24-9 新学期+不意打ちの鮮烈
爆笑しっぱなしのノブツナからはろくに話を聞くことができず、顔が赤いまま物凄く気まずそうなフェリクスがぽつりぽつりと解説したところによれば、もとよりノブツナはアンジェがセレネス・パラディオンに挑戦するなど無理だと結論付けていたらしい。このこたつでの話し合いは、アンジェに現状を理解させ、婚約云々は別として、セレネス・パラディオンに関する決着をつけるのが主旨だったそうだ。
「あの時……新年会で君がセレネス・パラディオンになりたいと言い出した時は、確かに僕は腹を立てていた。けれど、君がいじらしいまでにリリアンくんを想っているのも伝わってきて……つい……」
「つい……」
「ついで猶予を出したのか……」
ルナが肩を震わせながらこたつに突っ伏し、ノブツナも大の字になったまま目尻を拭う。
「フェリクス、この阿呆、自分で猶予を出したんならお前はもう何も言えんぞ。お嬢さんの気が済むまで付き合ってやれ」
「……はい」
師匠の言葉に、フェリクスはがっくりとうなだれながら頷く。
「セルヴェールさん、悪いが貴女を儂の門下生にすることは出来ないよ。貴女は儂の剣を受けるだけの腕がない、他の門下生だって戸惑うだろう」
「はい……」
アンジェは真剣なまなざしで、未だ肩を震わせている侍を見据える。
「それでもというなら、ご自分で勝手にするがいい。儂は土台無理だと思うがね。シズカにはつけともつくなとも言わないから、お嬢さん同士で話し合ってうまい落としどころを見つけなさい」
「なんだ、私は自由でいいんだな? 何やかやおじい様もアンジェに甘いじゃないか」
ルナの軽口に、ノブツナは軽く肩をすくめたが、顔は優しく笑っている。
「優しくしてたら、また遊びに来てシズカの話をしてくれるかもしれないだろう」
「勘弁してくれよ……」
「そもそもお前が鍛錬狂いでちっともじいじに構ってくれないから気になるんだぞ」
「一緒にやってるだろが鍛錬を」
「あんなの構うとは言わん」
「……あの」
ずっとみかんを食べながら話を聞いているだけだったリリアンが、遠慮がちに声を上げた。
「いくつか、教えていただきたいんですけど、いいでしょうか」
「おう、お嬢さん、何でも聞いてくれ」
「ありがとうございます」
リリアンはぺこりと頭を下げると、小さく首を傾げながら何か考え込み、それから口を開いた。
「私は……子供のころ、ヘレニア様から、自分がセレネス・シャイアンだと聞かされていました。時が来るまではそれを他の人に言うなとも言われていました」
「なんと。聖女は
驚いたノブツナに、リリアンは頷く。
「声だけだったり、小さいお姿でいらしたり、その時々ですけど……」
「そうだったのか、リリアンくん……」
「はい」
フェリクスも驚いた様子でアンジェ越しにまじまじとリリアンを見ている。アンジェも同じくリリアンのほうを見ると、リリアンは二人の顔を見比べてフフッと笑った。
「お二人ともおんなじお顔です。可愛いです」
「そ、そうかしら」
アンジェはギョッとして、フェリクスは少し嬉しそうだ。リリアンはフフフと笑いながらぺこりと頭を下げる。
「ごめんなさい、話してなくて、フフフフ」
「いえ、全然、それはよろしいのよ……」
「それで……フフ、私はそうだったから……」
リリアンはフェリクス、ルナ、ノブツナの順に視線を移していく。
「セレネス・パラディオンも、何かそういうのがあったりするのかなーと思ったんですけど……」
「何か……というのは、女神の神託やそれに類するものを受け取るのか、ということかい?」
「神託、そうですね、神託というのかもしれません」
フェリクスの顔をじっと見ながらリリアンは頷いた。フェリクス、ノブツナ、ルナは顔を見合わせ、ノブツナがふむと鼻を鳴らしながらあごひげの先をいじる。
「スウィートさんの言うような、神託という形のものではないな」
「そうなんですか……」
「セレネス・パラディオンにしか扱えない剣があってな。それの継承によって、その技と使命も引き継がれてきたのだよ」
「剣? 剣を渡すんですか?」
聞き返したリリアンに、ノブツナは頷く。
「左様。神の意志が宿る聖剣なのだ。その剣を手にして戦う時、剣自らが、戦いの勝者を主人として選ぶのだよ」
