24-3 新学期 シュタインハルト別邸

 先代のセレネス・パラディオンであるルナの祖父との面会に指定された日は、フェリクスの剣の稽古と同じ日だった。


「本当に……アンジェも来るのか? 僕とは別の日では駄目なのか」


 いつものように稽古の前にアンジェと三十分だけお茶をしようと貴賓室で待っていたフェリクスは、アンジェと一緒にルナとリリアンが現れ、アンジェも一緒に稽古場に行くことを説明すると、あからさますぎるほどに顔をしかめた。その顔のまま王子は立ち上がってアンジェにチェアサービスをし、ルナとリリアンは護衛官らが椅子を引いてそれぞれ着席する。嫌そうな顔のままのフェリクスを見て、ルナはクックッといつものように笑った。


「おじい様が同じ日にしろと仰ったんだ、私たちではどうしようもないぞ」

「そうか……」


 フェリクスはアンジェの肩に手を乗せながら苦々しくため息をつき、ぐしゃぐしゃと金髪を搔きむしる。アンジェは肩に触れているほうのフェリクスの手をさりげなく外させながら、にこりと微笑んで見せた。


「念願のフェリクス様のお稽古の様子を拝見できるのですもの、それだけでも楽しみですわ」

「アンジェ……」


 フェリクスは外された手を胸元に引き寄せると、苦渋とも言えるほど顔をしかめて首を振る。


「僕は……無様な姿を、君に見られたくないんだ……」

「前から申しているでしょう、わたくしはどんなフェリクス様でも幻滅などいたしませんと」

「じゃあ、このまま婚約者のままで、ゆくゆくは僕と結婚してくれるのか?」

「それとこれとは話は別ですわ」


 アンジェはきっぱりと言いつつも、自分の隣の席でフェリクスと自分の顔を見比べているリリアンの方をちらりと窺う。リリアンは落ち込むフェリクスをまじまじと眺めていたが、アンジェが自分を見ているのに気が付くと、少しばかり驚いてサッと視線をそらした。


(……また……)


 このところ、リリアンの行動はアンジェから見て不可解だ。以前と全く同じように振舞えないのは理解できるが、それにしたって態度の方向性が安定しない。先日のように頬を染める日があるかと思えば、今のようにどこか避けられているような日もあるし、以前と同じようにニコニコしている時もある。アンジェ自身は出来るだけ以前と変わらないように努めているからこそ、リリアンの些細な違いも気になって仕方がない。


(人間ですもの……気持ちはその時々で揺れ動くことはありますけれど……)


 貴女は今、何を考えていらっしゃるの。


 周囲が騒がしいからか。学業やお菓子クラブの準備が忙しいからか。リリアンがノーブルローズ寮に入寮後、なかなか二人で話す機会がない。交換日記に書いてくるのは相変わらずお菓子のことばかりだ。いや、工夫すれば機会は作れるのかもしれないが、アンジェは敢えてその行動を起こしていなかった。リリアンと面と向き合うのが、怖い、あるいは恥ずかしい。アンジェの思いをどう受け止めたのか、知ってしまったら戻れない気がする。


「アンジェ、お願いだ……万が一にも婚約破棄せざるを得なかったとしても、その理由に、今日この後の僕を見たから、というのは付け加えないでくれないか……でないと僕は今日という日を受け入れられそうにない……」

「往生際が悪いぞ、いい加減諦めろ」

「頼む……アンジェ……」


 フェリクスが沈痛な声で呻き、ルナが眼鏡を外して存分に大笑いしたのだった。


 剣術の稽古場は、首都セレニアスタードの中ほどにあるシュタインハルト邸ではなく、街の端の開けたところに建てられた別邸なのだという。そこでルナの祖父から指導を受けられるのは限られた者達だけで、フェアウェルローズからはフェリクスとルナに加え、ルナの兄でフェリクスの学友でもあるラインハルト・ヨシツネ・シュタインハルト、剣術部主将のガイウス・エスタ・ヴェルナーの四人でシュタインハルト別邸を目指すのが週に二度の恒例とのことだった。


 ルナの兄と剣術部主将は、待ち合わせ場所の馬車寄せで二人して先に待っていたが、剣術部主将はアンジェとリリアンを見て可哀想なくらい動揺していた。いつもはフェリクスの馬車に全員で乗るそうだが、アンジェとリリアンが加わると流石に一つの馬車には乗り切れない。フェリクスは当然アンジェと同じ馬車に乗りたがり、それならばとアンジェはリリアンも一緒に乗ろうとせがみ、そんな面白いところに同席せずにいられるかとルナも手を上げたので、結果としてフェリクスが女子を独占し、ルナの兄と剣術部主将の二人は何だか侘しい顔でシュタインハルト家の馬車に乗ることになった。


 馬車の中でも当然、フェリクスはアンジェを自分の隣に座らせた。その対面の席にルナとリリアンが座り、ルナは窓枠に突っ伏して笑ってばかりで、リリアンは紫の瞳をくりくりさせながら、フェリクスとアンジェのことをじっと見ている。アンジェはよほど何か言おうかとも思ったが、横でフェリクスが延々と喋りながらアンジェの髪を手で梳き続けるので、それに曖昧に頷きながら手を遠ざけ続けているうちに、シュタインハルト別邸に到着してしまった。


 アンジェ達の背後には首都セレニアスタードの町並みがあるというのに、目の前には鬱蒼とした竹林が広がっている。その竹林を刈り込んだ広場に、フェアウェル王国の建築様式とは全く異なる、木造の建物が威風堂々と鎮座していた。淡い緑色の八角形の屋根、その頂点にちょこんと乗せられているのは、金色の丸みを帯びた、しかし先端だけ尖った独特のフォルム。


「…………」

「……おう、言いたいことを言ってみろ、アンジェ」


 馬車を降りたアンジェが呆然と別邸を見上げているのを見て、ルナが楽しそうに笑う。フェリクスとルナの兄と剣術部主将はもう建物に向かって歩き始めていて、リリアンはちらちらとアンジェの様子を伺っている。


「大きさや、中は……もちろん、違うのでしょうけれど……」


 アンジェはぎしぎしときしんだ動きでルナのほうを見る。


「……ブドウカンよね?」

「だよな」


 ルナは至極嬉しそうに頷いた。


「ずっと、メロディア以外の誰かにも言いたくてたまらなかったんだ」

「気持ちはわかりますわ……さあ、行きましょう」


 女子生徒三人は連れ立ってシュタインハルト別邸目指して歩き始めた。ルナはちょこちょこ歩いているリリアンを見て、少し先を行くフェリクスの背中を見て、それからアンジェの横顔を見て、小さくため息をついた。


「アンジェ」

「なあに?」


 振り向いたアンジェに、ルナは真剣なまなざしになる。


「これからお前が見るフェリクス王太子殿下は……いい男だ。日頃のええかっこしいとは全然違う。だから……嫌ってやるなよ」

「……ルナ……」


 アンジェはまじまじと親友の顔を──心配を隠しきれていないその顔を見て、にこりと微笑んで頷いた。


「わたくし、どんなフェリクス様にも幻滅しませんことよ。……婚約破棄とは別ですけれど」

「そうか」


 ルナとアンジェはクスクスと笑い合い、建物へと向かって歩いていく。傍らのリリアンはその様子をじっと見つめた後、小さくため息をついたが、それは誰にも気づかれることはなかった。




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