32-9 誰某くんの恋人 つかまえローディー


 フェリクスのポケットから眺める世界は不思議な感覚だった。すれ違う生徒や来訪客は、アンジェ達に気が付いてギョッとする者もいれば、気付かずにすれ違うだけの者もいる。それでも気が付いた者は連れに話してちらちらとこちらを見てくるので、フェリクスにエスコートされて歩く時よりも更に騒がしいように感じた。見上げるフェリクスはいつもよりかなり真下からの角度だが、口角がほんのりと上がっていいるのを見るに、上機嫌な顔をしているのだろう。


「アンジェ様、すごいですね、すっごい高い!」

「そうね、身体の大きさが変わるだけでとても新鮮に見えるわ」


 ポケットから見える視界は、日頃のアンジェの視線と同じかやや低く、フェリクスが歩くのに合わせてゆっくりと上下する。だが下を覗き込むと途方もなく高く、フェリクスの制服が垂直の崖のように思えた。ほんのりと温かな胸板の向こうでは、大分落ち着いた心臓の鼓動が規則的に聞こえてくる。リリアンは本物の子リスのようにはしゃいでいて、きゃあきゃあ言いながらポケットから身を乗り出してきょろきょろしてばかりだ。身を乗り出しすぎて落ちそうになり、アンジェが悲鳴を上げるたびにフェリクスが笑いながらひょいとポケットの中に戻す。リリアンはけろりとしているがアンジェは気が気ではなく、最終的に後ろから抱き締めるような形で自分の前に固定することに成功した。アンジェと密着してリリアンは上機嫌だったので、うろちょろする弟を捕まえておく方法だとは言わないほうがいいな、とアンジェはひそかに思った。


 リリアンのクラス、一年牡羊ウィッダークラスの出展は、「つかまえローディー」という、モグラたたきのようなゲームだった。クラスで一人一つずつモグラにょうなぬいぐるみを作成し、いろいろな動きをするよう工夫した魔法をかけて教室内の迷路に放つ。そのモグラのことをローディーと呼んでおり、参加者は数人ずつ迷路内を走り回るローディーを叩いたり捕まえたりして、参加者内で一位になると景品がもらえる。生徒たちはローディーが捕まった回数を数えており、日計と文化祭期間中の集計で、一番捕まらなかったローディーを作った生徒がクラス内で優勝なのだそうだ。なかなかにトリッキーな動きをするローディーもいるようで、大人も子供も──というより老いも若きも男性、男子、男児が夢中になるらしい。教室の前にはそれなりに列が伸び、小さな子供が母親の手を引っ張って「もう一回!」と泣いている姿もあった。リリアンの作ったモグラは、モグラというよりはうさぎで、クラス内のランキングでは上位に食い込んでいるようだ。


「これは……わたくしもぜひ挑戦してみたいわ。フェリクス様、もとの大きさに戻っても良いでしょうか?」

「そうだね、趣向を凝らしたゲームのようだし、一緒に楽しもう」

「私もやる側で参加しますっ!」


 道すがら、リリアンからゲームの説明を聞いたアンジェとフェリクスはそう結論付けた。かくしてフェリクスは少し離れた廊下の端でポケットから小さな少女二人を取り出し、アンジェは二人の魔法を解除した。フェリクスが掌の上のまま解除していいと言ったのでそのようにしたが、彼はうまいことアンジェもリリアンも抱きとめ、二人が尻もちをつくことなく床に降ろしてやった。


「わあ、殿下、すみませんっ」

「ありがとう存じます、フェリクス様」

「なに、当然だよ」


 先日クラウスが魔法を解除した時はリリアンはまさしく尻もちをついた。王子の心遣いと、魔法が解除されてから落下するまでの一瞬で人間二人をその腕に抱く臂力にアンジェは感心してフェリクスを見上げる。視線の意味を王子が汲み取ったかどうかは分からないが、フェリクスはどこか得意げに微笑むばかりでそれ以上は何も言わなかった。


「うわあ、リリアンさん、殿下といらして下さったの!?」

「公爵令嬢までご一緒だわ!」

「みんなー! 次の回は殿下と公爵令嬢がご一緒だぞー!」


 いつかアンジェがリリアンを訪問した際、冷ややかな目線を送ってきたクラスメイト達は、アンジェ達三人が列に並んだのを見るや色めき立ち、きゃあきゃあと騒ぎながら様子を見に来た。リリアンがニコニコしながら一人一人をフェリクスとアンジェに紹介すると、みなそれぞれ頬を赤くしつつ大仰なまでの礼をしてみせる。


