22-6 表明

「──陛下。わたくし、フェリクス殿下に一言申し上げてよろしいかしら」


 三人が喚くのを、他の王族と一緒にニコニコ微笑みつつ眺めていたイザベラが、扇子で自分の掌をぱたんと叩きながら国王を振り仰いだ。


「おお、イザベラ。よいぞ、きつく言ってやれ」

「心得ましたわ」


 天の助けとばかりに国王は顔を輝かせ、イザベラはにっこりと微笑む。そのままもう一度ぱたんと扇子を鳴らし、大柄な国王にもう一歩近付く。


「その際……セレネス・パラディオンについて、二人にご説明申し上げてもよろしいかしら?」

「……それは」

「よろしいかしら、偉大にして聡明なるフェアウェルの父、ヴィクトル・ヘリオス・フォン・アシュフォード・フェアウェル国王陛下、わたくしのお優しい伯父上様」


 ほとんど見上げるようにして、あくまでも典雅ににっこりと微笑むイザベラ。その小柄な身体から、冬の根雪のように冷たく重い圧が一気に噴き出しているかのような錯覚を受け、国王どころかバルコニーにいる全員が気圧されてごくりと生唾を飲み込んだ。


「……いいだろう。国の危機だ」

「ありがとう存じます」

「イザベラ……そなた、アリアドネに似て来たなあ……」

「あら、母も喜びますわ」


 イザベラは扇子で口許を隠すとクスクスと笑った。少し離れたところではイザベラの母親、王妹アリアドネがイザベラよりも更に数段研ぎ澄まされた微笑みを浮かべている。イザベラは国王に向かって丁寧に礼をして見せると、しずしずとうなだれている三人のところまで歩み寄ってきた。


「リリアンさん、お立ちなさい。そこの二人からお離れになって」

「はっ、はいっ、イザベラ様っ」


 リリアンはギョッとして飛び上がり、服の埃を払うと、イザベラの後ろに隠れるように逃げ込んだ。今日のイザベラは黄色を基調にしたドレスで、新年らしくヘレニアの日輪を模した模様が豪奢に金糸で刺繍されている。小柄な王女はそれこそ手のりリスを手に乗せた時のように優しく微笑むと、口許を扇子で隠し、アンジェとフェリクスの方に向き直った。


「アンジェちゃん。……アンジェリーク・ルネ・ドゥ・セルヴェール。この話は広く……一般に、知られた話ではなくてよ、わたくしも昨日聞かされたばかり……心してお聞きなさい」

「……承服いたしました」


 イザベラの緑の瞳にじっと見つめられ、アンジェは立ち上がって礼をする。広く一般に知られた、というフレーズをわざわざ強調して言うということは、乙女ゲーム『セレネ・フェアウェル』にも関わる話をするのかもしれない。アンジェが面差しを正したのを見て取ったイザベラは微笑み、フェリクスの方に向き直ってきゅっと眉毛を引き上げた。


「フェリクスくん。この朴念仁。ご自分で説明すると仰ったから任せてみましたけれど、全然ダメじゃない、アンジェアンジェアンジェアンジェ……貴方の頭の中にはアンジェちゃんしか入っていませんの? それともアンジェちゃんのこととなると朴念仁になる仕様ですの? やかましくて適いませんことよ」

「ご、ごめん、イザベラ」

「もうよろしくてよ、わたくしに任せてくださいますわね?」

「ああ……」


 立ち上がり、オロオロするばかりのフェリクスが勢いに負ける形で頷くと、イザベラは静かにため息をついた。自分の後ろでフェリクスよりも更にオロオロしていたリリアンに向き直ると、その瞳をじっと覗き込む。


「リリアンさん。これから話すのは……貴女のための話でしてよ。しっかりお聞きになってね」

「は、はい」

「いい子ね、子リスちゃん」


 イザベラは扇子を畳んでにこりと微笑んで見せた。緑の瞳でちらりと大広間の方を見遣り少しばかり逡巡したが、ふふっと笑い、改めて国王に向き直る。


「皆に聞かれても良いこととしましょう、国の危機だもの。よろしいですわね、国王陛下」

「……あまりよくないが……」

「よろしいですわね」

「…………よかろう」

「ありがとう存じます、寛大なるヴィクトル国王陛下」


 国王はとても渋い顔をしていたがそれ以上は何も言わなかった。隣の王妃がニコニコ微笑みながら国王に寄り添い、国王はやれやれとため息をつく。イザベラはそれには気付かぬそぶりをして、改めて三人に向き直った。


