25-8 対話 剣術部+禁じ得ず鮮烈

 いつかルナと一緒に訪れた剣術部の部室は、真冬でも汗が乾いた匂いが籠っている。


 あの時は壁一面に並べられていた防具のほとんどが出払っていて、部室内はがらんとしていた。お菓子クラブの部室と同じ間取りなので、防具棚がなければ魔法オーブンなどを設置する前と同じだとアンジェは思った。部室の奥側にある小さく仕切られた個室の中に、剣術部部長のガイウス・エスタ・ヴェルナーと、副部長のラインハルト・ヨシツネ・シュタインハルトが、何とも言い表しがたいほどに渋い顔をして、それぞれ狭そうに椅子に座っていた。ガイウスは刈り込んだ黒髪と浅黒い肌の筋骨隆々とした大男で、ルナの兄ラインハルトも色白の部類ではあるが、すっきりとした目鼻立ちに、厚みはあまりないがよく引き締まった体躯の──こちらの言い方で言えばヒノモトの雰囲気を感じさせる、祥子の言葉ならばアジアン系の顔立ちと体型だった。ルナと同じ色のグレーの髪は、ガイウスと同じように短く刈り込んでいる。そんな恵体の二人がフェアウェルローズカラーのジャージを着て、窮屈そうに並んで座っている様は、面と向かって対面すると、どこか滑稽でもあった。


 テーブルをはさんだ向かい側で、アンジェはそんな内心は微塵も見せずににっこりと微笑む。


「……お受けいただけますか、ヴェルナーさん」

「…………」

「…………」


 席についているのはアンジェだけだったが、そのすぐ傍らにはルナ、王女イザベラ、イザベラの護衛官が壁に沿って並んで立っていた。護衛官は無表情、ルナはニヤニヤ笑っていて、イザベラは姫極まりなく典雅に微笑んでみせている。小柄な身体、白くてほんのりと色づいて柔らかな肌、きっちりと結い上げたプラチナブロンド、王子と同じ緑色の瞳。ルナと同じ制服を着て立っているだけのはずなのに、その布地の下にまろやかな曲線を隠していることがありありと分かる、完璧な立ち方。小さな息遣いからは花の香りが漏れてくるようで、剣術部の二人はもうそれだけでどぎまぎしていて、顔を上げることが出来なかったのだ。


 アンジェが書いた事業計画、もとい進捗管理表、いや今後の行動と課題を取りまとめたメモには、アンジェが剣術部に入部することも書かれていた。いずれまたノブツナに弟子入りを頼み込む心づもりではあるが、それにしたって基礎が足りていない。ルナをずっと拘束するわけにもいかないし、他のことも頼みたい。アンジェを取り囲む現状において、剣術の腕を底上げするための最適解が、剣術部への入部だったのだ。先日のガイウスの態度を見るに、あまり歓迎されないだろうことを見越して、イザベラに応援を頼んだのである。


「あー……その……」


 先日のシュタインハルト別邸で話した時に比べ、ガイウスは随分と歯切れが悪い。姫を被ったイザベラは、入室時に「アンジェちゃんはわたくしの大切なスカラバディですの。彼女が孤軍奮闘しているのを、どうして応援してやらずはいられるのでしょう? ああ、違いましてよ、決して無理を通していただきたいわけではないの……誤解なさらないでね。ただただ、妹を応援したい姉の気持ちを汲んで、この場を見守ることを許してくださいませね」とだけ告げ、実際その通りに何一つ口出しはしていない。だが王族がそこにいるというだけで、交渉の席の一方を応援すると明言してその場にいるだけで、その場に与える重圧はいかほどのものだろう? 見た目通りに実直な性格のガイウスはそれだけで萎縮して押し黙ってしまい、ルナの兄ラインハルトは苛々しながら妹を睨むが、結局何も言うことはできない。ガイウスは苦しげに顔をしかめていたが、やがて何かを観念したように自分の拳で膝を叩くと、ゆっくりと顔を上げてアンジェを正面から見据えた。


「……セルヴェール公爵令嬢」

「はい」

「部活は、カミイズミ道場ほどは厳しくありません。女子禁制でもありません。しかし現在、女子部員は一人もおりません。それは剣術の稽古が女子には厳しいことの表れだと、俺は思っています」

「ごもっともかと存じますわ」


 アンジェはにこりと微笑む。


「厳しいからこそ入部を希望しているのですわ。女子だからといって、特別扱いはしていただきたくありません。練習の負荷を減らしていただくことも不要です。怪我をしても、皆様と同じ安全配慮さえしてあれば、他の方と同様、自己責任かと思いますわ」