 リリアン曰く、冬休み明けの新学期、クラスメイトの何人かが今にも泣きそうになりながら声をかけてきたそうだ。クラスメイト達は、スウィート男爵から「リリアンをクラスで孤立させフェリクスの同情を誘え」と脅迫まがいの交換条件とともに要求されていた。かといって要求通りに卑劣な嫌がらせをするのも気が引け、互いに出方を伺っているうちに、クラスメイトが怪我や小さな事故に遭うことが相次いだ。それが男爵の仕業か、あるいはもっと違う力によるものなのかは分からないが、ともかく彼らは恐ろしくなり、出来るだけリリアンと関わらないように遠巻きにしていたのだという。だんだんとわが身可愛さよりも罪悪感が大きくなってきた頃、新年会でのスウィート男爵の自供とリリアンの涙は彼らの心を打った。自分より一つ年上の級友たちが涙ながらに頭を下げ、これからでもクラスメイトとして交流したいとの申し出に、リリアンも義父が迷惑をかけたと涙の謝罪をし、彼らの友情が始まった。


「リリィちゃん、みなさんと仲がよろしいのね」


 リリアンが書いた交換日記で経緯を知っているアンジェが微笑むと、リリアンも瞳を輝かせて何度も頷く。


「はい、文化祭の準備で、とっても仲良くなれました!」

「そう、それは良かったわ」

「えへへ、みんなといると楽しいです」

「何の話をしているんだい?」

「殿下、私のクラスメイトが……」


 ほどなくして順番が回ってきた。フェリクスが二人を愛でたお礼だと入場料を三人分払い、ローディーを捕まえるための虫取り網を受け取る。ローディー捕獲判定の魔法がかかっており、ローディーをうまく叩くか網で捕獲するかするとピカリと光り、その数がカウントされるのだという。


「あっ、いた、私のローディーあれです!」


 他の参加者と共に教室内の迷路に入ると、リリアンが遠くの方にいるローディーを指さした。うさぎのぬいぐるみを土台に製作したそうで、二足歩行のうさぎがその場で回転したりぴょこぴょこと飛び跳ねたりしている。


「まあ可愛い、あの子はわたくしが捕まえたいわ」

「捕獲の判定が出た後なら、他の人が捕まえてもいいのだろう? 僕もぜひ捕まえたいな」

「えへへ、お二人とも頑張ってください」

「それでは始めまーす、みなさま準備はよろしいでしょうかー?」


 合図とともに始まった「つかまえローディー」は思いの外白熱した。始めはアンジェもフェリクスも子供を相手にするように手加減して網を振っていたのだが、なかなかどうして個性的なローディーは捕まらない。リリアンのうさぎローディーは本物のうさぎのごとく素早く逃げ回り高く跳躍するし、他のローディーもハサミを振り回して網を切ろうとしたり、床が抜けて出来た穴に隠れたり、網に入れたと思ったら霧状に変化してすり抜けたり(網を縦にして押さえつけるようにすると霧を無効化できると後でリリアンが教えてくれた)、とかく十代の少年少女がいかに捕まらないかを全力で考えた、素晴らしくもくだらない仕掛けに翻弄される。アンジェが感心したのは網を構える高さで参加者が子供かどうかを判定しており、判定が子供の場合は、網を近づけたローディーの動きがこころなしか鈍くなる。リリアンは最初たくさん捕まえられたので大喜びしていたが、悪戯好きのクラスメイトがリリアンの網の設定を子供にしていたようだと分かると「またちびっ子扱いして!」とぷりぷり怒っていた。


「終わりでーす! 優勝はセルヴェール様!」

「きゃあ、やったわ!」


 いつしか没頭していたアンジェは見事優勝し、景品の「つかまえローディー・ミニ」をもらうことが出来た。手のりサイズのローディー人形が、今のゲームのローディーたちよりもう少し穏便な動作で逃げ回るのだという。


「まあ可愛らしい、妹や弟と遊んだら楽しそう」

「アンジェ様すごいです! 歴代一位の成績ですよ!」

「まあ、そうなの? つい熱が入ってしまったわ」

「さすが僕のアンジェだね、素晴らしい網裁きだった」

「そんな……フェリクス様に叶うはずがありませんわ。わたくしに華を持たせてくださったのでしょう?」

「はは、どうだろうね」


 フェリクスはニコニコしているが肯定も否定もしない。


「君の反射神経と決断までの速さは素晴らしい才能だと思う。僕は目を見張るばかりだよ」

「そ、そうかしら?」

「私も殿下と同じです、すごいと思います、アンジェ様!」

「きゃっ」

「リリアンくん……また……!」


 いつものようにリリアンがぽふりとアンジェに抱き着き、フェリクスがそれを見て色めき立ち、アンジェはつかまえローディー・ミニをポケットにしまいつつ二人をたしなめたのだった。




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