24-7 新学期 こたつ問答
稽古は素振り、型稽古、型打ち合い、ノブツナとの手合わせ、門下生同士の手合わせという流れのようだった。ノブツナとの手合わせはノブツナから刀を当てられるまで攻める、あるいは防御し続けるのが趣旨のようで、門下生により個性が出るのと耐久時間に差があるのが面白かった。最後の門下生同士の手合わせはくじ引きで相手を決めるようで、フェリクスはルナの兄相手に健闘し辛くも勝利し、ルナは相手の近衛騎士を嬉々として叩きまくり、手合わせが終わった後の騎士はあちこち痣だらけになってがっくりと落ち込んでいた。素人目に見てもルナは異常に素早く、ノブツナもルナと手合わせする時だけはやや面差しを正しているように見えた。全ての稽古が終わったのだろう、門下生は始まりと同様に整列し、きっかりと腰を曲げて挨拶をする。
「ありがとうございました!」
ぴたりと揃った挨拶は見ている側も心地よい。ノブツナは満足げにあごひげを撫で、ルナとフェリクスを呼び寄せて何か話し始めた。
「……お稽古、終わりましたね」
リリアンが門下生たちを眺めながらぽつりと呟く。
「……ええ、終わりましたわね」
アンジェも同じ方向を見ながら頷く。それきりそれぞれ自分の手を撫でたり爪を眺めたり、膝をもじもじといじってみたりするばかりで、どちらも何も言わない。実のところあの後二人はどちらも何も言うことが出来なくなってしまってずっともじもじしていた──正確にはアンジェが何度も魔法の暴発でスミレの花を出してしまい、リリアンが預かっていたブローチをアンジェの髪に付け直したが、その時もぎこちなくやりとりしただけで、会話らしい会話は何一つなかったのだ。
(……どうしましょう)
(どうしたらいいの……)
(こんな時、どんな顔をしたらいいか分からないの……)
(……アニメの台詞の真似をしてる場合じゃなくてよ、アンジェリーク……)
アンジェは自分でも混乱しているのを自覚しつつ、だが何の解決策も見出せずに自分のジャージのズボンを握り締める。
(やきもち……)
(リリアンさんが……やきもち……?)
(やきもち焼きだと駄目……?)
(えっ……えっ……)
(語彙力が消滅するわ……)
もう何度も繰り返したがそこから一向に進めない問答をもう一度頭の中で繰り返していると、フェリクス達がアンジェ達の方に視線を向けた。そのままフェリクスがこちらに向かって歩き出し、ルナも肩をすくめながらついてくる。ああ、もう、この時間が終わってしまう。いや、ようやっと、この膠着が終わる。アンジェはぎくしゃくと座布団から降りて立ち上がると、隣のリリアンも同じように立ち上がった。
「アンジェ様」
座布団を持ち上げながら、リリアンはぽつりと呟く。
「さっき言ったこと……忘れてください」
「えっ?」
自分の座布団を拾おうとしていたアンジェは、思わず聞き返してリリアンの顔を見る。リリアンは直前までアンジェを凝視していたが、青い瞳に捕まる前にサッと視線を逸らしてしまう。
「アンジェ様は、アンジェ様のしたいようになさってください」
「……えっ?」
「……アンジェ。リリアンくん」
アンジェがリリアンの意図を図りかねて身を固くするのと、フェリクスが声をかけたのはほぼ同時だった。フェリクスはまだどこか先ほどの手合わせの剣呑な雰囲気が残っていたが、アンジェもリリアンもぎくしゃくと自分を見上げたのを見て小さく苦笑する。
「師匠が話をしようと仰っている。二人ともこちらにおいで」
「承知いたしました」
「ひゃいっ」
二人の返事を確かめて、フェリクスは踵を返して先に立って歩き出した。ルナもその先を歩いている。歩いているフェリクスの背中を見るのは、いつも彼がアンジェをどこかに送り届けた後に立ち去る時だ。何度も名残惜しげに振り返るが、その歩き方はいつだって完璧そのものだった。だが今、目の前のフェリクスは、袴の長着の背中部分が汗でぐっしょりと濡れて色が変わってしまっている。開始前よりも襟元が緩み、髪も乱れ、歩き方も彼にしては疲れた雰囲気を隠していない。何より、エスコートされずにこうして後ろをついて歩くなど滅多にないことだ。それだけ疲れているということか……そう思ったところで、アンジェはふと左側から視線を感じてぱっとそちらを向く。
「……っ」
目線がぱっちりと合ってしまったリリアンが、慌てふためいたのを全く持って隠しきれず、顔を真っ赤にしながら俯いた。
「…………」
アンジェが散らばっていた思考を拾い始めたあたりで一同は広い道場を横切り終えて廊下に出て、渡り廊下を通って別館に入った。先ほど着替えに使った小部屋とは別の部屋まで来て、フェリクスが引戸を引いてアンジェとリリアンに入るように促す。室内にはノブツナとルナがもう先にいたが、アンジェの目線は部屋の中央に釘付けになる。