「しかし……」

「入部するにあたって、他に何か、障害となるものがございまして? それらはすべて排除させていただきますわ」

「障害……というより……」


 ガイウスがアンジェの真っ直ぐな眼差しを正面から受け止められずに視線を逸らす。苦々しく顔をしかめていたラインハルトが、そんな兄を眺めてニヤニヤしていたルナが、ふと二人揃って部室入り口のほうに視線を移す。ほどなくして誰かが猛烈に走っている足音が近づいてきたかと思うと、剣術部の部室の扉が乱暴に開けられ──


「アンジェ!!!」


 今にも泣き出しそうな顔のフェリクスが、息も絶え絶えになりながら部室に飛び込んできた。


「フェリクス様!? 生徒会長付の会合ではありませんの!?」

「アンジェ……ああ、アンジェ、剣術部に……、入るだなんて……アンジェ、駄目だ、それは……!」


 アンジェはギョッとする──フェリクスに予定が入っていて、剣術部に顔を出さなそうだということまで確認してから入部希望に訪れたのだ。慌てるアンジェとは対照的に、ガイウスとラインハルトはどこか安堵した様子で互いに目くばせし合う。フェリクスは荒い息を整えつつ大股に歩いてきて、奥の小部屋のところまでやって来た。


「ラインハルト、言伝ことづてをありがとう、ガイウス、僕が来るまでよく待っていてくれた……二人とも本当にありがとう、心から礼を言うよ……」


 芝居がかった仕草でフェリクスは学友二人の手を順番に取ってぶんぶんと振る。それを見たアンジェは呆然とすることしかできない。ルナはニヤつく口許を手で覆い隠し、イザベラは手にしていた扇子をぱちん、と鳴らしながら前に進み出た。アンジェに聞こえるか聞こえないか程の小さな声で何かぶつぶつと呟きつつ、王女はアンジェの隣、ガイウスの横に立っているフェリクスとアンジェを遮るような位置に立つ。


「ご機嫌よう、フェリクスくん」

「ああイザベラ、君もいたのか。良い午後だね」

「偉大なるフェアウェルの次期国王、フェリクス・ヘリオス・フォン・アシュフォード・フェアウェル殿下。貴方の従妹、イザベラ・シュテルン・フォン・アシュフォードですわ。こんなところでお会いするなんて奇遇ですこと」

「……イザベラ……」


 小柄な王女はにっこりと微笑んで王子を見上げているだけだが、フェリクスはたじろいで思わず一歩後ろに下がる。イザベラはずいと一歩前に出る。


「先日は素敵な扇子を贈ってくださってありがとう……わたくしの好きな淡い真珠色で気に入っておりますの。お心遣いに感謝いたしますわ」

「それは……良かった……」


 フェリクスがイザベラの扇子を怒りに任せてへし折ってしまったので、贈ったというよりも弁償と言ったほうが正しい。イザベラはこれ見よがしに扇子を広げて蝶が舞うようにひらひらと仰いで見せ、それから自分の口許を隠し、更にずいと一歩前に出た。フェリクスと、横に並んで座っているガイウスとラインハルトまでも、何故かびくりと身体を震わせる。


「わたくし、わたくしの大切なスカラバディのアンジェリークさんを応援したくて、こうしてご相伴にあずかっておりますの……そこにフェリクスくんがいらしたから、とても驚いたわ。ねえ、フェリクスくん、今日はどんなご用事でこちらにいらしたのかしら?」


 イザベラの手がアンジェの肩にそっと置かれた。大切なスカラバディ、という言葉にアンジェは昨年のイザベラの厚情を思い出して胸の奥がこそばゆくなる。ルナは壁に突っ伏しながら震えていて、イザベラの護衛官は釘でも踏んづけて貫通したかのような痛々しい顔でうつむき、イザベラから視線を逸らしている。

 

「……その……」

「はっきりと仰ってくださる?」


 ぴしゃりと言われて、フェリクスは生唾を飲み込む。イザベラは微笑むばかりで何も言わない。アンジェはイザベラから鬼神のごとき怒りのオーラが立ち上っている錯覚が見える気がしてきた頃、フェリクスは観念したようにため息をつき、首をゆっくりと降った。


「イザベラ……アンジェ。僕の可愛いアンジェリーク。剣術部は駄目だ……」

「それは……」

「……どうしてですの、フェリクス様?」


 イザベラはわざと言葉を遅らせ、アンジェが口を差し挟む隙を作った。アンジェが睨むようにフェリクスを見上げたのを見て、満足げに微笑み、アンジェの肩に乗せた手に力が込められる。


(自分で、フェリクス様と話せということなのね……)


