24-8 新学期 こたつ問答

「さて。話を聞こうか、セルヴェールさん」

「……はい」


 ノブツナの声にアンジェは我に返り姿勢を正した。少しでも身動きすると右側のフェリクス、左側のリリアンにそれぞれ肩が当たってしまい、二人ともそれに反応して自分も姿勢を正す。対面で見ていたルナが湯呑を持ち上げていたのをやめ、後ろにばたんとひっくり返って爆笑する。


「これシズカ、はしたないぞ」

「ははは勘弁してくれおじい様、見ろよこいつら、ジュウシマツじゃあるまいし、ははははは」

「いやはや……剣の腕はともかく、年相応の振る舞いも身に着けてほしいと思っているのだがね」


 ノブツナは渋い顔をしてみせてため息をついたが、アンジェには老獪な剣士のまなざしが優しく温かなのを見逃さなかった。客の手前注意するが、剣聖も女孫には甘いということなのだろう。


「ルネティオットさんは友達思いの素敵な方ですわ。いつもわたくしの話を親身になって聞いてくださいますの。おじい様とご一緒で甘えていらっしゃるのよ」

「おい赤ちゃんべべ、お前何言ってやがる」


 ルナががばりと起き上がって気色ばんだので、アンジェはニコニコ笑いながら続けた。


「何って、事実でしょう、貴女おじい様大好きじゃない」

「なんと。そうなのか、シズカ? じいじのこと好きか?」

「ほら見ろ年寄りは真に受けるから! あとが面倒くさいんだ」

「何仰るの、アカデミーでも事あるごとにおじい様、おじい様、って言ってばかりじゃない」

「言ってねえ!」

「照れ隠しが下手ですこと」

「そうか……シズカはじいじ大好きか……」


 精悍な顔つきだったノブツナが、目尻を下げた好々爺そのものになり、あごひげを触りながら嬉しそうに呟く。フェリクスは信じられないものを見たとばかりにアンジェとノブツナを見比べ、リリアンは珍しく顔を赤くしているルナを見てニコニコしている。


「……覚えてろよ、赤ちゃんべべ・アンジェ」


 ルナは恨みがましい口調だったが、顔は完全に笑いながらそう言ってきた。アンジェはあくまでも優雅に微笑み返しているだけだ。この先の重い話題の前に、場を和ませるのに体よく使われたのだとルナ自身も分かっているのだろう。安藤祥子の仕事は初対面のクライアントと商談を進めることもあり、そのたびに祥子はいろいろな切り口から雑談をしていたのだ。


「……さて。アカデミーでのシズカの様子をもっと聞きたいところだが」


 ノブツナはまだ少し口許が緩んだままだったが、ほぼ先ほどの精悍な武人の顔つきに戻り、小さく咳払いをする。


「今夜は雪になりそうだ。帰りが遅くなってはいかんだろう、話を進めようか。……セレネス・パラディオンについて」


 肩が微かに触れているフェリクスが、身を固くするのが分かる。


「……ええ、お願いいたします」


 リリアンがアンジェの横顔をじっと見上げているのも分かる。その様子を対面のルナがまじまじと眺めてニヤついているのも。


「粗方のいきさつはシズカに聞いてはいるのだが、どうにも儂は腑に落ちないんだよ、セルヴェールさん」

「なんでも包み隠さずお話しいたしますわ、おじい様。何をお話しすればよいのでしょう」

「貴女が、シズカほどとは言わないまでも、多少腕に覚えがあるのだったら分かる。分を弁えずに、あるいは無謀だと分かっていても、戦わなければ得られないものは確かにある」

「……はい」

「ところがだ」


 ノブツナはまじまじとアンジェを見る。ジャージこそ着ているが、磨かれた肌、美しい髪、輝く瞳は見る者にアンジェの育ちの良さを感じさせずにはいられない。


「どうみても、失礼、素人で……日頃武芸どころか運動もさしてしていないであろう貴女が、なぜそこまでセレネス・パラディオンにこだわる? フェリクスにその子ともども守ってもらえば、それでいいではないか」

「そうなのです、師匠」


 アンジェが何か言う前に、フェリクスが大きく頷いた。ルナがニヤニヤしながら藤かごのみかんに手を伸ばしている。


「僕はもとよりそのつもりだったのですが……アンジェに聞き入れてもらえないのです」

「ほれ、フェリクスもそう言っておるではないか。何故駄目なのだ?」


 ノブツナの口調は、アンジェを非難する含みは全く感じず、純粋に不可解に思っているようだった。フェリクスは顔をしかめてアンジェをまじまじと見る。リリアンも反対側からアンジェの顔を見ている。フェリクスは非難するような目、リリアンは探るような、あるいは何かを判別しているような目だ。


