27-4 視線
「僕たちからの贈り物です、フェリクス殿下」
クラウスがサイドテーブルに置かれたものを手で指し示すと、それを見たフェリクスはうわあ、とらしからぬ──あるいは彼本来の年相応な歓声を上げた。
「良いのですか、兄上!」
「毎年同じものですよ」
「中身は違うでしょう……!」
置かれていたのは一つ一つに丁寧に緑色のリボンがかけられた本だった。全部で十冊ほどだろうか、銀盆の上に背表紙が見えるように並べられているのを、フェリクスは一つ一つ手に取って幼い子供のように目を輝かせている。
「こんなにたくさん……良いのですか、兄上! どれから読めばいいのか迷ってしまうな」
「気負わず好きなものから読みなさい」
「はい……はい……!」
手に取った本のリボンをほどき、中を開いてパラパラとページをめくるフェリクス。クラウスは柔らかに目を細めてその様子を眺め、オリヴィアも応接ソファに座り直しながら兄弟の様子をニコニコと眺めている。
「……アンジェ様、あの本は何ですか?」
「俺も知りたいです」
親子と同じ顔でニコニコしていたアンジェの横にリリアンとエリオットがつつつとやって来てこそりとアンジェに尋ねた。アンジェは微笑みを通り越して顔がにやけてしまいそうになるのを、両手で頬を押さえながら誤魔化し、小さく咳払いをする。
「あれはね、冒険小説ですのよ」
「小説? 殿下は小説もお読みになるんですか?」
「ええ、ご趣味のおひとつよ。アシュフォ―ド先生がお読みになって面白かったものを選りすぐって、ああしてプレゼントなさるのよ」
「へえー……」
「あんなにたくさん、太っ腹っスね」
「ほんとだね、装丁も立派」
この世界、この時代の本は、祥子の知る活版印刷に準ずる技術が発明されたことで手に入れやすくなり、飛躍的に普及しつつある。しかしてそれでもそれは特権階級・知識階級に限られたことで、活字に触れずに一生を終える平民もまだまだたくさんいる。本一冊が平民の一ヶ月分の平均的な給金と同程度のため、会員制の図書館や貸本屋によって本や読書の習慣が広がりつつある。アンジェやクラウスのようにたくさんの蔵書を個人で抱えているのは富裕層の贅沢な道楽でもあるのだ。
(ああ……リリアンさんもアンダーソンさんも、淡白な反応だわ……)
アンジェは内から萌え出ずる衝動を持て余し、自分で自分の肩を抱いて悶える。
(ゲーム内の
(このプレゼントは、なかなか会えなくても同じ物語をたどることでアシュフォ―ド先生のお心に寄り添いたい、そんないじらしいフェリクス様のお気持ちの表れなのよ!!!!!!!)
(ゲームにはそんな描写は無くて、子供の頃にお二人で絵本を読むスチルがあっただけだった……)
フェリクスはにこにことクラウスに話しかけ、本のタイトルやあらすじについて質問攻めにしている。クラウスも穏やかながらもどことなく嬉しそうに微笑み、丁寧に一つ一つ応えてやっている。年齢が違う、髪の色が違う、与えられた家名すらも違う二人だが、同じ緑色の瞳をしている。同じものを手に取って、同じ物語に思いを馳せて、同じように微笑みながら共に語らう──
(ああ、なんて素晴らしい兄弟愛……!)
(去年……初めて目の当たりにした時は、失神するかと思ったわ……)
(祥子、ゲームの外にも、こんなにも尊い出来事があるんですのよ……!)
(凛子ちゃんが見たら何と言うでしょう……!)
「アンジェ様、もしかして具合が悪いですか? 苦しそうなお顔……」
「大丈夫、大丈夫なのよ、リリアンさん……その……」
アンジェは嫌な予感がしてハンカチを取り出しつつ、心配そうなまなざしで顔を覗き込んでくるリリアンの両肩に手を乗せてぶんぶんと首を振る。
「出自の違うお二人が、仲睦まじくなさっていることに……ええと、感極まってしまって……」
「ふうん? そういうものですか?」
(そういうものなの……! そういうものなのよ、リリアンさん……!)
(ああ、もどかしい……! 誰かとこの尊みを分かち合いたい……!)
