26-6 魔法の才能

 翌日アンジェはリリアンを昼食に誘い、その席で改めて部屋に遊びに行きたいと申し出ると、リリアンは疑り深い目でじろりとアンジェを見上げた。


「……ひとつ、お聞きしたかったんですけど」

「なあに、何でも仰って」

「どうしてルネティオット様が部長さんと戦った時、私のこと、だ……抱っこなさったんですか」

「……あっ、ごめんなさい、妹や弟によくそうしていたので、つい……」

「妹さん?」

「あの子たち、観劇などに連れていくとあちこち走り回るし、座っていても物語に集中できませんのよ、小さい頃は特に……だからわたくしやお姉様たちが膝に乗せて、話しかけながら観劇していましたの。あの時もわたくし、はしゃいでしまって……つい、癖で……」

「つい……」

「ごめんなさいね、お嫌でしたでしょう?」

「いいえ」


 リリアンは吊り上げていた眉尻を下げ、ふふっと笑う。


「ついでもいいです。まずは一勝です」

「…………そう?」

「ふふふ、嬉しいです、ふふふふ」


 リリアンはすっかり機嫌を直してそれからはよく喋ったが、しかしてアンジェの申し出に対して指定してきたの翌日──授業が午前中で終わり部活もすべて休みの日の午後、場所もリリアンの部屋ではなく屋外の競技コート、更にはアンジェだけでなくルナも一緒に来て欲しいと言われた。アンジェが理由を尋ねても「来てみれば分かります」とニコニコするばかりで、何も教えてはくれなかった。仕方なくアンジェがルナに打診すると、ルナは二つ返事で頷き、意気揚々とついてきた。ルナはアンジェの自分に対する気遣わしい様子に、「そんな顔をするな、こっちは随分前に心境の整理なんて終わってるんだ」と笑い、アンジェの背中をバシバシと叩いた。


 フェアウェルローズ・アカデミーの競技コートは、先日サッカー部が練習試合をしたところにほかならない。カフェテリアから続く芝生を抜けた先、地面を平らに押し固め、線や目印を埋め込んだ広大な空間。競技ごとにそれぞれのゴールポストなどを設置して尚ゆとりがある贅沢な土地配分で、部活の時間帯ならいろいろな部活の生徒たちがそれぞれのユニフォームを着て練習にいそしんでいるが、今日は誰もおらず、青々とした冬の空の下に冷たい風が吹いて閑散としている。アンジェとルナがコートを着込んで競技コートにつくと、先日のサッカー部の試合をしていたあたりに、人影が二つ腰掛けているのが見えた。


「あれは……リリアンさんと、アンダーソンさん?」

「アンダーソンって、子リスが惚れてた奴だよな? 祝賀会に来た……」

「……ええ、そうよ」

「元カレ今カノ対決だな、気張れよ、アンジェ」

「冷やかさないでちょうだい……」

「殺られる前に殺れ!」

「まだ今カノと言っていいのかどうかも分からないのよ、無茶を仰らないで……」


 ニヤニヤするルナにアンジェは毒づいたが、いつもほどは声に張りが出ない。新学期が始まってからというものの、アンジェはリリアンがエリオットと連れ立って歩いている姿を頻繁に目撃している。


「アンダーソンさんご自身は身を引くと仰っていましたのよ……」

「両親が身元引受人になって、しばらく一緒に暮らしてたんだろう。そこで当てられて気が変わったかもしれんぞ?」

「そうよねえ……」


 近づくにつれてリリアンとエリオットの様子も詳細に見えるようになる。どうやら二人はピクニックシートを広げて昼食を食べているようだ。向かい合うのではなく並んで座って、何か話し、時折虚空を指さし、笑うと肩が、お揃いのブローチをつけたストロベリーブロンドが揺れる。


(リリアンさん……)


