第28話 文化祭に向けて
28-1 文化祭に向けて にゃんじぇ
ここしばらく、リリアン・セレナ・スウィートの機嫌が良い。
誕生祝賀会の夜が明けると、アンジェはルナの爆笑で目を覚ました。あたりを見まわすと、隣には同じく寝ぼけ眼のリリアンがいて、ルナは椅子からベッドに飛び込むようにして突っ伏している。その先には泣き腫らした顔そのままのフェリクスが無様に座り込んでいて、顔を真っ赤にして何かもごもごと言い訳を言おうとしていた。アンジェはひとまず目をこすっている寝間着姿のリリアンに布団をかぶせ、フェリクスに隣の部屋で待機するように言い渡し、リリアンと自分の身なりを簡単に整えた。整えたと言っても寝間着の上からガウンを羽織り靴下を履き、顔を洗ってぼさぼさの髪をかるく櫛で梳いただけなのだが、それでもそわそわした気分は落ち着いた。リリアンの寝間着はおそらく王宮に用意されている客用の簡素なもので、ちらりと見える鎖骨や裸足のままの足先など、アンジェ自身も目のやりどころに困ったので、それをフェリクスが見るなどもっての外だと思った。アンジェがリリアンにガウンを着せてやり、せっせとストロベリーブロンドを整えているのを、リリアンは紫の瞳をくりくりさせてずっと見上げていた。
改めて入室したフェリクスは、アンジェとリリアンが揃いのガウンを着て並んでいるのを見るや、大きなため息とともに天を仰いだが、すぐに面差しを正し、別室で朝食を食べるよう三人を招いた。来客用の食堂にはエリオット、イザベラ、クラウスもおり、エリオットはまだ疲労の抜け切らぬ顔、イザベラは不機嫌そうな澄まし顔、クラウスは沈痛な表情だった。アンジェに出されたのはかなり柔らかくふやかしたオートミールで、優しい味付けが五臓六腑に染み渡るようだった。食事がてら、フェリクスは改めて事の顛末を説明する。アンジェ以外はその場に立ち会っていたし、アンジェもルナから聞いてはいたが、フェリクスの父王への激しい感情を伴う物言いが、彼の怒りの深さ強さ重さ鋭さをありありと伝えた。食事が終わり客室に戻る段になると、アンジェは眩暈を起こしてその場にへたり込んでしまい、フェリクスがアンジェを抱え上げて運んだ。リリアンはフェリクスの横をちょこちょこと歩いてついてきて、心配そうにアンジェの顔を覗き込み、その服の裾を遠慮がちに握りしめていた。
アンジェは眩暈が収まらず、日中は殆どベッドで横になって過ごした。ルナがアンジェの横で大の字になって眠りこけ、その代わりなのか、フェリクスとその護衛が一日中室内に滞在した。昼頃にはセルヴェール家から父、母、兄が見舞と称して訪問し、父は複雑な顔で、フェリクスは悲壮極まりない顔で飽くことなく美辞麗句のやり取りをした。母は自分より背の高い娘を抱き締めてさめざめと泣き、無事で良かった、と何度も繰り返した。リリアンは客室の隅で一同をちらちら見つつ、もらった紙と筆記用具で書き取りの練習をしたり、ミミちゃんを出して何やら小声で話しかけたりしていた。両親はアンジェの帰宅を希望したが、フェリクスは拒み、リリアンも眩暈がするうちは自分と一緒に王宮にいるのが一番安全だと後押ししたので、二人してしばらく滞在することになった。驚き慌てふためくアンジェを見上げ、リリアンはニコニコと笑っていた。
「おはようございますっ、アンジェ様!」
眩暈が収まり、セルヴェール家に帰宅し、そこでも三日ほど療養してからようやく登校を再開した。部長のガイウスにこれまでの欠席を詫び、また朝練と放課後の部活動に参加を始めた。アンジェが参加するとなると、フェリクスも朝練は毎日必ず顔を出す。鍛錬の内容は相変わらずアンジェには悲鳴を上げたくなるような酷なものだったが、鍛錬している時間だけでも考え事をしたくなくて、ひとつひとつに無心で打ち込んだ。そうして汗だくになって朝練が終わるころになると、剣術部の部室の前で、上機嫌なリリアンがニコニコと待っているようになった。
「アンジェ様、今日もお疲れさまでした、お加減はどうですか」
「おはようございます、リリアンさん。おかげさまで大分いいわ、夜もよく眠れましてよ」
「うふふ、良かったです!」
「おはよう、リリアンくん」
「おはようございます、殿下」
嬉しそうにアンジェと手をつなぐリリアンに、フェリクスも気安く声をかける。それは彼の今までのアンジェに対する態度と比べると、やはり婚約者に対するというよりはクラスメイトや後輩に対する態度と言った方が二人の雰囲気に合っている。おそらくフェリクスはそのあたりを明確に区別しており、アンジェに対しては今までよりも更に過剰にエスコートするようになった。アンジェはその度に断ろうとしたがことごとく失敗に終わり、恐る恐るリリアンの方を見るが、リリアンは先日のように目くじらを立てるわけではなし、ニコニコと二人の様子を見守っているのだった。
「……まあ、お前が不審がるのも、子リスがニヤついてるのも分かる」
アンジェがルナに尋ねると、ルナはニヤニヤしながらそう返してきた。お菓子クラブの活動日、かつ剣術部の部活が休みの日、ルナと二人して部室に行くも到着が早すぎたため、部室で時間が過ぎるのを待っていた頃合いだ。
「ルナ……分かるなら教えて下さらない? わたくしのことを見限ってしまわれたから、やきもちを妬かなくなってしまわれたのかしら……」
「お前らはいい加減、自分らで話すようにしろよ、にゃんじぇ」
