26-5 二人の鍛錬

  大演舞場の掃除と原状復帰が終わり、クラウスにこってりと叱られた後、剣術部の面々とアンジェ、ルナはいつもの剣術部の鍛錬場へ戻った。フェリクスとイザベラはそのままクラウスにどこかに連れられて行き、リリアンは宿題があるというので一人先にノーブルローズ寮へと戻っていった。ルナは大演舞場へは顔を出していなかったラインハルトにクラウスの一億倍はこっぴどく叱られ、部活が終わるまで踊り娘のコスチュームのまま正座していることになってしまった。


「……なんでお前がそんなにしょげてるんだ、アンジェ」

「だって……えいっ」


 座ったままでは退屈だというルナは、練習用の木剣で自分に切りかかって来いとアンジェに持ちかけた。部活は二人一組の立ち合い稽古が始まったころなので、基礎も出来ていないアンジェはその練習には参加できない。座ったままのルナに木剣を振るのは気が引けたのは最初だけで、ルナはぴしりと正座したまま、鉄扇でアンジェの剣をことごとく弾き返していた。


「貴女もともと、えいっ、イザベラ様とはとても仲が良いでしょう? それっ、転生のことを知って、とうっ、わたくし嬉しくて、てっきり……やあっ」


 アンジェが必死に木剣を振るのを見て、ルナが苦笑いを浮かべる。


「お前なあ、筋肉痛も分かるが、もう少し気合い入れて振れ。何だその子猫の出来損ないみたいな掛け声は」

「やってますわ……っ、やっ、コツを、教えてちょうだい……えいっ」

「掛け声は全部ア行にしろ、足の踏み込みと振り下ろすタイミングを合わせろ。今日はそれだけでいいから出来るようになれ」

「やっ!」


 言われた通り、足の踏み出しと剣を振り下ろすタイミングを揃えると、打った瞬間に重い手応えが返ってきた。ルナの方は先ほどと同じように受けただけだが、違いを感じたのだろう、伊達眼鏡の奥で目を見開いてニヤリと笑う。


「いいじゃないか、その調子だ」

「やっ! やっ!」

「……まあ、私も姫御前も何も言わなかったから、お前が勘違いするのは分かる」


 無心で打ち込んでくるアンジェの剣を受けつつ、独り言のようにルナが呟く。


「やっ! ……でしょう? やっ!」

「考えてもみろ。向こうは王女で私は伯爵家、しかも女だぞ。どれだけ前世の縁があっても、そう簡単にいく仲でもないだろう」

「そんなこと……やっ、言ったら、わたくしとリリアンさんだって……やっ、前途多難ですのよ、やっ、大切なのは、やっ、ルナとイザベラ様の、やっ、それぞれの気持ちなのではなくて? やっ」

「……気持ちねえ」


 鼻を鳴らして苦笑いして見せたルナの表情が、祥子の記憶のユウトと重なり、アンジェは思わず目を見開く。


「私はな。五歳でユウトの記憶を思い出したから、ユウトの記憶は自分自身の体験と思っていた時期もあったよ。でも私には何も生えてないし、モデルのオーディションを受けたことも、車を転がしたことも、ライブバーでメロディアにナンパされたこともない。前世の記憶や感情なんて、夢と言われればそれまでだよ。……分かるだろう、アンジェ」

「……ええ……やっ」

「姫御前がメロディアのことを思い出したのは、御前が十二歳ごろだったかな。突然私に会いたがっていると王宮から使いが来て、何かやらかしたかと家じゅうがビビってた。だが何となく予感はしてた……私はチュートリキャラのルナだからな。相手が誰なのかは分からなかったが、メロディアだったらいいなとは思ったさ」

「…………」


 アンジェは手は止めないものの、掛け声を出すのを躊躇われ、無言で剣を振る。


「二人で探り探りの会話をして。転生者だと分かって、名前を言って……メロディアだと分かった時は嬉しかったな。記憶の中にずっといた最高の女が、また俺の前に現れてくれたんだと思った」

「…………」

「ま、それだけだ」


 顔をしかめるしか出来ないアンジェに、ルナはクックッと笑いながら肩をすくめてみせた。


「姫御前は自分の人生と前世の記憶を混同しないくらいには、自我をしっかりとお持ちだった。前世の夫の記憶だけで流されるようなお方じゃなかったってことさ」

「……ル……」

「前にも言ったが、誰かが誰かを想う気持ちは原始的なんだよ、赤ちゃんべべ・アンジェ。同じ世界に生まれ変われた、なんて理由があるだけじゃ、想いに火が付くわけじゃないらしい」


 ルナは体が震えるほど笑っていたが、そのまなざしがいやに自虐的なものになる。


「まあ……俺も意地になって、姫御前に対して、メロディアと同じように接しちまってるのは自覚してるがね。御前も無下にはなさらないから、やめる気はないが」

「……ユウトさん……」

「ほら、アンジェ、手と足がばらけてきてるぞ、気合い入れ直せ」

「……やっ!」


 鉄扇に弾かれた木剣がこん、と鳴る。その音に合わせてアンジェの瞳から涙の雫が散る。


「……お前は優しいな、アンジェ。優しすぎる。私なんかのために泣かなくてもいいんだぞ」

「……なんか、ではなくてよ、わたくしの大切な親友でしてよ……」


 木剣を振るのをやめ、ぽろぽろと零れる涙を拭ったアンジェを見て、ルナは柔らかに微笑んだ。


「ありがとうな、アンジェ」

「わたくし、お二人は変わらないものだとばかり……」

「そうだな……だが、お前だって他人事じゃないだろう」

「え……?」


 アンジェを見上げるルナの顔が僅かに曇る。


「たまたまショコラの推しがフェリ様だったから、転生したアンジェも婚約状態を受け入れられた。今は子リスに変わったが……ここで急に、ポッと出のモブに、祥子の元カレが転生したと言われたら、殿下も子リスも捨ててそいつとねんごろになるか? お前の恋愛遍歴を全部知ってるわけじゃないから何とも言えんが……何ならリリコだっていい。子リスとは別にリリコが来て、ショコラを一番愛しているのは私、ショコラをよこせと子リスやら殿下やらに喧嘩を売ったら、お前はどうするんだ?」

「待って、お待ちになって」


 畳みかけるように話すルナに、アンジェは混乱しながら首を振った。


「どうしてそこで凛子ちゃんが出てくるんですの?」

「どうしてって……マジで言ってんのか、ショコラ」

「凛子ちゃんは学生時代の親友ですわ、リリアンさんと喧嘩になるわけがないでしょう。凛子ちゃんならきっと、リリアンさんの可愛さも分かってくださる筈よ」

「…………マジか」


 きっぱりと言ったアンジェを見上げ、ルナは信じられないものを見たとばかりに目を見開く。アンジェの奥にいる安藤祥子の面影を探しているかのようにしげしげとアンジェの顔を眺め、左手で目の際の泣きぼくろのあたりをトントンと叩くと、天才少女剣士は盛大にため息をついた。


「ま、リリコが転生したことを前提にすれば、必ずぶち当たる問題だ。折々考えておいた方がいいぞ」

「そうなのかしら……」

「そうなんだよ。……ほれ、ぼやっとしてないで鍛錬の続きだ」

「はぁい……やっ!」


 アンジェの振るった剣がルナの鉄扇にあっさりといなされ、カアン、と軽い音があたりに響き渡ったのだった。



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