リリアンが無邪気に首をかしげたところで、応接室の緞帳の向こうから、イザベラ王女殿下がお見えです、と振れの声が聞こえた。アンジェがばっと顔を上げると、ちょうど緞帳が引き上げられ、淡い水色のドレスを纏った、今日も完膚なき姫ぶりのイザベラと──
「失礼。こちらにアシュフォ―ド先生がお見えだと伺ったので、姫御前と挨拶に参ったのだが」
髪色と同じグレーのモーニングを見事に着こなし、完膚なき男装の麗人と化したルナが現われた。
「わあ、ルネティオット様、カッコいい!」
リリアンが歓声を上げるとルナはにやりと笑い返してみせる。ルナは芝居がかった動作でイザベラをエスコートしていて、二人は顔を見合わせると、ニヤニヤしながらアンジェの方をじっと見てくる。
「ルナッ……イザベラ様っ……!」
「ご機嫌よう、アンジェちゃん」
アンジェは飛び上がらんばかりに驚くと、二人のもとに駆け寄ってそれぞれの顔を見比べ、ルナの両腕を掴んでがくがくと揺さぶった。
「ふぇっ……! ふぇっ、く……ら……! あ、アシュ……本! 本が……! 並んで……! お分かりかしら! 大変なの……!」
「おうおう、想像通りだな
「ルナぁ~~~~」
「そんな頃合いかと思って、アンジェちゃんの様子を見に来ましたのよ」
「イザベラ様ぁ~~~」
「アンジェ様、やっぱりお身体の具合が良くないんですか!?」
意味不明な言語ばかり口走るアンジェを見てリリアンは顔色を変えてアンジェに取りすがった。アンジェの肩に手を置いて背伸びをすると、砂糖菓子のように白く滑らかな手でアンジェの額を覆う。
「り、リリアンさん!?」
一秒。二秒。しっとりとして少し冷たいリリアンの手。首をかしげながらリリアンが手を離すのと、真っ赤になったアンジェがくたりとその場に座り込むのはほぼ同時だった。
「ちょっと熱いですねえ、私心配ですアンジェ様」
「ルナ助けてわたくしもう無理、召されてしまいますわ無理むり無理ムリ」
「おうおう災難だなそこに座らせてもらえ、殿下がまたやかましいぞ」
「あっアンジェッ!? どうしたんだ、具合が悪いのかい!? 今すぐ僕の典医に」
「大丈夫ですわフェリクス様……大丈夫ですから!」
「アンジェ様、お熱なんですから無理しないでください、私だとアンジェ様を抱っこできないので殿下に譲って差し上げます」
「ほらリリアンくんもそう言っていることだし、行くよ」
「そこ……そこな応接椅子で大丈夫ですから! 後生ですわ!」
「駄目だよアンジェ、万一と言うこともあるだろう」
「お願いです、後生ですから、殿下! フェリクス様!」
「殿下、殿下、大丈夫だ、降ろしてやれ」
座り込んだアンジェに目ざとく気が付いたフェリクスが慌てふためいてアンジェを抱え上げ走り出そうとしたが、アンジェが必死に訴え、ルナも肩を震わせながら引き留めたので、フェリクスは至極不満そうながらもアンジェを応接セットの椅子に座らせた。リリアンは給仕に頼んでレモネードをもらうと、フェリクスとは反対側からアンジェに手渡す。
「アンジェ様、どうぞ、少しでも飲んでください」
「ああ……アンジェ……君は最近いろいろなことを頑張りすぎだよ。それで健康を損なったら本末転倒じゃないか。どうか自分を大切にすると、僕と約束しておくれ」
「そうです、アンジェ様、無理しちゃ駄目です」
「セルヴェール、具合が悪いなら無理をしないように、貴女はここしばらく体調がすぐれないことが多いですから」
「ほら、兄上もそう仰っているよアンジェ」
「そうですよアンジェ様」
「ルナ助けて……寿命に来る……尊みと可愛いの合わせ技で寿命に来ますわ……」
「済まん無理だ面白すぎる」
リリアンは心配そうに瞳を潤ませてアンジェにぴったりと寄り添い、アンジェを抱き上げて降ろした時のまま肩を抱いているフェリクスを上からクラウスが覗き込んで兄弟二人してうんうんと頷き、アンジェは赤面して両手で顔を覆い、それを見たルナが爆笑した。一連の様子をものすごく何か言いたそうな顔で眺めていたエリオットは、ルナの肘のあたりをつんつんとつつく。
「……先輩、聞いていいっスか」
「おう、どうした、少年」
「この茶番、いつまで見なきゃいけなんスかね」
「ぶぶっ!」
仏頂面で半眼のエリオットの物言いに、ルナは盛大に吹き出す。
「さあな、ほっといたら三日くらいこのままなんじゃないか?」
「普通にダルいっスね……」
「そういう物言いは嫌いじゃないぞアンダーソン」
「それからなんで先輩はモーニング着てるんスか、この前のきんきらの平たい奴は着ないんスか」
「おう、これか。姫御前のご要望でな、虫よけだ」
「ふーんほーん、先輩がその格好だと俺が霞むんで俺の隣に来ないでもらっていいっスか」
「ほう、じゃ、お前が女装して来いよ、凛々しいルナ様が存分に可愛がってやろう。そうしたら最高に目立つこと間違いなしだぞ」
「ハァ!? ……えっ?」
「ルナやめてこの場に男の娘まで持ち込まないで!」
アンジェが叫び、ルナは再び爆笑し、エリオットは赤くなったり青くなったりし、フェリクスは未だ最近のアンジェがどれだけ自分の健康をないがしろにしているかを切々と訴え、リリアンはアンジェの二の腕あたりにきゅっとしがみついてた。それらすべてを遠巻きに──扇子で口元を隠して眺めていたイザベラが、応接室の奥に立つ二人に目線を送る。アンジェの周りのカオスからいち早く脱したクラウスは、母親のオリヴィアが応接椅子になよやかにもたれている脇に立って、弟たちの様子をニコニコと眺めていた。オリヴィアの目線がイザベラを捉え、その清楚に完成された出で立ちをまじまじと見つめる。
アンジェの視界の隅でイザベラは僅かにたじろぎ、何一つ乱れていない髪を、指先でそっと整える。
(……えっ?)
