27-3 親子
練習についてアンジェとフェリクスが深掘りして尋ねたものの、二人はあまり口外したくないようで、何とも歯切れの悪い回答ばかり返ってきた。断片的な答えをつなぎ合わせると、どうやらあのライトニングダッシュに関することらしい。リリアンとエリオットは、腹を探られて警戒するというよりは、プレゼントの中身を尋ねられた子供のようにどこか嬉しそうな様子だった。
「私は絶対前がいいんですけど、リオは後ろじゃなきゃダメって言うんです。後ろなんてカッコ悪いのに」
「文句言うなよな、こっちも必死なんだぞ」
「まったく……そんな言い方をされたら、気になって仕方がないじゃないか。なあアンジェ?」
「ええ、本当に。リリアンさん、後でフェリクス様がご退席なさっている時にこっそり教えてくださらない?」
「ええー……どうしようかなあ」
「もう、リリアンさんったら」
言葉とは裏腹にリリアンはニコニコしているのが可愛くて、アンジェはクスクスと笑った。フェリクスも楽しげな表情を取り繕ってはいるが、彼に肩を抱かれているアンジェには、フェリクスはどこか上の空なのが感じ取れた。それを誤魔化すように微笑み、アンジェを抱き寄せ、それでもふとした瞬間に遠い目をする。年に一度の彼のための日、最愛と公言するアンジェと、彼女と平等に愛すると宣言したリリアンと、あとついでにエリオットが侍ってもなお、王子の心を遠くに連れ去る相手。その心当たりを思い浮かべ、アンジェはふわりと微笑む。
「おや、どうかしたかい、アンジェ」
「いいえ、フェリクス様がお待ちになっている彼の方は、今どのあたりにいらっしゃるかと思いまして」
「……アンジェ」
自分を見上げるアンジェを見て、フェリクスは僅かに目を見開いた。
「君は本当に何と聡明なのだろう……僕の心をよくよく汲み取ってくれる。僕の人生の伴侶にはまさしく、淑女の中の淑女たる君であって欲しいと願わずにはいられないよ」
「フェリクス様、……それは」
「アンジェ。分かっているよ。でも今日だけはその言葉は飲み込んで欲しい、僕の可愛いアンジェでいておくれ」
「……はい、フェリクス様」
アンジェが曖昧な笑みと共に頷いたのを見て、フェリクスは満足げにアンジェを抱き寄せた。テーブルを挟んだ反対側ではリリアンとエリオットが顔を見合わせ、険しさを隠しきれない顔でリリアンが首を傾げる。
「殿下がお待ちの方ってどなたなんですか? アンジェ様じゃないんですか?」
「もちろん、僕はいつでもアンジェのことを待っているよ。けれどその人とは、いつでも気軽に会えると言うわけではないし、アンジェは今こうして僕の隣にいてくれるからね」
「ええー、誰だろう……リオ分かる?」
「いや全然分かんねえ」
エリオットも首を振ったところで、入口の扉をノックする音が響いた。フェリクスがぱっと顔を上げると、部屋の外から執事の淡々とした声が響く。
「王子殿下。お二方ともご到着でございます。お出ましになられますか」
「そうか──そうか! すぐに行く!」
若き王子は顔を輝かせて立ち上がると、三人を急かし、ほとんど駆けださんばかりの勢いで扉の外に出た。ついていくリリアンとエリオットは謎が謎を呼ぶと言わんばかりの顔で首を傾げっぱなしだが、手を引かれているアンジェはただただ微笑むばかりだ。執事に案内されたのは、祝賀会会場からほど近い、緞帳で仕切られた半個室のような応接室。フェリクスは緞帳が左右に開くのも待ち遠しいとばかりに自分の手で掻き分けて室内に飛び込む──
「兄上!!!」
「──殿下」
フェリクスの歓喜極まる叫びに落ち着いた青年の声が応える。
「兄上、兄上、ああ、クラウス兄上! お待ちしておりました!」
「お誕生日おめでとうございます、フェリクス王子殿下。息災で何よりです」
