26-4 大演舞場
放課後のフェアウェルローズ・アカデミー、室内鍛錬場にて。
複数のクラブが同時に活動できるよう、室内鍛錬場にはいくつかの部屋が用意されている。剣術部はいつもそのうちの一つ、二十メートル四方ほどの板間を使用しているが、今日はそちらではなく、公式試合などが行われる大演舞場に全員が集まっていた。
「ご……ご容赦ください……どうか……王女殿下……」
祥子の感覚ではバスケットコートが二面とれる大きな体育館の真ん中で、筋骨隆々とした剣術部部長のガイウス・エスタ・ヴェルナーが、練習用の剣を構えてはいるものの、へっぴり腰でブルブルと震えながら涙目になっている。彼の向かいにいるのは、いつものポニーテールをほどき、全身をシーツで包み隠しているルナ──鍛錬狂いのルネティオット・シズカ・シュタインハルトだ。ガイウスに語り掛けられた王女イザベラは、壁際に作りつけられた天覧席に優雅に座り、真新しい扇子で口許を隠し、にこりと微笑んで見せる。
「嫌よ」
「どうか……どうか!」
大演舞場はものすごい熱気と人だかりだった。フェアウェルローズ中の全生徒が集まったのではないかというほどの群衆が、四方の壁にびっしりと並び、中央の二人の様子を固唾を呑んで見守っている。
「イザベラ……どうしてもやめるわけにはいかないのか?」
「お黙りいただけるかしら、朴念仁殿下」
天覧席のイザベラの横では、フェリクスが何とも言い表し難い──恥じらいと怖いもの見たさと、抑えられぬ好奇心が入り混じった顔をしていたが、イザベラにぴしゃりと言われてがっくりと肩を落とす。
「わたくしが見たいものを見て、何がいけないのかしら……本人だって乗り気ですのよ。ねえ、アンジェちゃん?」
「全く持って仰る通りですわイザベラ様!」
「私、ビニキアーマーって見たことないです」
フェリクスの横の席に座っていたアンジェが激しく狂おしく頷き、リリアンは無邪気に首を傾げながらあたりを見回している。
「リリアンさん、ビニキではなくてビ・キ・ニでしてよ」
「ビキニ?」
「そう、ビキニ……ああでも、昨日の今日だからちゃんとしたのは間に合わないかもとは言っていたわ……どうなるのかしら、ちゃんとサーニャ姐さんになっているのかしら……既に髪型とヘッドアクセサリーは完璧だわ……」
天覧席の脇には、管弦楽部の部員たちが楽器を持ち寄って演奏の準備の音出しなどをしている。指揮者の生徒が天覧席の様子と、中央のルナとガイウスの様子を交互に窺っている。彼らは昨日のうちにルナに言われ、急ぎ大演舞場での合奏の用意をしたらしい。演舞場に集まった生徒たちは、お菓子クラブ創業メンバーがあちらこちらでまことしやかかつ大胆かつ目立つように流した噂の賜物だった──剣術部部長のガイウスと、天才少女剣士のルナが大演舞場で決闘をするらしいと。ガイウスの活躍はフェアウェルローズでは有名だし、ルナは容姿からして何かと目立ち、ガイウスやフェリクス以上の剣士であることも知れ渡っている。こんな血沸き肉躍る催しがあるだろうかと、生徒たちは各々の用事を放り出して大演舞場に集合したのだ。
「……ルネティオット。どうしても、やめるわけにはいかないか。俺の負けで構わないから」
情けない声のガイウスを見て、ルナはハハッと楽しそうな笑い声を上げながら眼鏡を外す。周りを取り囲む生徒たちの中からグレースが慌てて駆けてきて、ニコニコと嬉しそうに笑いながら眼鏡を受け取った。
「ルナ様……頑張ってください!」
「おう」
ルナはグレースの頭をわしわしと撫でると、グレースは顔を真っ赤にしつつ、スキップしながら元居た場所へと戻って行った。ルナは小さくため息をつきながら柔らかに微笑む。
「部長。今日はまたとない好機ですぞ」
「このどこが好機なんだ……」
ガイウスは力なく首を振って俯くが、ルナはクックッと笑い、身体を覆うシーツを揺すって見せる。
