25-11 対話 リリアン
「……殿下。先ほどは生徒会長付の会合にて、ありがとうございました」
「ああ、リリアンくん、あの時はいい発言をありがとう」
フェリクスは感動に打ち震えていた様子など微塵もなかったかのようににこりと微笑んで見せ、リリアンは目を見開いてたじろぐ。だが唇を真っ直ぐに引き結び、拳を握り締め、もう一度王子の目を真っ直ぐに見た。
「あの……殿下。教えてほしいことがあります」
「うん、何だい?」
「その……」
フェリクスをじっと見ているリリアンの顔が、何も言わないままみるみる赤くなっていく。
「昨日……アンジェ様は、殿下とご一緒に、お城に行かれましたか?」
「お城? ああ、そうだね、アンジェは僕と一緒に
アンジェは内心ギョッとするが、フェリクスは平静そのものに微笑みながら答えた。リリアンはフェリクスを見上げ、もじもじと指先をいじくると、おそるおそる次の言葉を紡ぐ。
「あの……理由を、教えて、いただくことは、できますか」
「理由?」
「……アンジェ様が……アンジェ様のおうちではなくて、殿下とご一緒に……行かれた、理由です」
「……ああ」
フェリクスはちらりとアンジェのほうを見た。彼にしては珍しくばつが悪そうに唇を歪めたかと思うと、小さくため息をつき、リリアンに向かって改めて柔らかに微笑んで見せる。
「……あの日は雪が降っていただろう。恥ずかしながら、馬車までの帰り道で転倒してしまってね」
「えっ、殿下が?」
「ああ、僕だって転ぶこともあるさ」
「だだっ、大丈夫だったんですか!?」
「勿論さ、こうして君の前にいるだろう。大したことはなかったのだけれど、当たりどころが悪かったのかな、結構な鼻血が出てしまったんだ。それを見た護衛官のヴォルフ達が、僕がならず者に襲撃されたと色めき立って……一緒にいたアンジェも、状況が知りたいからと連れて来てしまったんだよ。それで、もう遅い時間になってしまったから、泊まればいいと僕が引き留めたんだ」
ルナが蹲ったままドンドンと石畳を叩いていて、そのルナの頭をイザベラがばしばしと手刀で引っ叩いているが、そのイザベラの肩も小刻みに震えている。
「殿下が……お怪我……」
リリアンは呆然と呟き、アンジェとフェリクスの顔をそれぞれ見比べる。
(フェリクス様……)
(嘘ではないけれど、絶妙にずらして話されているわ……)
アンジェはリリアンの紫の瞳に見つめられ、みぞおちのあたりがちくりと軋む。フェリクスの言うのはまあ大体が事実と言っても良いだろう、少しばかり順番が違うだけだ。彼の言うことは本当だと言えば、それで事は丸く収まるのかもしれない。問題はその後だ、アンジェが眠るまで手を握っていると言って譲らなかった夜。明け方の平等に愛する宣言と、少し強引なキス。落とされた湯の温かさ、肌に貼り付く寝間着、痣だらけの身体、濡れた指の感触。駄目だと言いつつ、彼がそれを押し切ってくれやしないかと、……全く、少しも、ほんの僅かでも期待していなかったと言えば、嘘になるかもしれない。
「そっか……お怪我……」
リリアンはなにかしみじみと呟きながら、口許を手で隠してうんうんと頷いている。アンジェがもう一度フェリクスを見ると、フェリクスもアンジェの方を見ていて、微かに首を振ってみせる。
(フェリクス様は、言うなと仰っているわ……)
(それもそう……わざわざ波風を立てることもないということなのでしょう……)
(リリアンさんがやきもちを焼くとはお伝えしたのだもの……)
(……けれど、もし、言ってしまえば、……わたくしは、どこか肩の荷が降りる……)
(でも……リリアンさんは、どう受け止められるかしら……)
自分のことをやきもち焼きと称した少女。アンジェとフェリクスが並んでいただけで、腹を立てて駆けて行った(そして転んだ)少女。もともとはフェリクスとアンジェのことを王子様とお姫様と呼び、憧れなのだと笑ってくれたリリアン。
(どうしましょう……)
アンジェは胸の前で両手を握り締める。
(どうしたら……)
