24-2 新学期

 変わったようで変わらない、変わらないつもりでいてもどこか違和感のあるフェアウェルローズ・アカデミーの新学期。授業が進み、友人と談笑して、ルナ達とカフェテリアで昼食を食べる。放課後は用事がなければフェリクスとお茶をする。王子の婚約者として注目されることには慣れていたつもりだったが、それでも新学期以降に向けられる視線の数は激増していて、クラスメイトたちもアンジェに遠慮がちながらも好奇心を抑えられないまなざしで近況を尋ねてきた。新年会後の休暇は近郊に住む祖父母に挨拶をするなどして過ごした、と当たり障りのない回答でも、みな嬉しそうにもじもじしながら互いの顔を見合わせるのだった。


 以前と違うことと言えば、廊下やカフェテリアで、見ず知らずの生徒から突然声をかけられることだ。


「頑張ってください!」

「応援しています!」

「殿下を挟んであげてください!」

「えっ貴女挟む派でしたの!?」

「駄目ですわ絶対にお挟みにならないで!」

「百合に挟まる奴は死刑でしてよ!」


 声をかけてくる生徒たちはみなどこか浮ついた様子で、人によっては握手を求めてくる。


「ありがとう存じます」


 アンジェがにっこり微笑んでやると、頬を染めてきゃああと叫び、来た時よりも慌ただしく駆け去っていく。アンジェが一人の時もそうだが、リリアンと二人しているとひっきりなしにやって来る。アンジェ一人の時は女子生徒が多いが、リリアンと一緒にいると途端に男子生徒が増える。


「お二人を見ていると心が洗われるようです」

「お二人の仲睦まじいご様子を見ることでしか得ることができない栄養素があります」

「実にけしからんですもっとやってください」

「殿下のことは許して差し上げてください、それほど貴女方は罪深いほどに尊いのです」

「いや、たとえ殿下でも、百合は壁になって愛でるべきだ……」

「アンジェ様、気になってたんですけど百合って何ですか? お花のことじゃないんですか?」


 熱っぽく語るのに決して一定以上は距離を縮めて来ない男子生徒らを前に、きょとんとしたリリアンがアンジェを見上げて尋ねた。


「そっ……!」


 アンジェは言葉に詰まる。男子生徒達がのけぞったり天を仰いだりくの字に折れ曲がってプルプル震えたりする。無論アンジェは百合という言葉の意味も、自分達がそれに当てはまることも理解しているが、それはどちらかというと祥子の知識だ。マラキオンという言葉には誰も反応しないのに、ある種の隠語である百合という言葉がこの世界でも全く同じ意味で使われていることにアンジェは多少なりとも驚いた。ついでに言えば、電子機器類が一切存在しないこの世界で、現代日本のSNSと同じような言い回しが出てくることも思わず笑ってしまいそうになる。


「それは……その……」


 アンジェは新年祝賀会でリリアンに告白したが、リリアンからはまだなんの返事も聞いていない。日頃接してくる様子は、ルナと寮を訪れた日の帰り際を除けば、今までと大して変わりない。


(い……今、ここで……)

(百合の意味を、リリアンさんに説明してはいけない気がしますわ……)

(こんなに男子生徒がいる前では……)


 百合の意味を聞いたら、リリアンはどんな顔をするだろう。可笑しいと笑うだろうか、それとも恥じらって頬を染めるだろうか。いずれにせよ、それを自分以外の誰かも目撃してよいものだろうか……。


「ご存知でしたら教えてください、アンジェ様」


 きらきらと輝くリリアンの瞳。


【またいらして下さい、アンジェ様】


 熱っぽくも凛としていた、あの時の眼差し。


「……あ、後で、二人の時にでも、お教えしますわ……」

「はい、ありがとうございます、アンジェ様!」


 アンジェすら眩暈がしそうなほど無邪気な微笑みに、男子生徒一同床にひれ伏して五体投地したのだった。




*  *  *  *  *




 明らかにアンジェとリリアンの効果であるが、お菓子クラブは入会希望者が激増していた。同時にお菓子クラブ活動費と指定されたアカデミー寄付金も増え、設備問題は一気に解決した。寄付金のほとんどがリリアンの身元引受人に立候補していた名だたる名士によるもので、詳細を知ったリリアンはぽろぽろ涙をこぼし、お礼にお菓子を送ろうと張り切っていた。寄付金のおかげで魔法オーブンは先日のサロンで使用したような家庭用サイズではなく、王宮の菓子厨房ペストリーにあったような、扉ほどもある大きなものを導入することが出来た。更には小さな魔法氷室も購入できて、リリアンはこれで果物が長持ちする、と大喜びしていた。


 その他の器具も一通りそろえることができたが、オーブンと器具が増えた分だけ部室が手狭になり、入会希望者も増えたため、全員入部となるととても全員は部室に入り切らない。創立メンバーでどうしたものかと悩んで知恵を持ち寄ったところ、部室は機材置き場とし、日頃の部活動は部室から一番近い教室を借りて行い、オーブンを使う時だけ作り途中のお菓子を部室まで運んで使うことになった。


「今日はカップケーキを作ります。二人一組でやってみましょう」


 クラブ活動初日、エプロンに三角巾を付けたリリアンが空き教室の教壇に立った。今日の参加は創立メンバーも含めて二十人強だ。教室の机を寄せて作業台とし、その上にテーブルクロスを敷いて器具も置く。材料はリリアンが教壇の上にまとめて用意しておいて、指示した数や分量を各班が各々持っていく流れだった。