「私は慣れない衣装だし、得物はそもそも剣ではない。昨日一通り動いては見たが、まだまだぎこちない動きもあるでしょう」
「……だったら何を使うんだ」
「それは見てからのお楽しみです……剛腕猛々しい部長が力で押せば、大番狂わせもあるかもしれませんよ」
「…………」
ガイウスは面差しを正し、ルナの不敵すぎる笑顔をじっと見た。ルナは何も言わずにただゆっくりと身体を揺らす。周囲の生徒たちの視線が、二人の一挙一動に注目している。
「……そんなお前に勝って、何になると言うんだ」
「そうですか」
ため息をついたガイウスに、ルナは楽しそうに笑い声をあげた。ガイウスはそれきり押し黙ってしまったが、先ほどの情けない様子は消え失せ、若き武人の精悍な眼差しでじっとルナを観察している。ルナもそれを受けて微かに笑うと、天覧席のほうを振り仰いだ。
「我が勝利、姫御前に捧げよう!」
ルナの声は良く通り、イザベラが微笑みながら小さく手を振り返してくる。ルナは胸に手を当てて武人の礼をすると、ガイウスがククッと笑い声を漏らした。
「……結局勝つ気満々じゃないか」
「当たり前です、武人ですから。部長もそうでしょう」
「まあな」
笑いながら、ガイウスは剣を構える。
ルナは管弦楽部のほうを向き、指揮者に向かって頷きかけた。指揮者が楽団のほうを向き、指揮棒をぴっと構える。楽団は弦楽四人とフルート、ハープ、打楽器の七人編成だ。隣の者の声を聴くのがやっとなほどに騒がしかった大演舞場が一気に静まり返る。ガイウスの額からつと汗が流れ落ち、指揮者が指揮棒を振った。
弦楽の一人の独奏が、切なくも激しい旋律を奏でる。それは秋深く紅葉した葉を無情にも木々から奪い去る、冬の初めの木枯らしのようだ。
「……ビキニアーマーに、音楽が必要なのか?」
ガイウスが小馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、ルナは嬉しそうにクックッと笑った。
「生憎今日はアーマーではないですがね。しかし茶番を楽しむには必要でしょう──ご覧あれ」
ルナの手が自分を隠すシーツの端を掴む。ガイウスが奥歯を噛み締めながら鋭く踏み込み、大演舞場を揺るがす振動と共にルナに突進する。音楽にカスタネットが、フルートが、ハープが寄り添い、草原を駆ける駿馬のような激しい旋律が加わる──ルナが両手を振り、シーツを一気に投げ捨てた!
ルナのゆるやかな夢を覆うのは真珠の飾りひもがついた踊り子用のビキニブラ、上半身はそれ以外何も身に着けていない。下半身は
「きゃあああああサーニャ姐さまあああ!!!!!!!」
ざわめきどよめきを貫くように、アンジェの甲高い声が響き、ルナはクスクスと笑う。真正面からルナに向かって突っ込んでいたガイウスは、突如現れた素肌に動転し僅かに足運びが鈍る。そこを狙ってルナの手が一閃し、ガイウスは身をよじって避ける。ガイウスは完全に突進の勢いを殺され、後方にじりじりと下がった。
「なんだ……それは! 武器なのか!?」
「サーニャ姐さんのてつのおうぎです」
顔を真っ赤にして叫ぶガイウスに、ルナが笑いながら右手で舞わせて見せたのは、親骨が三十センチはあろうかという巨大な扇だった。鈍色に光るそれは鉄でできており、軽やかに扱うルナの腕に相当な力が入っているのが、浮かび上がる筋肉の動きから見て取れる。
「おじい様が持っていて助かりました……おかげでサーニャコスの完成度が上がる」
「何をさっきから訳の分からないことを……!」
「ああっ素敵っサーニャッ! さにゃっ! リリアンさんご覧になって!? ほらご覧になって、なんて美しいのでしょう! 素晴しい、素晴らしいわ! サーニャぁー!!! ルナー!!!!」
アンジェは隣のリリアンの手を持ってぶんぶんと振り回しながら感極まって叫ぶ。リリアンはぬいぐるみのようにアンジェに抱きかかえられる形となり、目をぱちくりさせながらされるがままになっている。