「ま、お前も朝チュンしてたし人のことは言えんけどな」

「……そうね」

「あの二人も、朝チュンどころの騒ぎじゃないかもしれないけどな」

「……そうなのよねえ……」


 胸中で悩ましい疼きを反芻させる暇もなくルナが畳みかけてきたので、アンジェはがっくりを肩を落とすしかなかった。リリアンたちの声がはっきり聞こえるかというほどまで近付くと、リリアンとエリオットはぱっとアンジェ達の方を振り向いた。


「アンジェ様!」


 リリアンは立ち上がってパッと笑うと、ニコニコとアンジェのほうに駆け寄ってくる。


「来てくださってありがとうございます、アンジェ様!」

「ご機嫌よう、リリアンさん。お招きありがとう」

「すみません、こんな寒いところで……お二人とも、お昼は召し上がりましたか?」

「ええ、ルナとカフェテリアで頂いてきましたわ」

「良かった」


 にっこり笑うリリアンの笑顔は溌溂としていて眩しい。よかった、今日は機嫌がいいみたいだ。アンジェが内心安堵していると、リリアンはアンジェの隣のルナを見上げてニコニコと笑い、それからエリオットのほうを振り仰いだ。


「じゃ……よろしく、リオ」

「おう。やー緊張するなー」

「頑張ってね」


 エリオットはその場に飛び上がるようにして立ち上がると、緊張よりも期待と興奮が入り混じる顔でアンジェ達の方に歩いて来る。


「……しゃっす、セルヴェール先輩、シュタインハルト先輩」


 エリオットはぺこりと頭を下げると、アンジェではなくルナの前に立った。少年の身長はアンジェとほぼ同じなので、上背のあるルナを見上げる形になる。ルナは驚いて目を見開き、リリアンとアンジェに視線を送ってから、曖昧な笑顔を浮かべてみせる。


「おう、息災か、少年」

「おかげさまで……あの、俺たち、先輩方に聞いてほしい話があるんス」

「おう、なんだか知らんが私も来いと言われたぞ」

「あざっす……リコから、セレネス・パラディオンのこと聞いたんス」

「おう、アンジェに言ってやってくれ、希望は殆どないってな」

「……そんなこと、ないっスよ」

「いや……」


 笑いながら何か言おうとしたルナが、ハッと息を呑んで目を見開き、自分の顔に触れた。指先はあっけなく肌に触れる。彼女のトレードマークになっている伊達眼鏡が、そこにはなかった。


「…………は?」


 ルナがじろりと睨んだ先、エリオット少年の手には、ルナの眼鏡が握られていた。


「えっ?」


 次いでアンジェがギョッとして声を出す。リリアンは三人の様子を見てニコニコと笑っている。


「貴様……今、何をした?」


 ルナが低く唸ると、エリオット少年はたらりと汗をかきつつも不敵に笑って見せた。


「セルヴェール様もこれくらい早かったら、──殿下にも勝てますかね?」

「……ほざいてろ」


 ルナはアンジェには全く見えない速さで手を閃かせて眼鏡を掴んだ──それより一瞬早くエリオットが眼鏡を遠ざけ、ルナの神速の手は虚空を掴む。気色ばんだルナを見て、エリオットはずざっとその場から飛び退った。


「先輩、俺、五分間逃げますんで、その間に、眼鏡取り返してください。……その後で、俺とリコの話、聞いてくれますか」

「……いいだろう」


 珍しく怒りも露わに嘲笑したルナが、瞬間移動かと思うほど素早く少年に飛び掛かり、無防備な眼鏡に手を伸ばす。しかしエリオットはそれよりも更に早く手を引き、後ろへと飛び退った。ルナの顔が阿修羅のようになり、こめかみに青筋が浮き立ち──


「……クソガキがっ!!!!!!!」

「ギャー来た!!!!!!」


 次の瞬間ルナは咆え、エリオットは飛び上がって脱兎のごとく逃げ出した!


