30-8 まなざしが含む熱 アンジェを夢見て
朝練が終わりクラスルームに到着すると、アンジェはリリアンから受け取った封筒を取り出した。文化祭の出店申請にしては紙の枚数が多いような気がして何枚かめくってみると、出展申請の後ろに、事業計画書のようなものが添付されていた。おやと思いアンジェはそちらから目を通すことにする。
それは、アンジェやリリアン、イザベラのような年齢の少女に向けたアパレルブランド立ち上げの計画書だった。デザインと機能監修の筆頭にイザベラの名前があり、国内でも有数のデザイナーの名前がその後に続く。アンジェがいずれ経営することになるル・ポン・ドゥ・リューズの筆頭デザイナー、クリスティーヌ・ルヴィエールの名前も当然のようにそこにあった。計画書の後半には、昨年度の売上推移も書かれている。
(もう、市場に出ているブランドですの……?)
不思議に思ってブランド名を確認する。「レーヴ・ダンジュ」。天使を夢見て。聞いたことのない名前に首を傾げながら、事業計画書の詳細に目を通していく。十代の少女をメインターゲットに据え、華奢な体型をより魅力的に見せる下着類が主力商品のようだ。ウェストを引き締めることが主目的のコルセットを使わず、だがコルセット使用時以上に小さな胸を奇跡のように盛り立てることができる、斬新な形の胸当て。ゆったりと腰を覆うドロワーズではなく、尻にぴたりと密着する形の下履き。それはこの世界ではとても斬新だが、アンジェには──安藤祥子には、とても見慣れたものであった。
(ブラと……ショーツだわ……)
メインは下着であるが、丈が短めのワンピースやセパレートスタイルのブラウスやスカートなども展開を始めており、いずれも売れ行きは好調らしい。実店舗はまだなく、完全招待制の秘密販売会でしか流通させない方針のようだ。自分の体型に悩む少女から少女へと口づてに評判が広まり、イザベラはその発案者としてカルト的な人気を持つことが、資料から伺い知れた。アンジェはいつかのお茶の席でイザベラがリリアンを連れて行った日のことを思い出す。何か必死な様子でイザベラの話に食いついたリリアン。戻って来た時、妙に誇らしげだったリリアン。日頃からアンジェに親愛を示すリリアンとイザベラだが、アンジェの特定の──補正など必要のない完璧なバストラインを、獲物を狩るような目線でじっ……と見つめていたこと。
(……メロディアさん……)
異世界転生した者が前世の知識を生かして商売を始めることは、物語の中ではよく見かけた。ゴスロリブランドの店員だったメロディアが、その知識をもとに始めたブランドだと思うと、実にしっくりと来るものがある。
予鈴が鳴り授業が始まるとさすがに資料をしまったが、休み時間にはすぐさま取り出して続きに目を通す。文化祭の出展計画では、レーヴ・ダンジュとフェアウェルローズ・アカデミーの服飾部が合同でファッションショーを開催するらしい。出展作品は殆どが服飾部の作品だが、ショーの目玉としてレーヴ・ダンジュの新作披露も為されるようだ。
新作を纏ってランウェイに立つのは、リリアン・セレナ・スウィート。
そして──イザベラ・シュテルン・フォン・アシュフォード。
「…………っ」
アンジェは驚きの余り声が出そうになり、慌てて自分の口許を手で覆った。リリアンがモデルで出ることは何となく予想がついていたが、まさかイザベラもとは。下着の新作だということは、二人ともあられもない姿を人前に晒すということなのだろうか? あの気高い王女が玉の肌を市井に晒すなど、彼女の誇りよりも営利のほうが勝ったということなのだろうか? リリアンもそれに説得されてしまったのか?
「…………」
アンジェは動揺する心を抑えきれぬまま出展計画書をめくった。次の項には招待予定の人物の一覧が書かれていた。有名デザイナー。豪商。国王夫妻。フェリクス。アンジェ。自分の名前を見つけたが、まだアンジェには招待どころかブランドの存在も知らされていない。もうそろそろ招待状か何かが届く手はずだったのだろうか? 指でなぞりながら更に一覧に目を通し──、その指が、あるところで、動かせなくなった。
クラウス・アシュフォード。
「……イザベラ様……」
典雅の化身と言われたイザベラの微笑みが、かつてのメロディアの立ち居振る舞いに重なる。少女のようにも、円熟した熟女のようにも振舞うことが出来た、生粋のコスプレイヤー。彼女はどんな時も完璧を自分に求めたが、彼氏──のちの夫のユウトのことを話す時だけは、どこか無邪気に頬を染めた。顔立ちが良くスタイルも優れていたメロディアは、勤務先のゴスロリブランドの自前モデルとして雑誌やSNSに載ることもあった。ねえショコラちゃん、今月号のコーデ見てくれたかしら? ユウトは何も言ってくれないの。どんなのが好きだと思う? これはちょっとエッチすぎるかな……?
(……イザベラ様も)
想い慕う人が、自分の姿を見に来てくれるだろうかと。
いつもより大胆な衣装を身に纏えば、彼の気を引けるかもしれないと。
「…………」
インクはイザベラの筆跡だった。持ち主によって色が変わる高級インクは、イザベラを表す鈍い金色に変色している。彼女の指先が確かにこの名前を書いた。想い人クラウス・アシュフォードの名を、確かに書き記したのだ。イザベラはどんな心地でペンを走らせたのだろう? どんな表情で、書き終えた名前を眺めたのだろう──
(イザベラ様……)
王宮の自室の中で、アンジェのスカラバディは何を思っているのだろう。
(……承知いたしました、イザベラ様)
(リリィちゃんの頼みもありますし……アンジェリーク、微力ながら、お力添えさせていただきます)
アンジェは机の上にひじをつくと、組んだ掌の上に額を押し付ける。腕と胸の間に深々とため息をつくと、その下の事業計画書が微かに揺れた。
(……イザベラ様……)
ぽつりと落ちた水滴を、アンジェは慌ててハンカチで拭ったのだった。
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