25-7 対話 ルナとイザベラ

 追加のピザがサラミとパイナップルのトッピングだったので許容派イザベラと断固拒否派のルナが激しく言い争い、最終的に額に青筋を立てたイザベラの前でルナが実に不味そうな顔をしながら一ピースを完食して見せ、王女殿下の機嫌は保たれた。


「うえ……あまっ」

「その甘いのがいいのじゃない」

「果物は果物で分けて食いたい……」

「細かいことでごちゃごちゃとやかましいこと。偏食は昔と同じなのね」

「へーへーこれは偏食とは違うと思うがな」


 横でいきさつを見守りながらサラミパインピザを食べていたアンジェは、二人のやりとりを見てクスクスと笑う。


「お二人は転生しても仲がよろしくて、本当に素敵ですわ」

「うふふ、ありがとう、ショコラちゃん。そういう貴女は、今日はリリアンさんとご一緒ではないの?」

「えっ」


 アンジェが動揺して目線をそらしたその瞬間、ルナが口にサラミパインピザが入ったまま吹き出しかけ、口を押さえて盛大にむせる。イザベラはその様子をじっと見ていたが、やがてにっこりと微笑み、ゆっくりとアンジェのほうに視線を送った。


「アンジェちゃん」

「……はい」


 こういう微笑み方をするときのイザベラの圧はものすごい。フェリクスと対峙した時の殺気もかくや、見つめられたアンジェは視線を逸らすことが出来なくなってごくりと喉を鳴らす。


「貴女、今日、雪用ブーツのサイズは大丈夫でしたの?」

「……イザベラ様のお心遣いにアンジェリークは感激いたしました。けれど、残念ながらわたくしの無骨な足では、イザベラ様の華奢で清楚なお靴は履きこなすことが出来なかったのですわ。お気持ちばかりこの胸に留めて、別の方のをお借りいたしましたの」

「四角四面に答えられてもつまらなくてよ、王宮うちにいたってことはフェリクスくんに連れてこられたのでしょう? 何がありましたの、部屋は別々ですことね? ……まさか薄い本?」

「…………」


 アンジェは視線を逸らしたくても逸らすことが出来ず、たらりたらりと冷や汗をかく。横にいるルナが堪え切れずにごふっと吹き出して、両肩を自分で抱えてクックッと笑いながら震えている。イザベラはフェリクスと同じ緑色の瞳を見開き、扇子を広げて口許を隠す。


「……そのまさか、なの?」

「………………………………はい」

「なんってことっ!!!!!!」


 観念したアンジェが小さく小さく頷いた瞬間、イザベラはくわっと目を見開いて扇子を放り出し、アンジェの肩をがしりと掴んだ。


「貴女、リリアンさんに恋していたのではなかったの!? 一緒にいないからと思ってカマかけてみたらそれが事実だなんてことありまして!? あの聴衆の胸を打った新年会での告白はなんでしたの!? 舌の根も乾かないうちにどうしてそんなことに……」

「い、イザ、ベラ、様」

「そうだそうだ、私もそのへんは聞いてないぞ、話しやがれ赤ちゃんべべ・アンジェ」

「あっ合意? 合意の上なのかしら、フェリクスくんの性格的に無理やりというのはあまり……薄い本的にはそれもまた……いえメロディア、ナマモノを二次元と混同してはいけないわ……」

「イザ、ベラ、様、話し、ます、から」

「それともベッドの上では豹変するタイプ? アンジェちゃんもドエム? いえでもフェリクスくんの方がどう見てもエムガオ……カクレキチクエスだというの? なんて業の深い……」

「はな、しま、す、イザベラ、様」

「いえでも現実で合意でなかったら事案ではなくて? 事案? フェリクスくんが? ねえアンジェちゃん事案なの? ねえ?」


 イザベラはものすごい早口でまくし立ててアンジェをがっくんがっくんと揺さぶり、それを見ていたルナは円卓の空いているところにばたんと倒れ伏してゲラゲラと笑っている。アンジェは顔どころか全身が真っ赤になりしどろもどろにイザベラに訴えたが、結局ルナが爆笑しながら王女をアンジェから引き離すまでは何一つその言葉を拾ってもらえなかった。