「うわあ、そんなすごい剣が本当にあるんですね! 物語の英雄みたいです!」
「今度見せてあげよう、リリアンくん」
目を輝かせたリリアンに、フェリクスがどこか照れ臭そうに話しかけた。
「アンジェも一緒に見てみるといい。美しいけれどなかなか気難しい剣でね。戦いでもないのにおいそれと呼び出すと、機嫌が悪くなるんだよ」
「まあ、剣にご機嫌があるんですの?」
「そうなんだ、アンジェ。君のようにいつも朗らかでいてくれたらいいものだけとね」
微笑むフェリクスの眼差しは、相変わらず優しくアンジェの瞳の奥を覗き込んで来る。だが──フェリクスのほうを向いている自分の横顔を、紫の瞳がじっと見ている。その気配が伝わってくる。
(……確かに、自分を好きだと言って来た相手が、他の誰かと仲睦まじくしていたら、いい気分になりませんわ……)
「……ありがとう存じます、フェリクス様」
アンジェは曖昧に微笑んで視線を逸らした。ノブツナがフェリクスを過保護だ過保護だとからかい、ルナもニヤニヤしながらそれに追随している。
(だから……やきもち焼きで)
(けれど、きっと……リリアンさんなら、わたくしたちが以前と同じようにしていることを望みたいお気持ちもあるのでしょう)
フェリクスは二人にからかわれて顔を赤くしつつ反論している。
(だから……忘れてくださいと、仰る)
少しばかり左を向けばリリアンがいる。
少しばかり身動きをすれば、リリアンの肩に当たる。
なのにどうして、この身体は何一つ言うことを聞いてくれないのだろう?
(リリアンさん……)
アンジェは誤魔化すように湯呑に手を伸ばし、冷めかけの緑色のお茶──緑茶を飲む。初めて飲む筈の緑茶の味は、青く苦い味が安藤祥子の記憶を呼び起こしてどこか懐かしかった。
* * * * *
他の門下生は一同が話をしている間に身支度を終え、先にめいめいの家へ帰ったようだった。剣術部主将ガイウスも帰りはいつも別の門下生の馬車に乗せてもらっているらしい。フェリクスとアンジェが着替えを終えて帰り支度をしていると、ノブツナはアンジェとリリアンにルナのアカデミーでの様子を話すようせがみ、シュタインハルト邸本館で夕食を食べて行けとしきりに勧めたが、リリアンがノーブルローズ寮の門限があるからと断った。外に出ると日はとっぷりと暮れていて、濃紺の空からちらほらと粉雪が舞っている。更に誘われるも、雪が積もると馬が可哀そうだからと返したリリアンの言葉に、剣聖ノブツナ・カミイズミ・シュタインハルトは目に見えてがっくりと落ち込んだ。
「……門下生ではなくとも、シズカの友人としてまた遊びにおいでなさい。ヒノモトの旨いものをたんとご馳走しよう」
フェリクス、アンジェ、リリアンはフェリクスの馬車に、ノブツナとルナ、待っていたルナの兄三人はシュタインハルト家の馬車に乗る。馬車寄せでそれぞれの馬車に乗り込むとき、ノブツナが名残惜しそうにそう言った。
「ありがとう存じます、おじい様。ぜひ遊びに行かせてくださいまし」
「あの、それは、セキハンというのもあるんでしょうか?」
「セキハン? ああ、勿論あるよ、スウィートさんはセキハンが好きかね」
「まだ食べたことがないので、好きかどうかは分からないんですけど。ルネティオット様からピンクのコメだって聞いて、見てみたいなって思ったんです。好きになれたらいいなって思います」
「そうかそうか。ゴマシオをかけると旨いんだ、今度来るときに用意させよう」
「わあ、ありがとうございます!」
リリアンが目をくりくりさせながら笑ったのを見て、ノブツナは息を呑み、傍らのルナの背中をばしんと叩く。
「なあ……おい、シズカ、まさしく
「子リスはまた別格ですから一緒にせんでください」
祖父と孫は笑ったり呆れたりしながらじゃれ合っていたが、ふとルナがアンジェのほうを向くとニヤリと笑う。
「……大抵の日本食は出来ると思え。今度リクエストを聞いてやる」
「大抵……」
アンジェは思わずぶるると震えあがる。
「それは……トンカツだったり……オスシだったり……ギョウザだったり……カラアゲだったり……?」
「おう、何回来てもいいから、何から食べるか考えておけよ」
「ルナッ……!」
頬を染め瞳をキラキラさせたアンジェを見てルナはクックッと笑い、ノブツナと一緒に馬車に乗り込んでいった。
