11-2 受け止めて鮮烈 チョットイタイヨ
「アンジェ様、ごめんなさい。私、忘れ物をしてしまったみたいです。戻って取ってきます」
「まあ、大変」
「ごめんなさい、あの、持っていただいて」
ぺこりとお辞儀をして、アンジェが預かっていた筆記用具を受け取ろうとリリアンは手を差し出した。子リスがくるみを欲しがっているみたいだなとアンジェは頭の隅で思いつつ、その手に彼女の持ち物を返してやる。
「リリアンさん、わたくしもご一緒するわ」
「ええっそんな、申し訳ないです」
案の定リリアンはギョッとしたが、アンジェはにこりと微笑み返した。
「この後はフェリクス様をお待ちしているだけだもの、お力添えさせてくださいね」
「そんな……」
「一人で探すと思わぬところで見落としたりしますわ、二人の方がよくてよ」
「……ありがとうございます、アンジェ様」
リリアンの険しかった顔が少しだけ緩む。良かった、力になれて。アンジェもつられて頬が緩んだが、まだ見つけてもいないのよ、と自戒する。二人で元来た道をきょろきょろしながら戻ったが、落とし物どころかゴミ一つ見つけられないまま、大会議室前まで戻ってきてしまった。リリアンは会議室に入るかどうか少し考え込んでいたが、死地に赴く兵士のような顔つきで入室し、ほどなくしてうなだれながら戻って来た。
「会議室……ありませんでした……」
「まあ……困りましたわね。フェリクス様たちはまだいらして?」
「はい、何か話されていました」
「そう……」
「私、自分のクラスルームを見に行ってみます。アンジェ様は戻られてください」
「ご一緒しましてよ、一人より二人の方が見つけやすいでしょう」
「ありがとうございます、すみません……」
アンジェがそう答えると予想していたのだろう、言葉とは裏腹にリリアンはふふふと笑った。アンジェもよろしくてよと微笑み返し、二人は連れ立って歩き出す。落とし物、落とし物。ポケットに入って、落としたことに気が付かないような、リリアンの大切な──
「……そう言えば、何をお忘れになったの?」
「あっ、私、言ってませんでした!?」
「ええ、大きさや形を教えてくださる?」
「その……あの……」
「なあに、また言いにくいものなんですの?」
似たようなやりとりを何度もしていますわね、とアンジェは笑ったが、リリアンは今までで一番躊躇い、もじもじして、瞳をきつく閉じて唸りながら考え込む。アンジェはその様子に思わず姿勢を正すが、リリアンは更にしばらく考え、ようやく俯いて、周囲に誰もいないかと様子を伺ってから、絞り出すように呟いた。
「……お、お人形、なんです」
「……お人形?」
「はい……あの」
青ざめて、涙目で、リリアンは頷く。
「あの……あの、よくある、これくらいのじゃなくて、これくらいの、小さくて……ポケットに入るくらいで。う、うさぎの……お人形で」
少女は肩幅程度に両手を開き、それから人差し指で小さな隙間を作ってしどろもどろに説明する。フェアウェルローズに入学するような年頃の少女が、幼児が遊ぶような小さなうさぎの人形を失くした? 虚を突かれて呆然としているアンジェを見上げたその瞳から、ぽろりと涙が一粒零れ落ちる。
「……母の……形見で。お守りなんです……」
やっとのことで絞り出された、小さな呟き。
形見という言葉よりも、彼女の思い詰めた様子が、アンジェを我に返らせる。
「……まあ、お母様の?」
「……はい」
「そう……驚いてしまってごめんなさい。それは必ず見つけないといけませんわ」
「すみません……」
涙は続けざまにポロポロ零れ、リリアンは手の甲でそれを拭う。アンジェは胸が痛み、自分のハンカチ──リリアンが刺繍をしたハンカチで、彼女の涙を拭ってやる。
「大丈夫、大丈夫よ、リリアンさん。きっと見つかりますわ」
「はい……アンジェ様、ごめんなさい、ハンカチが……」
「貴女からいただいたものよ、お使いになって」
「すみません……」
リリアンはハンカチで何度も目尻を拭う。アンジェはその背にそっと手を添える。母親とリリアンがどんな関係だったかは知る由もないが、お守りだと言ってアカデミーまで持ってくるということは、それだけ母親を慕っていて、その死を悼んでいるということだ。仲が良かったか、あるいは最近亡くなったばかりなのかもしれない。もしそうだとしても、アカデミーで見かけるリリアンはいつもニコニコとアンジェに笑いかけてきて、そんなそぶりは全く窺わせなかった。
(リリアンさん……)
(ずっとご無理をなさっていたのかもしれませんわ……)
「リリアンさん、最後にそのお人形を確実に見たのはどこですの?」
「クラスルームを出る時に、ポケットを、確かめたのは、覚えてるんです」
少ししゃくり上げてはいるが、少女の口調はアンジェの予想よりもしっかりしていた。涙を拭いて、チリ紙で洟もかんで、腫れぼったい瞼で心細げにアンジェを見上げる。
「会議室に行く前に、ちょっと寄り道したので、そのどこかかもしれないです」
「そう、ではクラスルームから、リリアンさんが通った順に行ってみましょう」
アンジェはリリアンと手をつないでやり、彼女のクラスを目指して歩き始めた。リリアンはうつむいてとぼとぼとアンジェの後をついてくる。アンジェの手を握り返す手は力なく、少し震えている。放課後も時間が経ち校舎に人はおらず、リリアンの泣き顔が人目に晒されなくてよかった、とアンジェは内心呟いた。