「それらしい理由を並べて……それらしく、情に訴えることもできるのでしょうけれど……」


 アンジェはこたつの上に置いた自分の手に視線を落とす。その手は指が細く、肌はきめ細やかで白い。


「……好きになってしまったのですもの」


 口にするのは、まだどこか畏れ多いような気がして身体がこわばる。


「可愛らしくて、いじらしくて……どこまでもご一緒して、辛いことから守って差し上げたいのです」

「守る、ねえ」

「大切な人が危険な目に遭うと分かっているのに、自分だけ安全なところから見守るだけなど……嫌なのです」

「ほほう」


 ノブツナは目を大きく見開き、とてつもなく嬉しそうにフェリクスの顔を見た。


「おい、どこかで聞いたような台詞だぞ」

「……はい」


 フェリクスは顔を赤くしながら俯いている。ルナは最高に楽しそうに笑いながらみかんの皮をむく。リリアンは怪訝そうに首を傾げつつ、藤かごのみかんに手を伸ばす。アンジェが困惑してフェリクスとノブツナを見比べると、ノブツナはあごひげを触りながら湯呑のお茶をぐいと一気飲みした。


「セルヴェールさん。貴女の婚約者は、貴女と同じ台詞を言って、儂からセレネス・パラディオンをもぎ取ったんだ」

「え……?」

「いくつの頃だったかなあ、フェリクス」

「師匠……」

「家庭教師から、国の歴史とセレネス・シャイアンについて習ったとかでな。歴代のセレネス・シャイアンには、戦いで敗れて死んでしまったものもいると聞いたそうで、ずいぶん焦っていたっけなあ」

「師匠……」

「セルヴェールさんが死んじまったらどうしよう、ってぴーぴー泣いてばかりだったが……死なせないように自分が守る、と言い出してね。ヴィクトル達は大いに慌てていたよ」


 かっかっかっとノブツナは嬉しそうに笑い、フェリクスはとうとう手で自分の顔を覆った。


「考えてもみなさい。フェリクスは王子だ。しかもヴィクトル達の子供はフェリクスだけだろう。武芸なんて嗜む程度で、屈強な戦士たちに守られかしずかれていて当然の身分だ。仮に戦争になろうとも前線に出て自分の剣を振るわなくてもいい、そんな立場だろう。その王子が、婚約者を死なせないために危険極まりない聖女の騎士役を目指すってんだから……なあ?」

「……そうなんですの?」


 アンジェが目を見開いてフェリクスの方を見る。フェリクスは顔を覆ったままゆっくりと首を振るばかりだ。


「アンジェ……僕は、君が死んでしまうのが嫌だったんだ……」

「フェリクス様……」


 剣の修行がどれほど厳しいものなのか、アンジェには分からない。今日見た稽古が全てというわけでもないだろう。アンジェの身を案じる一心で、父王や母后の反対を押し切り、研鑽に研鑽を重ねて。


「今のセルヴェールさんと似たようなもんだ。だがフェリクスはそこからたゆまぬ努力を重ね、ここまで辿り着いた。そんな彼に、他でもない貴女がセレネス・パラディオンになりたいというのは、いささか酷なんじゃないかね」


 諭すような口調のノブツナに、アンジェはゆっくりと首を振った。


「そのように、並々ならぬ努力を重ねてこられたフェリクス様だからこそ……わたくしの気持ちを、お分かりいただけはしませんの?」

「……アンジェ……」

「わたくしは、リリアンさんが好きです。お慕い申し上げております。だからリリアンさんをお守りする力が欲しいのです」


 リリアンが紫の瞳を見開いて、アンジェをじっと見上げている。


「駄目だ、セルヴェールさん、儂は認めないよ」

「けれどフェリクス様は、リリアンさんがセレネス・シャイアンとして旅立つ日まで猶予をくださいましたわ」

「アンジェ! それは……!」

「猶予……?」


 慌てふためくフェリクスと、決然とした様子のアンジェを、ノブツナは呆然と見比べ──


「フェリクス、お前、どこまで過保護にしたら気が済むんだ!」


 先のルナよりも遥かに高らかに爆笑しながら、後ろにばたんと倒れ込んだのだった。



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