「先日の、カミイズミ様のご指導の門下となれないことは分かりましたわ。けれど部活に入ることは、どなたの許可も必要ないのではありませんこと?」

「アンジェ……それはそうなのだけれど、駄目なんだ」


 フェリクスは両手を投げ出すようにしてアンジェに訴える。アンジェはあくまでも微笑みを絶やさず、だが感情がこもり過ぎないように気を付けながら言葉を続ける。


「わたくし個人が部活に入るのに、何故フェリクス様のお許しが必要なのでしょうか? わたくしがセレネス・パラディオンを目指すことには猶予をくださったのに、そのために努力することはお許し下さらないの?」

「アンジェ……違うんだ。そんなに剣を習いたいなら、本末転倒だが僕とルネティオットが教えたっていい。でも剣術部は駄目だ、後生だから」

「駄目だ駄目だと仰るだけでは、はいと答えられるものも答えられませんわ」


 アンジェは青い瞳でじっとフェリクスを見上げる。フェリクスはアンジェを見下ろして悲しげに顔を歪め──ため息をつきながら、テーブルに手をついて俯く。


「君は……自分がどれだけ魅力的なのかを、分かっていないよ、アンジェ……」

「フェリクス様……」

「僕は君にセレネス・パラディオンを目指してほしくない。剣の稽古なんてして、君の綺麗な肌が痣になったり傷が残るかもしれないのが嫌だ。だけど僕が今一番言いたいのはそれじゃない。……ガイウス、ラインハルト、気を悪くしたら済まない……」


 俯いて、この世の終わりとばかりに悲嘆にくれた顔で、フェリクスは何度も首を振る。


「駄目だ、耐えられないよ、アンジェ……君が男ばかりの剣術部に入部して、彼らと一緒に鍛錬するなんて!」

「……えっ?」

「いいかいアンジェ、剣術の鍛錬は、剣を振っているばかりじゃないんだ。走ったり、筋力をつけるための負荷運動をしたり、身体を柔らかくするための体操もするよ。一人でやるばかりじゃない、二人一組になってやるような動きもある。それを……それを、アンジェが、僕の愛しいアンジェリークが……剣術部の部員とはいえ、僕以外の男と……やり方を教え合ったり、手を取り合ったり……! 僕は絶対に嫌だ! その男子生徒だって君の魅力にあてられて、何か間違いが起きないとも限らないだろう! だから剣術部には入らないで欲しいんだ!」


 フェリクスはほとんど泣き出しそうになりながら叫び、最後にはアンジェの手を取って切々と訴えた。ルナはもう立っていられないらしく、うずくまって床をバンバンと叩きながら悶えていて、イザベラはきわめて不機嫌そうな半眼になって涙目の従兄を睨んでいる。


「そっ……そんな、理由、ですの!?」

「そんな理由だよ……そんな理由だ! なあ、ガイウス、ラインハルト、僕の気持ちを分かってくれるか!?」


 フェリクスががばりと男子二人を振り仰ぐ。アンジェは二人が渋い顔をしているだろうと思いながら視線を移したが、意外にも二人は神妙な顔でうんうんと頷いていた。


「俺は、殿下のお心に皆まで寄り添えているかは分かりませんが、概ね同意です」

「だろう、ガイウス!」

「入部を歓迎しない理由には、殿下がご心配なさるから、も大いにあります」

「だろう、だろう!」

「それに……セルヴェール嬢の気概がどれほどのものでも、どうしたって身体的な差は埋められません。しかも剣術は未経験です。どうしても他の部員に比べて劣る彼女を、助けると言えば聞こえはいいが……結果として甘やかしてしまう。セルヴェール嬢だけ特別だからと持ち上げるのも、彼女が許されたのだから自分たちもと怠惰の糸口になるのも、どちらも貴女の望むところではないのではないですか」


 苦い顔で言ったガイウスに、フェリクスは天の救いが舞い降りたとばかりに激しく頷く。アンジェは傍らのイザベラを、床でうずくまっているルナをそれぞれ見た。ルナが何を考えているのかはさっぱり分からないが、アンジェの肩に手を置いたままのイザベラがその話に感銘を受けたわけではないのは、痛いほど食い込む爪先のおかげで分かった。


「……ヴェルナーさんは、部員の皆様どころか、ご自身のこともそのように卑下なさるの?」


 表面上は淡々と尋ねたアンジェに、ガイウスは頷きつつもアンジェの方を見ようとしない。


「……部の秩序を保つためです」

「けれど、ルナは時々剣術部にも顔を出しているのでしょう? ルナは良くてわたくしは駄目なのは何故ですの? 剣の腕が至らないのは致し方ないですけれど、それを言ったら、新入生には未経験の方もいらっしゃるのではありませんの?」


