25-10 対話 リリアン

 覚悟を決めたガイウスは、アンジェを室内鍛錬場まで案内すると、そこで練習している生徒たちに新入部員だとしてアンジェを紹介した。部員たちは驚きざわめいたが敵対する目線や反対する声はなく、遠巻きな、だが好奇心を持った眼差しとまばらな拍手が帰って来た。彼らが着ているのはフェアウェルローズのジャージの上から防具をつけたもので、手にした武器も木刀ではなく、真っ直ぐな刀身の鉄製のロングソードと、それを模した木剣らしい。ラインハルトはあいさつの後はそのまま練習に戻り、ガイウスが部活のある日とない日、朝練、用具などについて説明する。一通りの説明が終わる頃には、冬の短い日差しはとっくに暮れてしまい、空には宵闇に一番星がきらきらと輝き始めていた。フェリクス、イザベラ、ルナは説明するガイウスとそれを聞くアンジェの後をついて周り、フェリクスは何度も涙を拭い、ルナは爆笑しっぱなし、イザベラは不機嫌極まりなくガイウスの所作をじろじろと睨んでいた。


「では、明日の朝練からどうぞよろしくお願いいたします。用具などはできるだけ早く揃えますわ」

「はい。遅刻厳禁ですのでお気を付けください。明日からは部員として扱いますので、その点もご承知ください。アカデミーの方針に則り、王族以外は敬称を用いません」

「心得ました」


 ガイウスは次第に冷静さを取り戻していったらしく、カミイズミ道場でアンジェと話した時と同じように、淡々と説明を終えた。


「では、俺も部活に戻ります。フェリクス殿下はどうされますか」

「一緒に参加したいところだが、僕はアンジェを送って来るよ。そうしたらもう部活も終わりの時間だろう」

「心得ました。……る、ルネティオットは?」


 ガイウスが、自分の名前を呼んでいるのに目線をサッと逸らしたのを見て、ルナはぶぶっと吹き出す。


「私もお三方と一緒に下がる。ビキニアーマーの準備もあるしな」

「本当にやめてくれえ……」


 ガイウスは肉厚な手のひらで顔を覆いながら、軋むドアのような哀れな声を上げたのだった。


 アンジェ、ルナ、イザベラ、フェリクスの四人で剣術部の部室を退出すると、お菓子クラブ部室に置いていたアンジェとルナの通学鞄を引き上げた。時間としては閉門まではあと三十分といったところか。


「ああ、アンジェ、アンジェ! 考え直す気はないのかい、どうしてもどうしても剣術部でないと駄目なのか? 僕が教えたっていい、僕を倒すと宣言している君を自分で指導するというのも変な話だけれど、決して手を抜いたりはしないよ、真摯に君と向き合うと誓おう……だからアンジェ、どうか考え直してくれないか、僕はこんなの耐えられない……」

「どうか耐えて下さいまし、フェリクス様」


 アンジェとしてはルナとイザベラと共にノートの事業計画書もどきを広げて少しでも話したいところだったが、フェリクスがこの調子でアンジェにべったりなので、諦めて帰ることにした。


