イの人のことも全然分からなかったのに、更に別の人とか……」
リリアンの瞳が、少しだけ好奇心に輝く。
「でも、好きな人の好きな人にまた更に別の好きな人がいるとか……ラッキー、チャンスだ、って思っちゃうかもしれないですよね。そっちは無理だから、自分のところにおいでよって」
「……そうねえ……」
【そうだろうと、思ってたよ】
イザベラのことをルナに話してしまった時の、まるで老人のような、何もかも諦めたような微笑み。アンジェはそのまなざしを思い出して首を傾げ──ふと、リリアンの方を見た。
「リリィちゃん」
「うーん……あっごめんなさい、なんでしょう」
アンジェにもたれかかりながらわくわくと思索を巡らせていたらしいリリアンがぱっと顔を上げる。
「ルナは、アの人が想う方がどなたか、ご存知でしたの?」
「はい、だけど、名前は教えてくれませんでした」
「そう……」
ルナも思うところがあるのかもしれない。あるいはクラウスの私情に配慮したのかもしれない。アンジェは落胆してため息をついたが、リリアンは顔をしかめて首を傾げ、変なんですよ、と呟いた。
「なんか、紫がどうとか言ってて……」
「紫?」
「はい。紫が上だとか、フジツボだとか……」
「……何ですって?」
アンジェは聞き返し、生唾を飲み込もうとしたが、舌がうまく動かない。
「フジツボって海にいる奴ですよね? 私、海を見たことないから分からないんですけど……」
「フジツボに、……ムラサキノウエと、ルナは言ったの?」
「はい」
怪訝そうな顔でリリアンが頷く。握ったままの恋人の手を、アンジェは水に溺れて縋る木片であるかのようにきつく握りしめる。血の気が引いていく、動悸が止まらない、思考がぐるぐる回りながら一つの核心を形作っていく──
祥子の国で遥か昔から語り継がれていた、古典物語の傑作中の傑作。
やんごとなき生まれの主人公が、死に別れた実の母親に瓜二つだという父王の後妻に恋焦がれる。生涯にわたって女性にその面影を求め、彼女の血縁である幼い少女を理想の女性に仕立て上げ──
「アの人は、光る人なんだそうです。何なんでしょう、お父様のことなんですかね?」
(……ヒカルゲンジ……)
父王の後妻の名は藤壺。
理想の女性となる幼い少女は紫の上。
もしも、ルナの言うムラサキノウエが、イザベラを指すのだとしたら。
その血縁かつ父王の妻にあたる女性は、フェアウェル王国でただ一人しかいない。
「そんな……」
渦巻いていた疑問が実像を結んでいく。彼女の母親以上にイザベラによく似た、まるで彼女の姉のように若々しく美しい──王妃ソフィア。ソフィア・ヴィオレット・フォン・アシュフォード・フェアウェル。
「……アンジェ様?」
アンジェの手が、全身が震え出したのを肌で感じ、リリアンが顔色を変えた。アンジェの腕を引っ張り自分に寄りかからせるようにして、腰に手を回してその体を支える。
「アンジェ様……もしかして、今ので分かったんですか?」
「……ええ……」
心配と好奇心に見上げてくるリリアンのまなざしは、あまりにも無垢だった。クラウスが二度も忘却魔法を使い、アンジェの記憶から消そうとした理由が分かった気がした。だって、彼の母は、彼女と。いいえ、それ以前に、彼女は王妃で……いつから? クラウスは勿論誰にも話したりはしないだろう。物語でも、主人公はいくつもの秘密を墓場まで持っていった。そう、それは義理の母親と本懐を遂げてしまう展開も含まれているのだと、祥子は授業で習っていた……。
「……えっ……」
あの物語の主人公は、父王と後妻の間に生まれた子供が、父ではなく自分の子なのではないかとずっと悩み続けた。後妻から出自を明かされた子供は、兄であり父である主人公に王位を譲ろうとしていた。
(……まさか)
【クラウス兄上!】
無邪気に、少年のように異母兄を慕う、明るい太陽の化身のような王子。呼ばれた異母兄はいつも、温かく穏やかなまなざしで異母弟を見守っていた──彼は今、何歳だっただろう? 王位継承者がこの世に生を受けた時は、何歳だったのだろう? 彼らは、本当に、兄弟なのだろうか?
なぜ彼らは、王宮に参内を許されていないのか。
「アンジェ様? 大丈夫ですか、すごい真っ青です、アンジェ様?」
リリアンが必死にアンジェを支えている。アンジェはリリアンの肩に縋り付くようにして何とか立とうとしていたが、衝撃が胃の中を渦巻いて一気にこみ上げてくるようだった。口許を手で覆うと、自分でもはっきりとわかるほど冷たい。
「リリィちゃん……大丈夫……驚いただけよ……」
「でも……」
「少し、待ってちょうだい……わたくし……こんな……」
「待ちます、いくらでも待ちます、アンジェ様、医務室に行きましょう、アンジェ様」
「ええ……ごめんなさい……」
アンジェはリリアンに引きずられるようにして、待機列を離脱した。
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