「わたくしも……聞いていただけたらと思っておりましたの。自分でももう、分からなくて……」


 まだグラグラと揺れているような錯覚がしつつ、アンジェはここしばらくのことをかいつまんで話した。リリアンの入寮の日の帰り際のこと。それからしばらく、忙しくてゆっくりと話す機会がなかったこと。昨日ルナの祖父にして先代セレネス・パラディオンたるノブツナの道場に赴き、フェリクスと立ち合いをしたこと。立ち合い中に襲い来たマラキオン。稽古の間、リリアンと話していたこと。セレネス・パラディオンの剣のこと。馬車に乗る時に試してみたこと。帰り際の柔らかな衝撃、フェリクスの鮮烈と昏倒、泊ってくれと懇願した侍女、逃げられないけれど温かな腕、たくさんの痣。そんな自分をすべて見透かしたかのような、怒れるリリアンの紫の瞳。ルナは突っ伏したり天を仰いだりイザベラやアンジェに抱きついたりして笑いまくっていたが、その都度イザベラが手刀で叩きながら諫め、何とか全てを話し終えることが出来た。


「よし大体分かったわ!」


 イザベラは話を聞き終えるや否や、拳を握り締めてすっくと立ち上がった。


「とりあえずあの朴念仁をシメてくればよろしいのね!」

「お待ちになってどうしてそうなるんですのイザベラ様!?」


 つられて立ち上がろうとしたアンジェを、イザベラはまたしてもがくがくと揺さぶる。


「だってそうでしょう、アンジェちゃんが断りにくい立場なのをいいことに好き放題して! 百合に挟まる野郎は王子だろうと死刑ですわ、そんなに挟まりたいのならこのイザベラがちょん切ってくれましょう!」

「ヒエッ、やめてくれ、ちょん切るのだけは……!」

「貴女はもうついてないでしょう!」

「心のタマまで消した覚えはないね」

「名言っぽく言うと腹が立つわ……」


 怒鳴りすぎて息切れしているイザベラ、目を回しているアンジェ、ニヤニヤしているルナ。三人して、特にイザベラの呼吸が落ち着くまで、僅かな間の沈黙が生まれる。


「フェリクスくんをちょん切るのは、また後で考えるとして……」

「考えるのか……」

「考えるわよ」


 ぽつりと呟いたイザベラに、ルナが身震いしながら応え、イザベラも頷き返す。


「アンナにもよく言っておかなくちゃ」

「イザベラ様、アンナさんにはどうかお咎めは……」

「処罰などしませんわ、よくやってくれているもの。アンジェちゃんと仲良くなる方法を教えるだけよ」

「そうでしたか……それはどんな方法ですの?」

「うふふ、アンジェちゃんに教えたら意味がないでしょう?」


 首を傾げたアンジェにイザベラがにこりと微笑んだあたりで、午後の授業の予鈴が鳴った。


「ああもう……話し足りないわ。肝心なところが話せていないじゃない」


 何か言おうとしていたイザベラは、心底残念そうに言うと、どさりと自分の椅子に腰かける。ルナは円卓に立て肘をしながらニヤニヤと笑い、ふっと鼻を鳴らす。


「サボっちまおうぜ、姫御前」

「そうしたいけれど駄目よ、人目があるもの……こういう時は姫でいるのが面倒になるわ……」

「素晴らしいお心がけですわ、イザベラ様。それでこそ姫の中の姫でしてよ」

「でしょう、ありがとう、アンジェちゃん」

「へーへー、どうせ私だけ不真面目ですよ」

「ルナだって実際にサボっているところはあまり見たことはなくてよ? 授業中に内職はしているみたいですけれど」

「あーうるせーうるせー」


 アンジェの言葉にルナは肩をすくめて見せたが、それ以上反論することはなく、残っていたサラミパインピザを、嫌な顔をしつつもぺろりと食べてしまった。アンジェも冷めかけたお茶を飲み干してからその場に立ち上がる。


「わたくし、今日の放課後に、もう話をしに行くつもりです。少しでも日が惜しくて」

「そうね、それがよろしくてよ。わたくしも都合をつけて同伴いたしますわ。ルナもそうなさい」

「おう、心得た、姫御前の望みとあらば」

「ありがとうございます、イザベラ様、ルナ……」

「いいのよ、アンジェちゃん。その代わり、ご自分でよく考えてね、リリアンさんのこと」

「はい……」


 顔をしかめてうつむいたアンジェに、イザベラは厳しい目線を向ける。


「フェリクスくんを拒めなかったのは仕方ないとも言えるけれど、結局はアンジェちゃんの事情でしょう。リリアンさんからしたら面白くなくて当然よ」

「はい……それは、わたくしも……そう思います」

「今朝の行動のことも。人生二週目のわたくしたちが寄ってたかって答え合わせをしてもいいのだけれど……アンジェちゃんが、一人で気づいて差し上げなさい。リリアンさんはそれが一番喜んでくださることでしょう」

