31-3 文化祭《ローゼン・フェスト》 前日のお茶会
文化祭前日の休日、アンジェは急にフェリクスから呼び出しを受けた。リリアン達と共にアカデミーでお菓子クラブ出展ブースの飾り付けを確認しているところだったアンジェは、顔見知りの秘書官と、渡されたカードのフェリクス独自の色である高級インクの緑色を見て色めきたつ。事前に伺いを立て、入念に準備をして完璧にアンジェをもてなすのが好きなフェリクスにしては、不意打ちに近い。よほどのことがあるのかと秘書官に確認したが、彼も内容は聞かされていないようで要領を得ず、フェリクスも今こちらに向かっているのでカフェテリアの貴賓室にて待つようにとだけ言われた。アンジェはリリアンも帯同すべきか悩んだが、カードには何も書かれていない。結局本人に聞くと、一緒に行きたいと言ったので、飾り付けは他の面々に任せ、二人で貴賓室に向かった。
いつもの貴賓室に着いて、事情を聞いていたメイドによって部屋に通される。何の準備もされていないテーブルに慌ててクロスがかけられ、花やカトラリーが整えられていくのをリリアンと眺めているうちに、秘書官がフェリクスの到着を告げた。
「ご機嫌さん、お嬢!」
秘書官が下がるよりも先に部屋に飛び込んできたのは、錦鯉を思わせる小柄な身体でふわふわと浮かぶ、聖剣ディヴァ・ブレイズだった。
「あら……まあ、ブレイズ様! ご機嫌よう、ご無沙汰しておりますわ」
「堅苦しい言い方せんとって、あっセレナもおる! こら話が早くてええわ」
「ブレイズ様、こんにちは」
「セレナは今日も可愛いわあ〜、何やそんなくりんくりんの目ぇして! 元気しとったん?」
「えへへ、文化祭準備でてんてこまいです」
リリアンが嬉しそうに笑いながらブレイズに近寄った瞬間、アンジェの全身にぞくりと悪寒が走る。
──目!
脳裏に響く声にアンジェは咄嗟ににライトニングダッシュを発動させ、蝿を払うように右手を振る。その手が丁度、飛びかかったフェリクスのアンジェの眼球めがけた一手を払いのけた。アンジェとフェリクスの目線が交錯し、フェリクスは唇を引き結ぶ。その瞬間アンジェは左腕を払い、それが喉を目掛けた王子の第二撃を防いだ。
「ごめんなさいっ!」
重なる予感にアンジェは焦り、フェリクスを突き飛ばしてリリアンへと手を伸ばす。フェリクスの肩の影から、グレーのポニーテールが残像のように尾を引いているのが見える。ルナだ、ルナは見えていても間に合わない!
「リリィちゃん!」
アンジェが叫ぶのと、ルナが鉛筆をリリアンの喉元めがけて突き出すのと、リリアンがそれを魔法壁で防ぐのはほぼ同時だった。鉛筆は衝撃に耐え切れずにバキンと折れる。残骸が床に落ちるか落ちないかの頃、アンジェの手がリリアンに届く。アンジェはリリアンを自分の背後に押しやると、目の前の二人をぎろりと睨み上げた。
「──何の冗談ですの?」
「……驚かせたね、アンジェ」
フェリクスがにこりと微笑む。アンジェもそれにつられて緊張が解け、手を下ろし──咄嗟にリリアンごと後ろに下がると、ルナの更に背後から扇子が飛んできて、一瞬前まで二人がいたあたりを通って床に落ちた。貴賓室とカフェテリア二階の間の前室の中で、扇子を投げた姿勢のままのノブツナが目を見開いて感嘆の声を上げる。
「……儂にまで対処するとはな。やるのう」
「言ったでしょう、おじい様、アンジェはもう一端の剣士と遜色ないと」
「ほんまや、もはや付け焼き刃とちゃうね」
「本当に驚いたよ。まるで別人じゃないか、アンジェ」
「あの……」
アンジェは戸惑いながらリリアンを引き寄せる。怯えて自分を見上げるかと思っていたリリアンは、厳しい面差しで両手を顔の前あたりに構え、静かに室内を観察し続けている。それに気押されてアンジェも再び身構えるが、その様子を見たノブツナがニヤリと笑った。
「セルヴェールさん、スウィートさん。驚かせて悪かったね。もう何もしないよ」
「…………」
リリアンはノブツナをじっと見ているだけだ。
「だからこの魔法障壁を解いてくれないかね」
「……分かりました」
リリアンがゆっくりと手を下ろすと、ぱち、と薄い膜が弾ける音がした。ノブツナはやれやれと苦笑いしながら入室し、リリアンはぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい、お会いするのが久しぶりなので、本物かどうか分からなくて……」
「うむ、感心感心。さすがはセレネス・シャイアン殿」
「えへへ、ありがとうございます」
リリアンの笑い方はいつもの幼さの残るものに戻り、隣のアンジェの腕にきゅっとしがみつく。
「アンジェ様、すごいです、カッコよかったです!」
「まあ、そう? わたくしただ必死で……」
アンジェはリリアンの手に触れようとしたが、その指先が震えていた。リリアンはゆっくり瞬きしつつアンジェを見上げ、自分に差し出された手をしっかりと握る。傍で二人の様子を見ていたフェリクスが、リリアンに断りを入れてアンジェの身体を支え、手近な椅子に座らせてやった。リリアンは少しばかり頬を膨らませ、アンジェの隣に自分で座る。
「それで、何なんですか、急にアンジェ様のこと呼び出して、酷いことして……」
「ごめんよアンジェ、リリアンくん。落ち着いてから話そう。お茶を用意させるからね、リリアンくん、君の好きなミルフィーユも一緒にどうだい」
「ミルフィーユぅ……? それって、殿下、前にアンジェ様が仰ってた、バタークリームの……?」
「ああ、そうだよ、気に入ってくれるかな」
「バタークリームのミルフィーユぅ……」
リリアンはあっさり機嫌を直して目を輝かせた。フェリクスが茶菓子を用意する時は、相手が気に入っているからと言って毎回同じ品を用意したりしない。相手の好みを踏まえつつ、少し珍しかったり、意表を突いたりするようなものを絶妙に探し出して用意している。今日この会の茶菓子が、機嫌を損ねたリリアンが好きなものだということは、フェリクスには彼女が機嫌を損ねるというところまで予測済みということだ。つまりアンジェにとっては急な呼び出しでも、フェリクスはいつも通り用意周到に準備していたということでもある。
(だとすると)
(わたくしは、また、何かを試されたのね……)
アンジェが震える手を握り締めて思考を巡らせている間に、メイド達が瞬く間にお茶の用意をした。アンジェのリリアンとは反対の隣にフェリクス、更にその横にノブツナ、ルナと続き、ブレイズはノブツナの肩の上にちょこんと座るような形になる。よくよく見ると僅かに浮いているのだが、ブレイズはノブツナの肩の上で嬉しそうにニコニコしていた。お茶の準備が整い、ミルフィーユが運ばれてきて、リリアンが歓声を上げてひとしきり観察と実食を終えたころ、フェリクスがアンジェを見てにこりと微笑む。
「さっきは驚かせて済まなかった、アンジェ。落ち着いたかい」
「ええ、おかげさまで」
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