「お菓子は配合が大事です。小麦粉の量、お砂糖の量、卵の数、ミルクの量……数字ではなく、小麦粉に対して何倍、半分、のように覚えると、応用がしやすいです」


 毎回参加は難しいと言っていたフェリクスだが、今日は初日ということで都合をつけて参加していた。勿論ペアの相手はアンジェで、菓子を作るのだか世話を焼くのだか単にアンジェを愛でたいのだか分かったものではないが、とにかく上機嫌でぴったりとアンジェに寄り添いながら指示されたとおりに作業していた。ルナは自分のスカラバディのグレースと、創立メンバーの六人もそれぞれバディ同士でペアになっている。材料が揃い、リリアンの指示のもと一同が小麦粉をふるいにかけたり卵をかき混ぜたりしていると、不意に教室の前方に人影が二つ現れた。


「ご機嫌よう、リリアンさん、みなさん。用事で遅れてごめんなさいね」


 にこりと微笑み入口から入室してきたのは、今日も優雅の化身のような王女イザベラだ。


「イザベラ様! 来てくださったんですね、今始まったところですよ!」

「まあ、そうなのね、それはよろしいこと」


 リリアンが顔を輝かせてイザベラの許に駆け寄ると、イザベラはクスクスと微笑み、顔に落ちかかった前髪をかき上げて耳にかけた。


(……えっ……)


 アンジェは思わず一瞬手を止めてしまう。違和感の正体がわからずにイザベラを凝視するが、彼女を見ても理由がわからない。戸惑って教室を見渡しても誰も何も気が付いていない様子だが、ルナだけが手許ではなくイザベラのほうを見て、僅かに首をかしげていた。


(何かしら……)


 睫毛までプラチナブロンドの王女は真新しい扇子で口許を隠し、リリアンに向かってにこりと微笑む。


「あらあら、子リスちゃん、エプロンが可愛らしいこと。わたくしは何をしたらよいのか教えていただける?」

「はい、今日はこの前と同じカップケーキなんですけど、二人一組になっていただいていて……」


 リリアンは言いながら教室をぐるりと見まわすが、既に全員二人一組になった後だ。アンジェは表情を見るだけで、リリアンがどうしたものかと考えているのがわかる。ニコニコとリリアンの様子を待っているイザベラ。リリアンはうーんと首をかしげたが、入口に立つもう一人の人物を見て、そうだ、と顔を輝かせた。


「アシュフォード先生! イザベラ様とペアになっていただいてもいいですか?」

「……僕が、王女殿下とですか」


 入口あたりで教室には入らず様子を伺っていたオリーブ色の長髪の男性教師が、面食らったような声を出す。フェリクスの異母兄クラウス・アシュフォードは、異母弟の押しに負けてお菓子クラブの顧問となったのだ。


「二人一組なんですけど、私は教える係をしないといけなくて……あっ、イザベラ様も、アシュフォード先生で大丈夫ですか?」


 慌てふためいたリリアンを見て、イザベラの緑の瞳が笑みの形の細められる。


「ええ、構わなくてよ。ねえ、アシュフォード先生」


 イザベラの頬に、ふわりとプラチナブロンドの前髪が落ちかかる。後ろ髪はきっちりと美しくシニョンに結われているのに、その前髪だけがさらさらとしていて無防備で、アンジェは何か見てはいけないものを見てしまったような気にさせられる──


「分かりました、王女殿下。ご相伴にあずかります」


 クラウスは胸に手を当てて恭順の礼を取り、リリアンの指示を聞いてイザベラとともに材料の計量を始めた。感じていた違和感が薄れていくのを感じ、アンジェは眉を顰める。ルナはもうイザベラのほうは見ておらず、ボウルに割り入れた卵の殻をつまんで外に出しているところだった。


「いいなあイザベラ、兄上とご一緒なんて」


 ボウルの卵を泡だて器でかき混ぜながら、フェリクスがぽつりと呟く。


「あら、ではわたくし、アシュフォード先生と交代いたしましょうか」

「それは嫌だ」


 ニコニコしているアンジェにフェリクスは首を振りつつ微笑み返したが、すぐに目線をクラウスへと戻す。材料の計量を終えたイザベラとクラウスは、ボウルと盆を持って空いていた作業机へと向かっている。


「兄上とは、アカデミーの外ではなかなかお会いできないからね。アカデミーでもずっとご一緒できるわけではないし、君との時間も大切だ。けれどもっと忌憚なく会いに行けたらと思うよ」

「わたくしのことなどお気になさらず、存分にご兄弟のお時間を堪能なさればよろしいのに」

「それも嫌だ」

「嫌だ嫌だばかり仰るフェリクス様でいらっしゃいますこと」


 小麦粉をふるいにかけつつ悪戯っぽく笑ったアンジェを、フェリクスは笑いながら小突いた。


「まあ、もうすぐ僕の誕生祝賀会だからね。その時に積もる話をたくさんするよ」

「そうなさいませ。わたくしはリリアンさんとご一緒していますから、どうぞお気になさらず」

「それも嫌だ、僕もそこに入れてくれ」

「また嫌だと仰いましたわね」

「君がつれないからだよ、アンジェ」

「殿下! アンジェ様! 仲良くするのはほどほどにしてください、お菓子が甘くなりすぎますよ!」


 皆の様子を見て回っていたリリアンがニコニコしながらそう言ったので、フェリクスとアンジェは慌てて手を動かしたのだった。


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