「わたくしたちフェアウェル王国は、百五十年ぶりにセレネス・シャイアン降臨という幸運の時代を迎えました。しかしこれは同時に危機でもあります」


 イザベラの小柄な身体から出ているとは信じがたいほど、つややかでハリのある声だ。視線こそ三人に向けられてはいるが、明らかに招待客全員に向けての朗々とした語り口は大広間にゆるやかに広がり、招待客ひとりひとりの耳にしっかりと届く。


「セレネス・シャイアンが降臨する時代。それは、建国の女神セレニア様の力がもっとも弱まる時代なのです。古き魔物マ……ラキオンが建国の女神セレニア様を聖地セレネ・フェアウェルに封じ、その聖なるお力を奪い続けているためです」


(マラキオン……)


 アンジェは胸が軋んで身体が強張る。あの恐ろしい魔物の笑い声が、耳の奥にこびりついているようだ。自分が古き魔物マラキオンの愛し子というのはまだ誰にも話していないが、黒い炎が、首を締められた苦しさが、何よりそれが真実だと証明しているような気がする。


「我がフェアウェル王国は、王国の守護神ヘレニア様と、ヘリオスの名を継ぐアシュフォード家によって守られています。けれどそれは建国の女神セレニア様のご加護と表裏一体。建国の女神セレニア様のお力が失われれば、王国の守護神ヘレニア様の力も失われてしまいます」


(ゲーム内では、神様は建国の女神セレニア様しか出てきませんでしたわ……)

(こちらの世界を簡略化したのが、乙女ゲーム「セレネ・フェアウェル」という事なのかしら……?)


 イザベラは視線を三人から大広間の招待客たちへと映した。更に殷々と響き渡る王女の言葉に耳を傾けつつ、アンジェはゲームの記憶を手繰り寄せる。


建国の女神セレニア様を、古き魔物マラキオンの手から救い出さなければなりません。それを為し得るのは、建国の女神セレニア様の力を継承するセレネス・シャイアンのみ……」


 リリアンは胸の前で両手を握り締めて、真剣な表情でイザベラの言葉に聞き入っている。フェリクスも神妙な表情で静かに頷いている。


「聖地セレネ・フェアウェルまでの道のりは困難を伴います。聖女を守る騎士が必要です。騎士もまた、特別な力と特別な剣が、秘かにこのフェアウェル王国で受け継がれてきました」


(……騎士?)

(フェリクス様も、そのようなことを仰っていた……)

(ゲームでは全く出てこなかったわ……)


「セレネス・シャイアンを守り、聖地へと導く──聖騎士、セレネス・パラディオン。代々フェアウェル王国で最も優れた剣士に贈られる栄誉ある称号は、王国の歴史と共にひそやかに受け継がれてきました」


 招待客が少しずつざわつき始める。イザベラがちらりとアンジェを見て、一瞬苦しそうに瞳を閉じるが、すぐに決然と前を向いた。


「ですが、今日この新年祝賀会では、わたくしたちは更なる喜びを見出すことになります。セレネス・パラディオン、フェアウェル王国で最も猛き剣士──次期国王、フェリクス・ヘリオス・フォン・アシュフォード・フェアウェル殿下が、正式にセレネス・パラディオンに任命されたのです。彼こそ王の中の王、騎士の中の騎士。セレネス・シャイアンとこのフェアウェル王国、わたしたちを良き未来へと導いてくれるでしょう」


 わああっ──


 歓声と拍手が一度に沸き起こった。イザベラも視線をフェリクスに投げ、優雅に手を揃えて拍手をした。フェリクスは心得ていたのだろう、手すりのすぐ近くまで進み出て、微笑みながらあちらこちらに手を振ってやっている。