ルナは床を蹴り、ガイウスめがけて突進する。ガイウスはルナを見据えようとするがビキニブラとその隙間を直視することになってしまって目線が泳ぎ、その隙に低位置から突き上げた鉄扇の打撃をもろに肩のあたりに食らう。
「ぐっ……!」
「よそ見してる暇がおありですか部長!」
ルナは容赦なく追撃する。鉄扇の動きは弦楽器の情熱的な旋律にぴったりと合い、戦うというよりも異国の踊りを見ているかのようだった。ルナもガイウスに攻撃を仕掛けはするものの、腰をくねらせ、手足を伸ばしてポーズとをり、どこか踊りを意識しながら動いているようだ。
「サーニャッ、サーニャッ!」
フェリクスはルナを見て頬を赤らめ、そんな自分の一面に動揺している。だがそれ以上に隣ではしゃぐアンジェとされるがままのリリアンを見て頬を緩めてもいる。サーニャと叫んでいるのはアンジェだけだったが、生徒たちは熱心すぎるアンジェの応援を目の当たりにし、訳が分からないままにサーニャ、サーニャと声をかけ始める。
「ああっ危ないわルナ! お気をつけて!」
アンジェがリリアンの両手を自分の頬に当てて夢中になって叫ぶ傍ら、フェリクスを挟んだ隣でイザベラがじっとその様子を眺め、目を細めている。
「サーニャッ、サーニャッ!」
「サーニャッ、サーニャッ!」
「さあさあ部長、ぼんやりしている場合ですか!」
「くそっ!」
ルナは鉄扇を左手に持ち替えてガイウスの懐に踏み込む。蜂が敵を刺すかのような鋭い一撃をかろうじてガイウスの剣が弾き返す。もう彼にルナに見惚れるだけの余裕はない、焦りをありありと顔に浮かべて、襲い来る鉄扇を必死に弾き、薙ぎ払うのが精一杯だ。
「それそれそれそれ! さあどうだ!」
「うぐっ……!」
「サーニャッ、サーニャッ!」
「サーニャッ、サーニャッ!」
ルナの扇はガイウスが剣を持つ手をしつこく狙う。手をかばってガイウスは後退するが、当然ルナはそれを追撃し、次は向こう脛めがけて回し蹴りと組み合わせて攻撃する。ガイウスの筋肉隆々とした身体は、ルナが相手では碌に身動きも取れないように見える、分厚いだけの筋肉は重い枷にしかなり得ないのだと思わされる。ルナの足払いがガイウスの逞しい足に決まり、ガイウスはよろめく。容赦のない追撃が彼を引き倒し、ガイウスの胸をまたいで仁王立ちしたルナが、ニヤリと笑って鉄扇を彼の喉元に突きつける──
「こらっ! 何をしているのです!」
熱気も最高潮に達しようかというころ、大演舞場の入口からばたばたと教師たちが駆け込んできた。
「許可なく大演舞場を使用してはいけません! 誰が首謀ですか!」
教師たちは生徒たちをかき分けるようにして大演舞場の中央へと進む。その中にはクラウスの姿もある。どよめきが大きくなり、中央のガイウスとルナは、倒した者と倒された者どうしで顔を見合わせる。ルナが苦笑いしながら鉄扇をひっこめ、肩をすくめて見せると、ガイウスもばつが悪そうな顔でその場に起き上がった。
「シュタインハルト、貴女ですか! ……な、なんて破廉恥な格好をしているのです!」
大演舞場の中央、ルナとガイウスがいるあたりに向かって歩いてきた中年の教師が、ルナがわざとしなを作って見せたのを見てギョッとし、恐ろしい魔物にでも出くわしたかのようにその場に後ずさる。
「風紀を乱すような格好をしてはなりません! すぐに着替えなさい!」
「へーへー」
「あの……この件は、俺にも責任があります。シュタインハルトだけの責ではありません」
ルナが腰のカーブを殊更強調するようなポーズをしているのから必死に目を逸らしつつ、ガイウスも弁明を始めた。他の教師たちはあたりを見まわし、天覧席にフェリクスとイザベラがいるのを見て取ると驚き慌てふためいて何かぼそぼそと相談をし、苦々しい顔のクラウスが彼らのもとへと赴いた。
イザベラはやってくるクラウスを見て、大演舞場の中央で悩ましげなポーズを決めているルナを見て、誰にも気づかれないほど小さく小さくため息をつき、緑色の瞳をゆっくり閉じる。