「さあ、僕たちも帰ろう」
フェリクスは稽古中の険のある雰囲気はすっかり消え失せ、もとの柔和な雰囲気と物腰に戻った。開いた扉の前で、さも当然と言いたげにアンジェとリリアンに向かって手を差し出す。アンジェは胸元で両手を握り締め、フェリクスとリリアンを見比べる。リリアンは怒っているとも困っているともつかない顔でアンジェを見上げていたが、視線が合うとサッと目を逸らした。アンジェは一瞬考える。
「……行きましょう、リリアンさん」
アンジェがおずおずと手を差し出すと、リリアンは目を見開いて顔が赤くなった。フェリクスとアンジェの顔を何度も見比べるが、アンジェがにっこりと微笑んでいるのを見て、やがて躊躇いがちにその手に自分の手を預ける。アンジェがきゅっとその手を握ると、冷えた指先の感触が伝わってきた。二人して馬車のほうに歩いて行って、フェリクスを尻目に、リリアンを馬車に乗せる。二人の手はまだつながれたままだ。
「…………」
次期国王は、端正な顔に驚愕をありありと浮かべながら、二人の様子を食い入るように見ている。差し出したが誰も導いていない手をそのままに、頬が染まり、瞳が輝いて、内から湧き上がる衝動が爆発しそうになっているのを堪えている。
「…………」
アンジェはフェリクスの顔をじっと見て、馬車の中──手をつないだままこちらの様子を伺っているリリアンの顔を見て、そのまま、馬車に乗り込んだ。アンジェとリリアンは互いの顔を見る。アンジェはいつもフェリクスが座る席とは対面側に座る。リリアンは顔を赤くして、遠慮がちにアンジェの隣に座る。馬車に一人乗り込んできたフェリクスは、アンジェとリリアンが二人並んで座っているのを見て顔を覆い、崩れるように自席に座った。
「……君たち二人は……君たち二人でいることの意味を、考えたことがあるのかい……僕は……僕は! 僕はこの尊い光景を前にして、心臓が止まらないようにするのが精一杯だよ……」
馬車がフェアウェルローズ・アカデミーを目指して走る間、フェリクスはずっとそんな調子だった。リリアンは子リスが巣穴の外の様子を見るように、二人の顔色をしげしげと観察している。アンジェはフェリクスにも、リリアンにも何も話しかけることができず、ただただ曖昧に微笑んでいるだけだった。
アカデミーまでの道のりは長くて短い。降りるのはリリアンだけでよいのだが、アンジェもフェリクスも一緒に降りた。フェリクスはまたしてもアンジェに向かって手を差し出し、アンジェは躊躇ったが、フェリクスがやや強引にその手を取ってしまった。少し離れて歩くリリアンがちらちらとこちらの様子を伺っている。雪はシュタインハルト邸別館を出た時よりも本格的に降り始めていて、石畳がうっすらと白くなっていた。
「……お二人とも、送ってくださって、ありがとうございました」
ノーブルローズ寮の門の前で、少し鼻が赤いリリアンがにこりと微笑む。
「とんでもない、わたくしにお付き合いいただいたようなものでしてよ……こんな雪だもの、お夕食を召し上がったら、温かくなさってね」
「はい、アンジェ様」
アンジェはリリアンの小さな手をきゅっと握りながら微笑む。
「また明日の生徒会でな、リリアンくん」
「はい、殿下」
フェリクスはアンジェの傍らに立ち、二人が言葉を交わす様子をニコニコと眺めている。
「それではね、リリアンさん。……おやすみなさい」
アンジェは名残惜しい気持ちに押し潰されそうになりながらその手をゆっくりと離す。リリアンは離された手をそのままその場に留めていたが、ちらりとフェリクスを見上げ、すう、と息を吸い込んだ。
自分から離れようとしたアンジェを、リリアンの手が追いかける。両方の肩に手を乗せ、一歩前に踏み出し、つま先で立ち上がり──アンジェの冷えた頬に、ちゅ、と柔らかなものが触れる。
「──おやすみなさい、アンジェ様」
にこりと微笑んだ、紫の瞳。
すぐに踵を返してぱたぱたと走り去る背中で、ストロベリーブロンドが揺れる。
「なっ……なっ……!!!」
アンジェが顔を赤くし、よろめくその横で──
フェリクスが、盛大な鮮烈と共にその場に昏倒した。
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