オリーブ色の髪と瞳のクラウスは、いつもの眼鏡をかけ、神官服ではなく地味な礼装を身に着けていた。深緑色の生地に金糸の刺繍を施した様はどことなく高貴な雰囲気が漂い、クラウスもまた王家の血を引く人間なのだと見る者に思わせる。フェリクスに続いて応接室に入室したアンジェはクラウスと目線が合ったので、同じように微笑みと会釈を返した。
「こんにちは、セルヴェール。おや、スウィートにアンダーソンもいるのですね」
「あれっ、アシュフォード先生?」
「先生なんで……って、……すんません」
「気を遣うことはありませんよ」
アンジェに続いて室内に入って来たリリアンとエリオットは、アカデミーではよく会う人物を見つけてギョッとするが、すぐにその理由を記憶の中に思い出して口をつぐみ、クラウスが苦笑いした。フェリクスとクラウスは父親は同じであるものの、妾腹のクラウスは何かとフェリクスと比較され軽んじられる。時には何らかの政治活動の団体が、自分たちの有利となるよう彼を担ぎ上げようとすることもあった。クラウスは自分が常に比較されることも、意図しない政治活動に力を与えてしまうことも恐れ、世俗権力と自分を隔絶させるために神職に就いたのだ。
「兄上、今日はもちろん
「ええ、そうですね、一日だけ」
自分の手を取ってぶんぶんと振るフェリクスに、クラウスは笑いながら答える。先の休憩室よりはやや広い応接室には、クラウスのほかにももう一人先客がいた。それはクラウスと同じオリーブ色の髪と瞳の、とても柔らかな物腰の女性だった。アンジェはその人物の顔と名前は知っているが、それほど親しく話したことはない。
(……よし)
「ご機嫌よう、アシュフォード大公夫人。アンジェリーク・ルネ・ドゥ・セルヴェールです」
「……あら、ご機嫌よう、セルヴェール公爵令嬢」
深呼吸して挑んだアンジェの礼に、アシュフォード大公夫人──クラウスの母、オリヴィア・アシュフォードは、ゆっくりとその場に立ち上がり、たおやかに礼をして見せた。一つ一つの動作が艶めかしいまでにゆっくりとしていて、ウェストを締め上げてなお豊満な体つきは、完璧な夢を持つはずのアンジェが小娘に見えてしまうほどだ。アンジェはその姿を見て、イザベラは将来このようになりたいのだろうな、と薄ぼんやりと思う。様子を伺っていた一年コンビも、アンジェが礼をしたのを見て取るや、早速ご挨拶に伺い、ぺこりと頭を下げた。
「あっ、あの、リリアン・セレナ・スウィートです、ご機嫌ようっ」
「……エリオット・アンダーソンです、どうもこんにちは」
「そうなのね。はじめてお目にかかりますわね、わたくし、オリヴィア・アシュフォードと申します」
オリヴィアは二人のあいさつにもにこやかに微笑み返した。エリオットはそれだけで顔が真っ赤になり、リリアンはオリヴィアの実りとアンジェの夢を、険しい顔でそれぞれじっ……と見比べている。
「母君、ご挨拶が遅れました。今日は僕の誕生祝賀会にようこそお越しくださいました」
「これは、王子殿下。お声がけいただけて誠に光栄ですわ」
フェリクスが胸に手を当てて恭しく頭を下げると、オリヴィアもスカートの裾をつまんで深々と礼をした。クラウスとオリヴィアは、日常ではよほどのことがない限り王宮には近付かないようにと通達が出ていた。それは国王の体面なのか、王妃の嫉妬なのかはアンジェには分からないが、とにかく親子二人でその命令を遵守する日々である。何の屈託もなく異母兄を慕うフェリクスがなかなかクラウスと会う機会がないとぼやくのは、クラウスが王宮に参内できないからなのだ。だが、今日──王太子フェリクスの誕生祝賀会は、祝賀会の主役たるフェリクスの強い希望によって、アシュフォード親子の参内が許される唯一の日だった。
「僕たちからの贈り物です、フェリクス殿下」
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