「話してますわ、交換日記だって続いているし」
「部活の行き帰りに歩きながらする他愛もないやつを話すとは言わんぞ、にゃんじぇ」
「そうですわよね、やはりしっかり時間をとってお話ししてみないことには分かるものも分かりませんわね」
「その意気だぞ、にゃんじぇ」
「……さっきから何なんですの、その呼び方」
「子リスに聞いてみろ、にゃんじぇ」
「もう……」
ルナは笑いをこらえきれずに椅子からひっくり返りそうになるばかりだったので、アンジェはあきれ顔でため息をつくしかなかった。ほどなくしてリリアンやお菓子クラブのメンバーも集まり始めた。みな祝賀会の事件についてはよく知っていたがアンジェとリリアンを大層心配していたようで、アンジェが無事なことと、リリアンが元気そうなことをとても喜んだ。テーブルを寄せて会議仕様にし、リリアンが試作を兼ねて焼いたのだというクッキーを振る舞い、魔法コンロで湯を沸かしてお茶を入れ、簡単なサロンのような様相となった。
「文化祭での出展用の書類は、シャイアと一緒に仕上げましたわ、念のためアンジェ様とリリアンさんにお目通しいただけば、もう提出してしまおうと思います」
文化祭担当、水色みつあみのシエナ・ウィンスローが手許の紙を覗き込みながら話す。
「私は他のクラブのお友達に聞いて、文化祭の準備をどのように進めているのかを聞いてきましたの」
シエナの隣で、紺色おかっぱのシャイア・モーニングスターがどこか困ったような顔で続けた。
「どのクラブでも、卒業生の方々に寄付などのご支援をいただいているようなんですの。ですから出店の中身もですけれど、飾り付けなども豪華になさるクラブが多いそうですわ」
「私の昨年の記憶でも、どこを覗いても華やかで楽し気な雰囲気でしたわ……昨年はお祭りの気分を楽しみながら見て回るだけでしたし、その出所など考えもしませんでしたわね」
「飾り付けですか……」
シエナの言葉にリリアンが首を傾げる。
「他のクラブは、どんなもので飾ってるんですか?」
「確か……部活の道具を飾ったり、花かごをたくさん並べたり……」
「豪華な刺繍が入った横断幕を掲げているところもありましたわね」
「魔法クラブですわよね、マギーさん! 素敵でしたわ」
「ええ、そうよ、エリンさん。あれは目立っていましたわ」
「横断幕……刺繍……」
リリアンはますます首を傾げ、顔もしかめ面になった。
「アンジェ様、そこは、お金をかけないといけないところなんでしょうか……?」
「どういう意味ですの、リリアンさん?」
尋ねられたアンジェが聞き返すと、リリアンは姿勢を真っ直ぐに戻しつつ隣のアンジェをじっと見上げる。
「シルバーヴェイルの頃、いろんな宣伝をお店でやりましたけど……あんまりお金をかけると、小麦粉が買えなくなっちゃうので、いろいろ工夫してました。すごくおっきいパンを焼いて、切り分けパーティーをするよとか、似顔絵パンを作ってみようとか。今日はパイしか焼かない日、とか。お花は飾っても、私が摘んできたやつで……旗みたいなのも作りましたけど、そんなたいそうな布じゃなくて」
リリアンはえへへ、と笑いつつ、どこか自信がなさそうに視線を落とした。
「シルバーヴェイルでは、割と評判で……でも、フェアウェルローズでやるには、やっぱりちょっと、安っぽすぎますか?」
「いいえ、とても素敵だと思うわ、リリアンさん!」
アンジェは瞳を輝かせてリリアンの手をがしりと掴み、興奮を抑えきれないまま何度も頷いて見せた。
「お菓子クラブは創立したばかりだもの、お金が足りなくなるのは致し方ないことですわ。有志の方からの寄付金はありますけれど、それを文化祭のためだけの飾り付けに使ってしまうのは、寄付をしてくださった方のご意志にそぐわないと思っていましたの」
アンジェの言葉に、他の令嬢たちも楽しそうな顔で頷く。
「とても大きいパンを切り分けるなんて楽しそう! 自分で切っても良いものなの?」
「あの、ええと、そうですね、パン切りナイフを使ってもらって、切ってもらってました」
「その場で食べたりしたら美味しそうですわ……お菓子なら、特大パイやケーキを切り分けるなどが出来そうですわね!」
「みながてんでばらばらに切り分けたら、見た目がぐちゃぐちゃになってしまわない?」
「旗などは手作りしても良いんですのね!」
にわかに議論が活発になり、飾り付けのアイディアが次から次へと湧いてきて、シエナとシャイアはみなの意見を取りまとめながらお菓子クラブ用のノートに簡潔に書き記した。リリアンは初め照れているばかりだったが、装飾に使えそうなお菓子のアイディアを出してみる、と張り切り始めた。
「たくさんのご意見が出て嬉しい限りですわ!」
「魔法クラブのお友達から、文化祭の出展について、卒業生の方とお話しする機会に同行しても良いと仰っていただいていますの。シエナ様とご一緒に参加させていただくつもりです」
「まあ、素敵、お二人ともありがとう存じます。良いお話をたくさん聞いていらしてね」
「はい、アンジェ様!」
「お任せください!」
アンジェが二人に向かって微笑みかけるのを、いつの間にかリリアンがじっと見上げていた。アンジェがそれに気が付いてリリアンのほうを見る。視線がぱちりと重なると、リリアンは嬉しそうに、上機嫌に、ふふふと笑って見せたのだった。
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