アンジェは微細な違和感に息を呑む。王女イザベラゆっくりと瞬きをすると、小さく息を吸い、やかましく話し続けているフェリクスに視線を向けた。
「ご機嫌よう、フェリクスくん。お誕生日おめでとうと伝えたいのだけれど、お取込み中だったかしら」
「イザベラ、とんでもない、ルネティオットと一緒に来てくれたんだね。君から直接祝ってもらえるなんて嬉しいよ、ありがとう」
「ええ、おめでとう、フェリクスくん」
さっと見事に取り繕って見せたフェリクスにイザベラは完膚なき微笑みを返し、扇子で唇だけを隠した。そのまま一歩前に出ると、自分と同じ緑色の瞳のクラウスを見つめ、彼に守られるようにして座っているオリヴィアを見つめ──張り詰めた空気にアンジェが違和感を感じた頃、イザベラはドレスのスカートのすそをつまみ、軽やかにかつ優雅に礼をして見せた。
「アシュフォード大公夫人、ならびにご子息にしてアカデミー教師のアシュフォード先生。ご機嫌麗しゅうございます、イザベラ・シュテルン・フォン・アシュフォードです」
姿勢、目線、お辞儀の角度、指先、足、それこそ髪の毛の一本一本に至るまで、イザベラの所作は申し分なく洗練されていて美しい。アンジェは我を忘れて思わずイザベラに見惚れ、傍らのリリアンを抱き寄せる。
「まあ、素敵なご挨拶をありがとう存じます、イザベラ王女殿下。今日もお美しくいらっしゃいますこと」
オリヴィアがゆったりと身体を起こして立ち上がると、川が流れるように自然な動作で返礼をして見せた。受けたイザベラは可愛らしく首を傾げる。
「ありがとう存じます、大公夫人も以前にもまして優雅でいらっしゃいますこと。アシュフォード先生も、アカデミーとは違うお召し物が、イザベラには新鮮に見えますわ」
「ありがとう存じます、王女殿下」
クラウスも微笑み、礼儀にのっとった礼をしてみせる。イザベラはそれを受けて小さく頷くと、扇子で口許を隠した。
「…………」
誰も何も言葉を発さない、空白のような沈黙。
(どうしてかしら……)
(どうして、こんなに、緊張した空気になるのでしょう……?)
アンジェは困惑して周囲を見回す。誰にもどこにもおかしなところはない。オリヴィアもクラウスも微笑んでいて、フェリクスはきょとんとしていて、リリアンはアンジェの膝の上で顔を赤くしている。エリオットはつまらなそうで、イザベラは扇子で顔を隠して──そこに隠されているのは微笑みではなかった。ほんの僅かだが不服そうに尖った唇が、アンジェの角度からちらりと見えてしまう。
「…………!?」
アンジェは思わず、エリオットの横にいるルナのほうを振り仰いだ。いつものように一同の様子をニヤニヤと見守っているとばかり思っていた親友は、腕組みをして、片足に重心を乗せたくだけた姿勢で、じっと目の前のイザベラの背中を見つめている。アンジェはルナのそんな表情を見たことがなかった。だがこの眼差しは覚えがある、どこかでたびたび見たことがあるような気がする。
それは遠い記憶。
お二人は素敵だなと、その関係性に憧れていた思い出。
(……ユウトさんが……)
(メロディアさんを、見ている時の、お顔だわ……)
無表情とも、仏頂面とも、切なげともとれる顔は、アンジェの親友であるはずのルナを、本当の男であるかのように見せていた。
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