25-6 対話 ルナとイザベラ
「はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ」
アンジェがクラスルームに入ると既に授業が始まっていて、クラス全員の注目を集めた。教師は注意すべき相手がセルヴェール公爵令嬢だったので一瞬たじろいだが、平静を保って遅刻の理由を尋ねたところ、アンジェは「わたくしのスカラバディが雪道で転倒して制服を大いに汚してしまい、彼女の着替えなどを手助けしたため遅れました。申し訳ありません」と答えたところ、皆が少しばかりさざめく中、ルナが自分の額を机に打ち付けて突っ伏し、そのまま授業が終わるまで震え続けていた。教師は何も言わず授業はつつがなく進行したが、ルナは待ちに待ったであろう昼休み、カフェテリアへと向かう道すがらにアンジェの話を聞くや、大口を開けてひっくり返りそうになりながら爆笑した。
「ルナ、せめてもう少し小さい声で笑ってちょうだい……」
「朝っ……朝チュンが子リスにバレて……キレた子リスが転んで……ダメだアンジェ、どうして私を呼ばなかったははははは」
「呼んだら笑うからに決まってるでしょう……」
「これが笑わずにいられるか! あの後なにをどうやったら朝チュンの流れになるんだよ……どんだけヤりたいんだ殿下は、運命の女神も楽じゃないな」
「ルナ、口を慎みなさい!」
「ははははははは、駄目だ、止まらん、ははははははは」
ルナはまともに立っていられずアンジェに寄りかかるようにしながら歩く。ノートとペンケースを持っているアンジェは呆れつつもルナを支え、二人は購買部を素通りし、貴賓室へと続く階段を上がっていく。毎日のように訪れている貴賓室だが、王族の使用が重複するときに備えて複数用意されている。いつもフェリクスが使う貴賓室は今日は使われておらず、もう一つの部屋の前に護衛官が立っており、現れたアンジェとルナを見ると、黙礼してから二人を室内へと招いた。貴賓室のそれぞれの部屋の作りに大差はない、窓から見える景色の位置が多少ずれる程度だ。
「ご機嫌よう、アンジェちゃん、ルナ。お待ちしておりましたわ」
円卓の一番明るい席に座っていたイザベラ・シュテルン・フォン・アシュフォードが、プラチナブロンドをきっちりと結い上げた完璧ないでたちでにこりと微笑んで見せた。
「姫御前、ルネティオット・シズカ・シュタインハルトが参上いたしました」
爆笑していたのはどこへやら、ルナは涼やかな笑みを浮かべると、床に手と膝をついて武人の礼をしてみせる。イザベラは満足げに頷いて右手を差し出すと、ルナは恭しくその手を捧げ持って見せた。傍らでそれを見ていたアンジェは、きゃああと叫びながら頬を染めて瞳を輝かせる。
「めっ……メロディアさんとっ、ユウトさんがっ、めっ、目の前にいらっしゃいますわ……!!!」
「何だ、何度も見てただろう」
「だって、ただぼんやり見ていたのと、ご本人だと存じ上げているのとでは解像度が違いますわ……ルナ貴女、顔は良いのよ、顔はとても良いの……イザベラ様も、あの頃のメロディアさんの美しい動作そのまま、いえそれ以上で……本当に素敵でいらっしゃいますわ! ああ祥子、今日は素晴らしい日ね!」
「うふふ、ありがとう、アンジェちゃん。でもごめんなさいね、今日は姫モードはオフろうと思いますの」
イザベラはにこりと微笑むと、控えていたメイドに目くばせで合図を送った。メイドは礼をするとどこか足取り軽く去っていく。アンジェとルナは護衛官のチェアサービスで席に着く。イザベラの隣がアンジェ、その隣がルナだ。アンジェがノートを自分の取り皿の近くに置き、別のメイドが二人のためにお茶を入れ終えた頃、ワゴンを押したメイドが戻ってきた。その上に乗った大皿三枚に乗っている食べ物に、アンジェは視線がくぎ付けになる。丸くて平たいパンのような生地の上に、鮮やかな色どりの具材が並べられている──
「……ピザッ!!!???」
「ええ、そうよ」
イザベラがニコニコと微笑む前で、メイドは円形の平パン──ピザにころころと転がして使う不思議な形のカッターを当てて切り分け、三人の取り皿の上に一種類ずつサーブした。
「ま……まさか、またピザが食べられるなんて……!」
「うふふ、気に入っていただけて嬉しいわ。お酒は飲めないけれど女子会と行きましょう」
「マルゲリータと、シーフードと、クアトロフォルマッジ……ラインナップも最高すぎますわ!」
イザベラはきゃあきゃあ騒ぐアンジェをニコニコと眺めながら、メイドをねぎらい、人払いを命じた。壁際に控えていた全ての護衛官や使用人が引き下がったのを確認して、イザベラは深く深くため息をつくと、白く細い指でマルゲリータピザのピースをつまみ、先端にぱくりとかぶりつく。
「これよ、これ! 時々無性にジャンクなものが食べたくなるのよ!」
「分かりますわイザベラ様! 手で食べるのがまた良いのですよね!」
「サンドイッチとか食ってるだろが」
「それとこれとは違うのよ、ルナ!」
「情緒というものが分からないの? 貴女も朴念仁のお仲間だったなんて残念よ、ルナ」
「あなや、姫御前はげに荒ぶっておられる」
イザベラとアンジェはきゃーきゃー騒ぎながらピザを食べ、ルナは苦笑いしながらそれを眺めている。
「それで……ご用事というのは何かしら、アンジェちゃん」
「用事というよりは……用事もありますけれど、現状の共有と申し上げたほうが良いのかもしれません」