言うべきか。言わざるべきか。
視線をフェリクスからリリアンに戻すと、紫の瞳と視線が合ってしまった。合った瞬間にかちりと音がしたかと思うほどぴったりと噛み合って、そこから動けなくなってしまう。
どうしよう。
何か、言わないと。
「……リリアンさん……」
「……アンジェ様」
リリアンはアンジェを──今にも泣きそうな顔をしているアンジェを見上げると、トコトコとすぐ近くまで歩いてきた。服が触れ合うかと思うほどに近くまで寄ると、じっとアンジェを見上げ、青い瞳を覗き込む。
「……次は、ないですからね。これっきりです。何にも聞きたくないです」
眉を吊り上げ、唇を尖らせて。リリアンはフンと鼻を鳴らし、その顔のままフェリクスの方に振り返る。
「リリアンさん……?」
「……殿下。殿下がアンジェ様のことをとても大切にしていらっしゃるの、私はよく知ってます」
「……そうだね。アンジェは僕の大切な婚約者だよ」
少しばかり身構えていたフェリクスが、安堵に頬を緩ませながら頷き返す。
「だから……きっと、殿下は、アンジェ様が本当に嫌がるようなことは、なさらなかったし、これからもなさらないと思います」
「うん? そうだね?」
リリアンは首を傾げるフェリクスをじっと見る。自分のすぐ横に立っているアンジェをもう一度見上げ、フェリクスの方に視線を戻し、にっこりと微笑んだ。
「殿下。……私、負けませんから」
紫の瞳の、凛とした眼差し。
「えっ」
「なっ」
「アンジェ様っ、怒ってごめんなさいっ」
「きゃあっ!?」
ギョッとしたアンジェにリリアンがばふりと抱きつき、立ち並ぶ二つの奇跡にまふまふと顔を埋めた。アンジェはその瞬間に腰が抜けて、二人は石畳の上に倒れ込む。それを見たフェリクスは目に見えない巨人に正面からどつかれたかのようにその場でよろめき、たたらを踏み、左手で口と鼻を覆う。アンジェは全身に静電気のようなものが走ったかと思うと、ぽぽぽぽぽん、とあたり一面にピンク色の百合の花が咲き乱れた。
「きゃっ!?」
「お花! ブローチ付けてるのに!?」
「うわっ、何だ!?」
遠巻きに見ていたエリオットがギョッとする。ルナが顔を上げ、百合の花の中で呆然と抱き合うアンジェとリリアンを見て再び抱腹絶倒する。イザベラはルナを叩くのは諦めたらしく、手で口許を隠して視線をそらし、プルプルと震えている。
「アンジェ……リリアンくん……!」
感極まったフェリクスが、涙さえ浮かべながら百合の花をかき分けて二人の元へとやって来た。
「リリアンくん、大丈夫だ、何の心配もいらない……! 僕に対して勝ち負けなど気にする必要はない、君は存分にアンジェと愛し合えばいい、僕はそんな君たちを丸ごと平等に愛すると決めたんだ……後で僕を挟んでくれるなら、大いに二人で愛を紡ぐといい!」
「えっ……えっ?」
戸惑うリリアンに、フェリクスは手を差し出した。正確には片手だけ差し出せば事足りるものを、右手も左手も同時に差し出し、右手をアンジェの前に、左手をリリアンの前に持ってきた。
「えっ……?」
リリアンはギョッとして目の前の手と、ニコニコしているフェリクスと、自分を支えているアンジェをそれぞれ見比べる。アンジェは百合の花を出してしまったあたりから顔が真っ赤になったままだが、リリアンと視線が合うと、涙目でぶんぶんと首を振って見せた。
「今朝から急に仰って……訳が分かりませんの……」
「ええっ!!!???」
「さあ、アンジェ、リリアンくん、何も遠慮することはない! 大丈夫、僕の腕は強いから、二人一緒でもびくともしないよ」
「えええええええええええええええっ!!!??????」
「ごめんなさい、リリアンさん……!」
叫ぶリリアンをアンジェが抱き締め、それを見たフェリクスが感極まって男泣きをし、ルナは爆笑し、イザベラは震え、エリオットはフンと鼻を鳴らして明後日の方向を向いたのだった。
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