25-9 対話 剣術部


「お見苦しいところを申し訳ありません……フェリクス殿下、俺の未熟さを糾弾して下さい」


 思いがけない人物の鮮烈に一同慌てふためき、ガイウスは汗を拭くための大判のタオルを顔にあてがいながら、見ているアンジェが気の毒になるほどに落ち込んでぽつりとそう呟いた。


「ヴェルナーさん、大丈夫よ、そう気落ちなさらないで……」


 アンジェはガイウスがうなだれる姿がとても他人事とは思えず、つい声をかけてしまう。


「やむなく鼻血が出てしまうことなどままありますわ、生理現象ですもの」

「セルヴェール嬢……俺は貴女に酷い言葉をかけたというのに、なんと大らかな……」

「ヴェルナーさんが剣術部を慮ってのお言葉でしょう、何も気にしておりません事よ。こう、鼻の根元をしっかり圧迫なさって、頭を下げて」

「アンジェ駄目だ君が触るな! ガイウスは自分で処置できる!」


 てきぱきとテーブルに落ちた血を自ら拭いているフェリクスが、やはりてきぱきとガイウスに指示しつつ手を差し伸べたアンジェを見て、鼻血処理よりもよほど慌てて怒鳴る。


「怪我人の手当てでしてよ、なにもやましいことなどございませんわ」

「だからこそだよアンジェ! 君の優しさに触れて何も思わない男がいるものか!」

「もう、フェリクス様はわたくしを何だと思っていらっしゃるの、これでは何もできませんわ」


 やかましいフェリクス、話半分に聞き流しているアンジェの横で、兄ラインハルトが妹ルネティオットを苦々しい顔で睨みつける。


「ルナ……お前ちょっとふざけすぎだ、いい加減にしろ」


 ルナは腕を頭に巻き付けるようにして腰を妙な角度で突き出し──ちらりと見たアンジェはグラビアの表紙のポーズだと分かった──ながら、フフンと鼻で笑う。


「ライン兄上、お言葉だが、私は姫御前の勅言に従っただけだぞ」

「それは……そうだが……」

「それともあれか?」


 ルナは足を交差させて立ち、両手で自分を抱きしめるような──胸を強調するポーズをとりながらニヤリと笑う。


「兄上は可愛い妹のビキニアーマーをご所望か?」

「阿呆、世間様に醜態を晒すなと言ってるんだ。可愛い妹ぶるなら、もっと女らしい振る舞いを身に着けろ」

「ほーほー左様でございますか」


 今度は両手を腰に当てて、艶かしく上体から腰にかけてカーブを作る。


「後でボッコボコにされても泣くなよ兄上」

「うるせえ鍛錬狂い」

「お褒めに預かり妹は感激しているぞ」

「うるせえさっきからなんなんだ、くねくねすんな」

「ほれほれ想像してみろビキニアーマーを」

「やめろ、誰が妹で想像するか」

「ほう、じゃあ誰なら想像するんだ? ん?」

「やーめーろ」


 兄と妹の丁々発止のやり取りの傍らで、王女イザベラは一人唇を嚙み締めて俯いている。だがタオルに埋もれるようにして落ち込んでいるガイウス、そのガイウスの世話を焼くアンジェとフェリクス、ルナを叱るのに忙しいラインハルトは、誰もその様子には気がつくことはなかった。


「それで……どうなさるんですの、ガイウス・エスタ・ヴェルナー」


 ガイウスの鼻血が止まり、ルナが兄をからかうのにも飽きた頃、改めて席に座った剣術部部長ガイウスは、アンジェに代わって椅子に座った王女イザベラと真っ向から対峙することになり、真っ青になってブルブルと震え上がった。


「アンジェちゃんの入部に関して、わたくしは誓って何も私見を差し挟みませんことよ。ただルネティオットに特別な服を着て欲しいと、友人のよしみでお願いするだけですわ」

「……は……」


 ガイウスは俯きながら横目で自分の脇に立つ人物──フェリクスとラインハルトを見る。二人とも涙目でぶるぶると首を振るばかりで、何も言葉を発することは出来ない。


「どうなさるの」


 微笑みを浮かべず、扇子で口元を隠すこともないイザベラの眼差しは、吹雪のように冷たく猛獣のように鋭い。彼女の両脇には、腰に手を当てたアンジェ、腕組みをしたルナがそれぞれ控え、二人してニコニコと微笑んでいる。


「結局どちらになさるの、ルナ」

「うーん。どっちも好みだが、明日からとなると手に入るものが限られるからなあ。オドリコの方がやや現実的かもしれんな」

「ええ、ぜひ、オドリコでお願いしたいわ!」

「お前もなんかコスしたらどうだ」

「嫌よ、わたくし初心者だもの、そんなことして楽しむ余裕なんてなくてよ。そもそも入部させていただけるかどうか分からないのよ」

「それもそうか。ま、入部できなくても見に来いよ」

「勿論ですわ!」


 クスクスクス、と笑い合う親友二人。厳冬の女王のごときイザベラ。ガイウスは俯き、呻き、大柄な身体の中に詰め込まれているものを全て絞り出すかのように長い長いため息をつくと、実に青ざめた顔をゆっくりと上げた。


「……イザベラ王女殿下。俺……私の浅はかな発言で、ご不快な思いをさせてしまったこと、心よりお詫び申し上げます。誠に申し訳ありませんでした」

「ええ」


 イザベラはやや顎を上げながら尊大な様子で相槌を打つ。


「私は……自分の弱さと愚かさを知りました。セルヴェール嬢にも、シュタインハルト嬢にも、失礼な物言いをしてしまいました。お二人にも心よりお詫び申し上げます。本当に申し訳ありません」

「……それで?」

「……我が剣術部は、セルヴェール嬢の入部を心より歓迎いたします。正式な女子部員はセルヴェール嬢お一人ですが、部員たちとシュタインハルト嬢が彼女の良き手本となることでしょう」

「そうね」

「ありがとう存じます、ヴェルナーさん!」


 淡々としたイザベラ、きゃああと喜ぶアンジェ、ニヤニヤしているルナ。ラインハルトはがっくりと肩を落とし、フェリクスは自分の葬式を目の当たりにした幽霊のような顔をしている。


「ですから……どうか」


 ガイウスはがばりと頭を下げる。彼の目尻から飛び散った透明な雫が、ぼたぼたとテーブルの上に落ちる。


「…………ビキニ……アーマーだけは…………ご容赦ください……」

「どうなさるの、ルナ」


 イザベラが眉一つ睫毛の一本も動かさずに言うと、傍らのルナがクックッと笑う。


「どうなさるも何も、姫御前が言い出したことだろう」

「……わたくしに決めろと仰るのなら、明日でなくてもよいから一度くらい着ていらっしゃい。久々に見たいわ」

「御意」

「きゃあ、楽しみですわ!」


 アンジェはルナの手を取ってきゃあきゃあと騒ぎ、イザベラは満足げに微笑みながらゆったりと緊張を解く。落ち込むフェリクス、げんなりしているラインハルト、ガイウスは沈痛な表情で机の上で拳を握り締めながらしくしくと泣いたのだった。


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