「……はい」


 アンジェは目頭が熱くなるのを堪えて唇を引き結び、深々と頭を下げたのだった。




*  *  *  *  *




 三人揃って貴賓室を出ると、もう一方の貴賓室にメイドが入っていく後姿が見えた。近くにはイザベラ付の護衛官しかいないので、フェリクスはもう退室した後なのだろう。顔を合わせなくて良かった、とアンジェは内心安堵する。フェリクスに対して、どんな顔をすればいいのか分からない。時間が経てば経つほど、自分の意志と決断の在処がどこにあったのか、輪郭を失ってぼんやりとしていってしまう。


 階段を下りてカフェテリアに戻ると、大半の生徒は食事を終えてクラスルームに戻ろうとしており、ゆるやかな人の流れの波が出来ていた。アンジェは無意識に生徒たちの間に視線を向け、リリアンがどこかにいないかと探してしまう。ストロベリーブロンド。鈴が転がるような、だが時に凛とした芯を持っている声。小さな背、華奢な身体、柔らかな唇……。頬が熱くなったあたりで、カフェテリアのテラスの更に向こう、雪が積もった芝生のあたりをさくさくと歩いているストロベリーブロンドが見えた。


「り……」


 名前を呼ぼうとしてアンジェは口をつぐむ。リリアンは一人ではなく、青い髪のエリオット少年と一緒に歩いていたのだ。


「お、アンジェ、見つけたか」

「まあ、アンジェちゃん、大丈夫?」


 足を止めたアンジェを見て、ルナが視線の先にあるものを確かめながらニヤリと笑う。イザベラも同じ方向を向いたが、アンジェとルナに比べてかなり背が低いため、人ごみに遮られて見えないようだった。


(リリアンさん……)


 リリアンとエリオットは何か真剣に話しながら歩いている。エリオット少年はコートどころか制服のジャケットも脱いでワイシャツ一枚の姿だ。空は曇天、そこかしこに雪かきをした雪山があるなど底冷えする寒さだというのに、寒がるどころか暑いと感じているらしく、シャツの襟元をばさばさと揺するようにして仰いでいた。今朝リリアンに貸したアンジェのコートは彼女にはやはり大きすぎるらしく、袖から手がほとんど出ておらず、コートの裾もふくらはぎの中ほどあたりまで来ていた。二人はどんどんカフェテリアに近づいてくる。生徒たちの数もまばらになってきて、必然的に比較的声の大きいリリアンの甲高い声が否でも耳に入ってくる。いや、聞くまいとしても無意識に聞いてしまう。


「そうしたら、急にばーってなって、すっごい早いの! 初めてなのにすごくない!?」

「しかも試合中にいきなりだろ? 相当すごいと思うぜ」

「だよねえ、私びっくりしてさ」


 リリアンは身振り手振りも交えて何かを一生懸命伝えようとしていたが、不意にカフェテリアの中ほどからじっと自分を見つめている人物に気が付き、足を止めた。


 アンジェとリリアンの視線がぴたりと重なる。


「……リリアンさん。アンダーソンさん」

「……ざっす」


 アンジェが遠慮がちに声をかけると、エリオットはぺこりと頭を下げ、リリアンはきらきらと輝きの名残が残る眼差しをアンジェに向けた。そのまま何か喋りたそうに口を開くが、言葉は出て来ない。やがて瞳から輝きが失われ、いつかのように深々とため息をつくと、すっと視線をアンジェから逸らして俯いてしまう。


「おい、リコ、セルヴェール様だぞ」

「うん。……いこ、リオ」

「おい!? お前それちょっと失礼じゃねーか!?」

「いいの」


 リリアンは喚いているエリオットを押しのけるようにすると、もう一度アンジェをちらりと見上げた。重なる目線、一秒、二秒。三秒経ったかというあたりでリリアンはぺこりと頭を下げ、それからプイとそっぽを向いて一人クラスルームへと走り去ってしまった。


「あーもー、リコ! 待てよ!」


 エリオットも一同にしっかりと頭を下げると、バタバタとリリアンの後を追いかけて行ってしまう。残されたアンジェは呆然と立ち尽くして二人が去っていった方を見るしか出来ない。


「……これは……」

「相当、ご立腹ね……」


 ルナとイザベラは二人してそう呟く。ルナは笑いを堪えながら、アンジェの背をばしんと力強くたたいてみせる。


「大丈夫だ、赤ちゃんべべ・アンジェ。なるようにしかならん」

「……せめてルナくらい、上手くいくと言ってちょうだい……」


 呻くようなアンジェの言葉に、ルナは高らかに笑い、イザベラも口許を隠しつつクスクスと笑ったのだった。



 


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