「アンジェ様……」


 リリアンが不安そうな顔でアンジェのところまでやって来た。


「リリアンさん……」

「あの……イザベラ様が仰った、私のための話って、どういう意味なんでしょう……私、ここでなにかしないといけないんでしょうか?」

「そうねえ……」

「何かして欲しいというわけではないよ、アンジェ、リリアンくん」


 フェリクスが手を振るのをやめ、二人の隣に歩み寄ってきた。


「僕は晴れてセレネス・パラディオンとなった……セレネス・シャイアンを守る大切な役目だ。リリアンくんの前で申し訳ないけれど、僕はずっとアンジェがセレネス・シャイアンだと思っていたからね。アンジェを守りたい一心で、セレネス・パラディオンを目指して日夜研鑽してきたんだ」

「その……わたくしは、セレネス・パラディオンというものが初耳なのですけれど、その方でなければセレネス・シャイアンを守ることは難しいのですの?」


 フェリクスは息を呑み、それから少し悲しそうに笑う。


「難しいんだ、アンジェ。魔物たちに対抗する力を持っていなければ、人間は一方的に奴らに蹂躙されるだけだ。セレネス・シャイアンは歴史上でも何人か登場しているのに、未だに建国の女神セレニア様は復活なさっていない。……皆、道半ばで潰えてしまったんだよ。諦めて隠遁して暮らした者もいるし、魔物の手にかかって、悲しい最期を遂げた者もいる」

「……そんな……」

「アンジェ、僕は君を、君だけをそんな危険に晒すなんて耐えられなかった。君がいつかセレネス・シャイアンとして旅立つ日には、僕もその隣に立って、命を賭して君を守ろうと思ったんだ」

「殿下……」


 アンジェは呆然とフェリクスを見上げる。アンジェを抱えきれないほどの愛で溺愛していたフェリクス。いつも禁欲的に努力を積み重ねていたフェリクス。その積み重ねの先に自分がいたなどと、夢にも思わなかった。


「けれど……セレネス・シャイアンはアンジェではなくリリアンくんだったね。セレネス・パラディオンとなったからには、僕はリリアンくんのことも守り通す心づもりだよ、そこは安心して欲しい」

「そんな……殿下、私なんか……」


 リリアンが恐縮するのをフェリクスが優しく見つめている。イザベラも三人のところに戻ってきてアンジェの横に立つと、小さな声で囁いた。


「セレネス・シャイアンが王族と結婚というのも、こうした犠牲に対する贖罪の意味合いもあるようなのよ。死んでしまうかもしれない使命を課す代わりに、姻族として家族縁者の生活を保障する、身分や名誉を得ることが出来る──セレネス・シャイアンが王族と結婚することには、それ以上の意味はないと言えるわ」

「…………」


 大広間では、フェリクスの姿が見えなくなっても、まだ拍手と歓声が続いている。


「あの……私……」


 リリアンが青ざめた顔で震えながら口を開く。


「その……で、殿下が……お守りくださる、お気持ちは、その……畏れ多いし……私なんかのために、誰かが死んでしまうのは……その……」

「リリアンくん、大丈夫だ。僕も君も死んだりなどするものか。建国の女神セレニア様と王国の守護神ヘレニア様のご加護がきっとあるだろう」


 フェリクスがリリアンに優しく声をかける。それは励ましとも慰めともつかない、決意がにじみ出た口調だ。アンジェはそれを見て何故だか胸が詰まる。いつか感じた黒い炎に似た感情が身体を駆け巡る。それはフェリクスに対してなのか、リリアンに対してなのか──二人はいつか、使命のために手を取り合って旅立ってしまうというの? あの子を守るのは、彼にしかできない事なのか……。


「……あの、殿下」

「なんだい、アンジェ」

「セレネス・シャイアンは、神託によって告げられましたけれど……セレネス・パラディオンにもそのようなものはありますの?」

「特にはないよ。強いて言えば、セレネス・パラディオンにだけ扱う事の出来る武器と魔法が継承されるくらいかな」

「では……」


 アンジェは両手を握り締めてフェリクスを見上げる。


「わたくしも……努力すれば、セレネス・パラディオンになることはできますの?」

「……え?」


 フェリクスは虚を突かれて目を見開く。


「君が……え? 何を言っているんだい、アンジェ」

「わたくしも……リリアンさんを、守りたいのです。ただ守られるだけでなく、お二人を見送るだけでなく……この手で、リリアンさんを、お守りしたいのです」


 アンジェの青い瞳が、カッと燃え上がった。




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