 アンジェの反論の方向性が予想外だったのか、ガイウスは目を見開いたが、ゆっくりと首を振った。


「ルネティオットは、まあ……剣の腕が立つのもありますが。男と同じようなものなので」


 その瞬間、ばきん、と、何かが折れる音がした。


「……ルナ。ルネティオット・シズカ・シュタインハルト」


 いつの間にか、アンジェの肩に乗っていたはずのイザベラの手が離れている。


「イザベラ様……?」

「おう、どうした、姫御前」


 ルナはまだ肩を震わせながらよろりと立ち上がり、メガネを外して目尻に浮かんだ涙を拭う。イザベラは何も言わずに振り向いてルナのことをじっと見上げた。女子にしてはかなり上背があり、ここにいる誰よりも鍛え抜かれた身体。イザベラは視線をフェリクス達に戻す。さりげなく手にしていたもの──王女の小さな手が力任せにへし折った、弁償されたばかりの扇子をポケットにしまう。


「わたくし、アンジェちゃんの入部に関しては、何一つ口出しはいたしませんわ。その代わり、わたくしが親愛する貴女にお願い事をしたいの。よろしくて?」

「御意のままに」


 ルナが胸に手を当てて頭を下げると、イザベラはフンと鼻を鳴らした。


「貴女、明日から、剣術部の部活がある時は必ずそちらにお出なさい」

「はあ。構わんが面倒くさいな」

「四の五のお言いでなくってよ。それで、出る時は必ず、ビキニアーマーでお出なさい」

「……なんて言った?」


 聞き返したルナに、イザベラはもう一度きっぱりと言い放った。


「アンジェちゃんの入部許可が出るまで、毎日、ビキニアーマーで剣術部にお出なさいと申したわ」

「イザベラ様、何を仰るの!?」


 アンジェはギョッとしてその場に立ち上がりイザベラに取りすがるが、怒気もあらわなイザベラは男子三人──その中でも特にガイウスを睨んでいるだけで取り合わない。


「思い知ればいいのよ!」

「……何を言い出すかと思ったら」


 ルナは至極楽しそうな、かつとても悪そうな笑みを浮かべつつ頷いて見せる。


「いいぜ、スリーのオンナセンシで行ってやる」

「頼んだわよ」

「待って、お待ちになってルナ! 貴女ならオンナセンシよりフォーのオドリコよ、間違いないわ!」

「マジか。どっちでも構わんぞ」

「アンジェ……済まない、その、ビキニアーマーというものは一体何だ? アーマーというからには鎧なのか?」

「まあ、お待ちになって」


 フェリクス、ガイウス、ラインハルトは目の前のやりとりが全く分からないらしく、乙女たちがギャーギャー騒ぐのを鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして見るしかできなかった。遠慮がちに声をかけたフェリクスに、アンジェは自分のノートとペンケースを取り出し、何も書いていないページを開く。


「こう……女性にょしょうがいるとしまして……」


 アンジェは鉛筆で、型抜きクッキーの人形のような形をさらさらと書く。男子三人はしげしげとその手許を覗き込む。


「何も身に着けていないところに、こう……胸当てと……下履きがありますの」


 四人の視線がアンジェのノートに集中しているのを確認すると、イザベラはルナの方に歩み寄り、脇腹のあたりに力なく殴り掛かる。


「肩当や腰布があったり、この上からマントを羽織る場合もありますわね」


 二発。三発。ルナは笑いながらその拳を手で受け止める。


「これだけですわ」

「これだけって……防具じゃないのか? 急所を何一つ守れていないじゃないか」

「ええ、そういう防具……衣装なんですの」

「この防具の下に何か、肌着やズボンのようなものを身に着けているんだろう?」

「いいえ、何も身に着けていません事よ。素肌ですわ」

「…………」

「…………」

「…………」


 フェリクス、ガイウス、ラインハルトは、何も言わないがそれぞれ深呼吸し、目を見開き、拳を握り締める。


「姫御前に言われたんじゃ、仕方ない。毎日着るとするか」


 ルナはニヤニヤしながら言うと、わざとらしく両手を上げて伸びをしてみせる。制服のブレザーの上からでも、アンジェとは違う、鍛え抜かれ無駄のない曲線と、ゆるやかな重みが垣間見える──


「……うあっ」


 その瞬間、ガイウスが変な声を出したかと思うと、ばっとその顔を手で覆う。だが無情にもその太い指の隙間からたらたらと鮮烈が溢れ出し、しばらくずっと止まらなかったのだった。



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