「フェリクスくん、もういい加減諦めなさい、見苦しくてよ」


 アンジェを抱き締めようとするフェリクスとそれを押し戻そうとするアンジェ、その後ろをルナと連れ立って歩いていたイザベラが、苛々した様子で口を挟む。


「イザベラ……だけど僕は、アンジェの心が誰かに奪われやしないか心配でたまらないんだ!」

「もうとっくにリリアンさんに奪われているでしょう、往生際が悪くてよ!」

「それとこれとは話は別なんだ! なあアンジェ分かるだろう!」

「全くもって分かりません」


 フェリクスが悲痛な声で叫びアンジェが差し伸べられた手を押し除けたあたりで、一同は正面入り口に辿り着きその扉を開けて外に出た。フェアウェルローズ・アカデミーの正門からここまで真っ直ぐ続く道が夕陽に照らされている。人通りはほとんどないが、道の傍に設置されているベンチに誰か座り、その横にもう一人がしゃがみ込んでいるのが見えた。一人はサッカー部のユニフォームを着たエリオットで、退屈そうにベンチに座って両手を背もたれの後ろ側に投げ出している。しゃがみ込んでいるのはジャージの上からアンジェのコートを羽織ったリリアンで、手にはどこかで引き抜いたであろう雑草を持っていた。リリアンの横には黒と白のぶち模様の猫がいて、雑草の先に熱心にじゃれついていたが、一同の気配を感じてこちらのほうにじっと視線を送って来た。


「……リリアンさん」


 アンジェは思わずその名を呼ぶ。猫の様子を見てこちらを振り返ったリリアンが、瞳を見開きながらその場に立ち上がる。それを見ていたエリオットもやれやれと言いたげな様子で立ち、こちらのほうを向く。


「……アンジェ様!」


 リリアンの瞳が自分を捉えた、そう思った瞬間、アンジェはフェリクスを押し退け、リリアンのところまで小走りに駆け寄った。リリアンもぱたぱたとアンジェのほうに駆けてきて、二人はそれぞれ手が届くかといったあたりで立ち止まる。


「リリアンさん、あの」

「アンジェ様っ、あの」


 それぞれ同時に呼びかけて、同時に口をつぐみ、互いの顔を見る。アンジェは今朝と昼のことを思い出して不安そうに眉をひそめている。対するリリアンはアンジェに早く何かを伝えたくてたまらないようで、頬を紅潮させ、瞳をきらきらさせていたが、やがてあっと小さく叫ぶと、えへへ、とばつが悪そうに微笑んだ。


「私、アンジェ様に怒ってるんでした。忘れてた」

「……忘れたということは、もう怒っていらっしゃらないの?」

「はい」

「もう……貴女という人は……」


 アンジェは苦笑いしながらおずおずと手を差し出すと、リリアンはニコニコしながらその手を握った。


「アンジェ様、すごいことがあるんです、聞いてください」

「わたくしも素晴らしいことがありましたのよ、リリアンさん」

「わあ、何ですか?」

「先に話してしまっていいのかしら」

「勿論です」


 傍らに立っているエリオットは、遊び相手を失った猫がつまらなそうに植込みの奥の方に歩いて行ってしまうのをじっと眺めていたが、その尻尾も見えなくなるとやれやれとばかりにため息をついた。フェリクス、ルナ、イザベラがリリアンと自分を見比べているのを見て取ると、ぺこりと頭を下げる。


「わたくしね、剣術部に入部することになりましたのよ」

「剣術部……?」

「セレネス・パラディオンを目指すにしても、剣を握ったこともないのですもの。とにかくできることをと思いまして、先日ご一緒したヴェルナーさんにお願いしましたの」

「剣術部……」


 リリアンは確かめるようにその言葉をもう一度口にすると、後ろで自分たちを見ているエリオットのほうを振り返った。エリオットはリリアンと視線が合うと、何やらうんうんと頷いて見せる。リリアンも彼に頷き返してアンジェのほうに向き直ると、握ったままのアンジェの手をぎゅっと握りなおし、にこりと微笑んだ。


「すごいです、アンジェ様」


 リリアンはゆっくりと手を離して深呼吸すると、正面入り口のあたりに立っているフェリクス達の方に歩み寄る。伝説の生物と相対したかのように感激しているフェリクス、口許を押さえてブルブル震えているルナ、そのルナの脇腹を手刀で叩き続けているイザベラ。リリアンの視線がそれぞれを見やり、それから真っ直ぐにフェリクスの前までやって来た。


「……殿下。先ほどは生徒会長付の会合にて、ありがとうございました」

「ああ、リリアンくん、あの時はいい発言をありがとう」



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