「お、姫御前にも話すのか」
「ええ……」
イザベラは姫モードオフなどと嘯いているが、ピザにかじりついている所作すらも美しい。アンジェは真似しようと横目で彼女の様子を伺いつつ、自分もシーフードを手に取って少しずつ食べた。薄い生地とトマトソースの酸味、魚介類の旨味、チーズのコク。舌が肥えたアンジェにとっては安っぽいと言えば安っぽい味ではあるが、祥子の記憶がこのぺらぺらの食べ物を素晴らしいご馳走のように思わせてくれる。ルナはピザ生地を半分に折るようにして持ち、ばくばくばくと数口で一ピースを食べてしまった。
「現状の共有?」
「ええ……イザベラ様……いえ、メロディアさんとお話しする機会が、ここしばらくありませんでしたから」
「そうねえ、ごめんなさいね、わたくし何かと立て込んでいて」
「いえ、そういうことではありませんの……それで、……」
イザベラが頷いたのを見て、アンジェは面差しを正して話し始めた。冬至祭が終わり、新年祝賀会までの間に考えていたこと──自分は
「お話しするのはとても怖かったのですが……わたくしたちの中では、情報に格差がないほうが良いと思いましたの」
「なるほどねえ……」
ピザの二枚目を食べながら、イザベラがしみじみと頷いた。
「わたくしもね、考えていましたのよ、いろいろと。お話ししてもいいかしら」
「ええ、是非ともお願いいたします」
お茶を飲みながらアンジェが頷くと、イザベラは小さくため息をつき、ルナのほうをちらりと見る。
「アンジェちゃんとリリアンさんのお気持ちは置いておくにしても……この世界は『セレネ・フェアウェル』と似て異なることが多いでしょう。それは何故なのかを考えていましたの。結論なんて出ないことなのだけれど。ゲーム内ではセレネス・シャイアンと王族が結婚しなければならない理由なんてどこにもありませんでしたでしょう? そもそも、わたくしたちはセレネス・シャイアンが
「それは確かにそうだなあ」
ルナが大皿からピザを取りながら首を傾げる。
「違うといえば、あのクソマラ野郎も、名前はゲームとは絶対違ったよな。セレネス・パラディオンもそうだし、子リスの過去なんてゲームでは触れもしないだろう。なんなら新学期の時期も違ってる。それなのに、見えない力だったか? ゲームシナリオに戻そうとしてるみたいな事件が起きる……今までの事件の全部が全部、子リスの親父の仕業だったかどうかも分からないぜ。話の筋を守るべきか、破棄して逃げるための策を練ったほうがいいのか。そもそもクーデターは起こりうるのか。それくらいは決めておいてもいいんじゃないのか」
「仰る通りですわ」
アンジェは何度も頷きながらルナの話を聞いていたが、食べかけのピザを自分の皿に戻すと、脇に置いておいたノートを手に取った。
「けれど、あれやこれやと思考を巡らせても、出来ることは意外と単純で限られていたりするものでしてよ。……だからわたくし、いろいろと書き出してみましたの。それをお二方に見ていただいて、ヌケモレがあれば教えていただきたいのです」
ノートの表紙側からめくると、アンジェのきれいな字で書かれた板書のメモがこれでもかというほど書き連ねられていた。アンジェはノートを上下さかさまにして持ち、裏表紙が上に来た状態でもう一度ノートを開く。そこには今朝がたフェリクスの執務机で書いていたメモがずらずらと並んでいる。
「まあ、何かしら?」
「どれどれ」
イザベラとルナは、両脇からアンジェの手元を覗き込み──
「……事業計画書?」
「……進捗管理の香盤表?」
それぞれ、首をひねった。
「やはりわたくしがセレネス・パラディオンとなることが重要な要件かと思いますの。そのためには剣術の腕を上げないといけませんわ。けれど今のわたくし、生徒会に、お菓子クラブを掛け持ちしていて……」
「まて、待て待て待てアンジェ、いや安藤祥子、ショコラ」
いきいきはきはきと話し始めたアンジェを見て、ルナは額を押さえながら首を振る。
「話を進めるな、なんだ……この、パワポで作った資料みたいなノートは」
「記憶を頼りに丁寧に書いてみましたの」
「いやそうなんだが、なんでまたこんなことを……」
アンジェがにこりと微笑むと、ルナはがくりと肩を落とした。イザベラはアンジェからノートを預かり受け、書かれていることをしげしげと眺める。
「つまり……アンジェちゃん」
にこりと微笑むイザベラ。
「剣術のお稽古をするために、やるべきことをいくつか他の人に振りたくて──そのための計画を練ったのね?」
「はい!」
アンジェが子供のようにぱっと顔を輝かせたので、イザベラはクスクスと笑い声をあげた。ルナはそれを呆れ顔で眺めながらピザをばくりと食べている。
「いいわ、承知しました。わたくしに用事というのは、彼らに円滑にものを頼めるように、力添えをしてほしいということなのね?」
「そうなのです、イザベラ様……」
「よろしくてよ、アンジェちゃん。他でもない貴女の願いなら聞き届けましょう。権力なんて、使いどころがなかったら単なる記号でしかないのだもの。なんでもかんでもあの朴念仁の好きなようになるのでは、従妹としては面白くないわ。存分にわたくしを活用してちょうだい」
イザベラは真新しい扇子を取り出すと、ぱちんと鳴らして見せたのだった。
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