「……言いたいことを言ってみろ、アンジェ」
ルナがニヤリと笑う。
畳の部屋の中央に鎮座せしめているのは、アンジェの感覚で言うところのローテーブルだ。ただ、どういう仕組みなのか、ローテーブルの天板の下にふわふわの毛布が挟まっていて、四方に向かって心地よく広げられている。天板の上には変わった形のお茶のポットと取っ手のないカップ、藤かごに盛り付けられているのはつやつやとしたオレンジたち。
「……今生で、相まみえることが叶うとは、思いませんでしたわ……!」
「だろう」
「
「おこた呼びか、可愛いじゃないか」
アンジェはジャージ姿の自分の両肩を抱くとぽろぽろと涙をこぼし、目を丸くしているフェリクスのことなど忘れていそいそとローテーブルの布団──こたつに潜り込んだ。中は掘りごたつになっていて座面には座布団が敷き詰められ、正座というものを知っていても慣れてはいないアンジェでも楽に座ることができる。こたつは二メートル四方ほどの、祥子の記憶からするとかなり大きなものだ。入口から見て奥側にノブツナとルナが座っていて、アンジェはその対面に潜り込んだことになる。
「へえ、アンジェ、こたつを知っているのか。驚くかと思っていたよ」
フェリクスは驚きながら至極当然のようにアンジェの隣に腰掛ける。
「ええ、あの……ルナに聞いていて、いつかこの目で見てみたいと思っておりましたのよ」
「そうか。これはとても温かで心地が良いものだよ、君も気に入ると思う」
「ええ、ええ、存じておりますとも」
ニコニコとフェリクスに向かって頷いて見せたアンジェは、ふと視線を感じて入口の方を向く。そこにはリリアンが一人で立ち尽くしていて、いつものように慌てふためくのではなく、何かを堪えているような顔でじっとアンジェを見ている。どうしたの、リリアンさん。いつものように声をかけようとしたアンジェは、すんでのところで口をつぐむ。
【私……すごく……やきもち焼きだから……】
【さっき言ったこと……忘れてください】
どちらも何かを堪えるような様子で言っていたリリアンの様子が思い出される。
「…………」
アンジェは自分の隣に座るフェリクスを見上げた。大きめのこたつと言っても、一辺に座れるのはさすがに二人が限度だろう。リリアンが何を気にしているのかも、何となく分かったような気がしてきた。けれど、あんなにも、巣穴に戻れない迷子の子リスのような顔をしているあの子を、遠くに追いやることなどできるのだろうか。
「……フェリクス様、もう少しそちらに詰めていただけませんこと?」
「え、どうしてだい」
「とにかくそうなさってくださいまし」
「う、うん」
アンジェの勢いに負けてフェリクスは少しばかり端に寄った。アンジェも一度腰を浮かせてフェリクスに肩が触れるほど近くに座り直す。フェリクスは一瞬頬を赤くし、ルナが吹き出したが、アンジェは構わずにもう一度リリアンを見上げた。
「リリアンさん」
「……はい」
「温かいですわよ、こちらにどうぞ」
こたつ布団をめくり、フェリクスとは反対側の座布団をぽふぽふと叩いてみせる。リリアンはギョッとして両手で口許を隠し、助けを求めるようにルナを見たが、ルナは肩を震わせているばかりで何も言わない。リリアンは顔を赤くしてプルプル震えていたが、やがて観念したようにおずおずとアンジェの隣に腰掛け、こたつ布団を被った。
「……わあ。中で火を焚いてるんですか、温かいですね」
「おう。これは魔法こたつだからの、火事の心配もないのだよ」
目を輝かせたリリアンに、ノブツナが嬉しそうにうんうんと頷く。フェリクスは隣の光景を見て息を呑んで自分の口を手で隠し、お茶を入れていたルナは肩を震わせながら三人の前に取っ手のないカップ──湯呑を置いた。中のお茶もいつも飲むような茶色いものではなく、緑色で青々とした香りがするものだ。
「アンジェ様、あったかいですねっ」
「ええ、そうね」
リリアンはとても嬉しそうに笑い、アンジェは自分の心臓が潰れたかと思った。
(あとでまたちゃんと話さなければいけないけれど……)
(あの何かのかけらのような言葉をつなぎ合わせると、貴女の気持ちが透けて見えるような気がしますわ……)
本当に、本当に?
やきもちを焼いてくれているのだろうか?
「さて。話を聞こうか、セルヴェールさん」
「……はい」
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