「な、何なんですの!?」

「見ててください、アンジェ様」

「うおおおお早えええええ!」


 訳も分からずにアンジェは慌てふためくが、リリアンが寄り添ってニコニコと笑った。必死に走るエリオットの身体の表面を、ぱりぱりと小さな雷が走る。突進するルナは素晴しい跳躍を見せ、少年を捕えようと一気に距離を詰める。


「うおっ来たっこわっ! ギャー!」


 対するエリオットは、アスリートらしい安定した走りではあるが、ルナよりも速いかと言われるととてもそうは見えない。だが実際にはルナと遜色ない速度で走り、繰り出された手をことごとく避け、かいくぐり、すんでのところでかわし、ギャーギャー叫びながら広い競技コートを縦横無尽に走り回っている。最初はイライラした様子のルナだったが、その表情がだんだんと楽しげなものに変わっていく。


「おう少年、やるじゃないか!」

「あざっす!」


 笑いながらルナは勢いをつけて地面に手をつき、バク転それから空高く飛んで宙返りを決め、咄嗟に逃げる方向を選べなかったエリオットの目の前に降り立った! 足が地面につく前にエリオットの肩に手を乗せて引き倒し、少年が遠くに差し伸ばした手、そこに握られた愛用の眼鏡を取り戻そうと手を伸ばす──


「五分です!」


 ルナの指先が眼鏡に触れるか触れないかのところで、競技コートの隅の時計をちらちらと見ていたリリアンが叫んだ。ルナがバッと顔を上げる。エリオットはすかさず眼鏡をルナから遠ざける。


「五分たちました! エリオットの勝ち!」

「よっしゃあ!」


 エリオットは雄たけびを上げてその場に飛び上がった。


「いやーやっぱシュタインハルト先輩は剣持ってなくてもおっかねえな、殺されるかと思ったぜ」

「……たく、なんなんだ、お前らは」


 ルナも苦笑いしながらその場に立ち、コートの裾をぱんぱんとはたく。


「リリアンさん、これはどういうことですの……?」


 アンジェはまだ呆然としながら尋ねる。リリアンは三人の顔を見比べると、至極嬉しそうにうんうんと頷いて見せた。


「これは、ライトニングダッシュという、魔法サッカーでよく使われる魔法の一つです」

「まあ、あの試合の時に皆さんが使っていた魔法かしら?」

「はい、そうです。リオはライトニングダッシュがとっても上手なんです!」


 ニコニコしているリリアンの目線の先で、よせよ、とサッカー部の若きエースが照れて顔を赤くする。


「そうなんス、雷の魔法を応用して……なんていうのかな、自分で動かすよりも早く身体を動かすんです。俺のやり方はちょっと特殊で、うまくハマれば、今みたいにめちゃくちゃ速く走ったりできるようになるんス」

「なるほどな……道理で見た目の動きと実際の速度が合わないわけだ」


 ルナはエリオットから眼鏡を受け取ると、クックッと笑う。


「アレだな、ハンターの漫画でアイツが使ってた技ってことだ」

「家庭の事情で生まれた時から浴びていたんですわね」

「結局、連載終わったのかなあ……」

「結末を読めずじまいになってしまったのは悔いがありますわね……」


 アンジェとルナはしばらく哀れなほどに落ち込んでいて、その様子を見たリリアンとエリオットは顔を見合わせて首を傾げる。アンジェは一通り思い出を反芻した後にようやっとため息をついて、両の拳をきつく握りしめた。


「リリアンさん」

「はい、アンジェ様」

「これを、わたくしに見せて下さったということは……わたくしも、同じことをやってみろということですのね?」

「……そうです、アンジェ様」


 頷いたリリアンの目線の先で、エリオットがルナの質問に答えながら腕をぶんぶんと振っている。ルナは眼鏡をかけなおしながらふむふむとしきりに頷いている。


「この前もそれをお話ししたかったんです」

「そうでしたのね……」

「これならきっと、アンジェ様は、殿下に勝って、セレネス・パラディオンになれると思います」

「リリアンさん……」

「アンジェ様なら、きっとできます」


 嬉しそうにアンジェを見上げるリリアンの頬は、咲き初めの薔薇のようにほんのりと色づいていた。




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