「……王子殿下。王女殿下。お二人ともあろうものが、どうしてこのようなことをなさったのです」
アンジェはリリアンをしっかりと膝の上に抱き締めながら一同の様子をちらちらと見る。クラウスの怒った顔と口調は完全に年上の兄弟のそれで、アンジェは兄アレクが似たような顔で自分や妹弟を叱るのを何度も見たことがある。
「あ、兄上……僕は……」
フェリクスは情けない顔で異母兄を見る。若き王子は彼になんらやましい感情を抱いておらず、実の兄のように慕っているからこそ、叱られると強く出ることが出来ない。
「ご説明ください、両殿下。皆の手前、何も咎めないわけにはいきませんよ」
一方のイザベラは、リリアンほどではないが、つんと取り澄ました顔で視線を逸らしただけだ。クラウスは困り果てて顔をしかめ、アンジェのほうに向き直った。
「セルヴェール。スウィート。貴女方は何かご存知ですか」
「ええ、その、あの……ええと」
「ひゃひゃひゃひゃひゃいっああああのその」
アンジェとリリアンもろくに答えることが出来ず、クラウスは頭を抱えてため息をつく。やがてフェリクスがしどろもどろに言い訳を始めたが、そもそも彼が首謀者というわけでもないのであまり的を得ていない。真の首謀者のイザベラは、意地でも何も言わない心づもりのようだった。
天覧席で一同が慌てふためいている様子を、大演舞場の中央から、ルナがじっと見つめていた。
* * * * *
フェリクスもイザベラもアンジェもリリアンもクラウスに正鵠を射た説明ができたわけではなかったが、王族が立ち会うからには彼らが何かしら与していたのだろうと教師たちは結論付けた。集まっていた生徒たちは即刻解散・退出するよう命じられ、ガイウス、ルナ、天覧席の四人、その他剣術部の数名は、主犯格の可能性ありということで大演舞場の掃除と原状復帰を命じられた。当然フェリクスとイザベラに罰の掃除をさせるわけにはいかないと、残りの面々で手分けして進めていく。
「素晴しいサーニャ姐さまでしたわ、ルナ」
ルナ、リリアンと並んで床にモップ掛けをしていたアンジェは、目をキラキラさせてルナに話しかける。
「……おう、ありがとな」
「イザベラ様も喜んでいらしたと思いますわ。お二人ともとても仲がよろしくて、わたくしまで嬉しくなってしまいますことよ」
「そうか」
ルナはおどけるかと思いきや面倒くさそうにモップを押すばかりで、アンジェへの返事も面倒くさそうだった。リリアンが衣装についてあれやこれや質問するが、その答えもおざなりが過ぎる。ちゃんと教えてください、とルナに怒り出したリリアンを見て、アンジェはニコニコ微笑みながらモップ掛けを続けていた。
「……アンジェ」
「なあに?」
ルナはリリアンが少し離れた時にアンジェに声をかけたが、いざアンジェが返事をすると何故かとても驚いた。眼鏡はグレースに預けっぱなしなので、鼻のあたりを指先でこりこりとかく。
「……お前、勘違いしてるみたいだから言っとくがな」
「勘違い? 何をですの?」
ルナの目線の先では、フェリクスとイザベラがクラウスを囲んで何か話し込んでいる。
「……私と、姫御前は、特段、特別な関係ってわけじゃないからな」
「……えっ?」
「お前と子リスとは違うってことだよ」
「ええっ!?」
アンジェは思わずモップから手を離しそうになり、慌てて持ち直す。
「だって……メロディアさんとユウトさんではありませんの!? ご夫婦でコスをなさってて……」
「前世はな」
ルナはきっぱりと言い切ると、視線を王族から──つんと澄ましてばかりで何も話そうとしない様子のイザベラから逸らした。
「前世で夫婦だった……ただそれだけだ」
「……ルナ……」
苦笑いを浮かべるルナの顔を見たアンジェは言葉に詰まり、それ以上何かを尋ねることが出来なかった。
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