(そういえば、ゲームでは、最初の生徒会の後、
(嫌がらせの内容までは、流石に全て思い出せませんけれど……)
(ものを隠したり……では、なかったはず)
(……けれど、まあ、嫌がらせの原因たるわたくしがここに一緒にいるのだし、何事もないでしょう)
「教室はこちらね? 念のためご自分の席をご覧になってみて」
「はい……ありません」
「その後の寄り道は、どこを通られたの?」
「はい……」
今度はリリアンが前になって歩き出すが、小さな手はアンジェの手を離そうとはしなかった。
「ここを通って……」
会議室とは反対方向、隣のクラスの廊下を抜けて、部室棟へと向かう渡り廊下のあたりをリリアンは歩いて行く。空はもうすっかり橙色で、渡り廊下の柱の影が長く伸びている間を、リリアンとアンジェはきょろきょろしながら足を進める。渡り廊下には結局何もなく、来た道とは校舎の反対側にある階段を上ってしまえば、もう会議室に着いてしまう。階段を登り切り、すぐ向こうに会議室の扉が見えるというあたりで、リリアンはふと足を止めた。
「……そうだ。私、ここでつまづいて……」
「まあ、大丈夫でしたの?」
「はい……ペン入れを落として……拾って……」
リリアンはアンジェの手を離れ、ブツブツ呟きながら辺りを見回す。アンジェも周囲を見回し、更に上階へと向かう階段を仰ぎ見る。踊り場の大きな階段の窓の外は、橙から紺色に代わる空を切り取って、窓枠のシルエットが黒々と──その窓の隅に、何か小さな異物が、ちょんと置いてあるのが見えた。アンジェは目を凝らす、丸いものが二つ縦にくっついているようで、細長い葉っぱのような形が上に二つ、ぴょこんと飛び出している──
「リリアンさん、あれは……?」
「えっ……」
リリアンはアンジェが指差した先を振り仰ぎ──息を呑むと、一気に階段を駆け上がった。
「ミミちゃん!」
窓枠のところに置かれていたのは、やはり小さなうさぎの人形だった。リリアンは両手で人形を掬い上げ、掌の中のうさぎのつぶらな瞳を覗き込んで、ぽろぽろと涙をこぼす。
「ミミちゃん……良かった……ごめんね……!」
「可愛いうさぎさんね」
アンジェも遅れて階段を上り、リリアンの手許を覗き込んだ。十センチにも満たないが愛らしいフォルムの布製のぬいぐるみだ。テディベアに似た作りで人間のように直立していて、少しくたびれたワンピースの服を着せられている。ガラス玉の黒い瞳がきらきらと光って、つぶらな眼差しでリリアンを見上げているようだった。
「はい、母が、その……買ってくれて。ちっぽけですけど、大事にしていたんです」
「きっと素敵なお母様でいらしたのでしょうね」
「はい……」
泣いているリリアンの背をそっとさすってやりながら、アンジェは言い表しようのない既視感に、そのうさぎの人形を凝視し続ける。
(祥子が子供の頃……ああいうので遊んでいましたわ……)
(なんと言ったかしら……しる……しるば……ああ、あの世界の固有名詞になると言葉が分からなくなりますわ……)
(とにかく、動物がたくさんで、お洋服や小物があって、ミニチュアのおうちも可愛らしくて……)
(しる……ああ、分からない……)
リリアンはしばらく階段の踊り場で泣き続けたので、瞼も顔もぱんぱんに腫れあがってしまった。アンジェが貸したハンカチはぐしょぐしょになってしまい、お洗濯して返します、と申し訳なさそうにポケットにしまう。
「アンジェ様、本当にありがとうございました」
「いいのよ、でもお茶は明日にしましょうか、もう遅くなってしまいましたわ」
「はい」
うさぎのミミちゃんはしっかりとリリアンのポケットにしまわれ、二人は階下へと歩き出した。校舎の中はもう仄暗く、しっかり確認しないと足元もおぼつかない。
「明日、王女殿下のお菓子、持って行きますね」
「ええ、ありがとう、楽しみにしているわ」
二人は会議室のフロアまで降りてきて、そのまま元来た方へと更に階段を進む。
「どんなお菓子なんでしょう……あっ」
先に階段に差し掛かったリリアンの足がもつれ──ぐらりと、小柄な身体が階下に向けて傾いた。
「…………リリアンさん!!!!!!」
咄嗟に差し出したアンジェの手が、呆然とするリリアンの手に届かない。身を乗り出したアンジェのつま先が何かに引っかかってバランスが崩れる。大変、危ない──あの子が危ない! 二人して落ちていくのがいやに遅く感じる、この手が届かない、ああ、危ない、どうか、誰か! アンジェの全身を静電気のようなものが駆け巡り、ばちんとはじけた瞬間、リリアンの手に自分の手が届いた、手繰り寄せる、床が近づく、頭を自分の胸に抱き込む──
どしゃっ!!!
鈍い音と、左半身への重い衝撃は同時にやって来た。
「う……」
アンジェは呻く。視界がチカチカして前が見えない。
「あ、あ、あ、アンジェ様、アンジェ様!?」
リリアンの声がどこか遠くから聞こえる気がする。身体のすぐそばから、温かなものが離れて、自分の腕がどさりと落ちる。
「アンジェ様!!! 誰か来て、アンジェ様が、アンジェ様が私を庇って、セルヴェール様が!!! 誰か……誰か!!!」
「リ……リアン……さん……」
リリアンが立ち上がる気配。わたくしも立たなくては。全身が脈動に合わせてどくどくと膨らんでいるような気がする。頭が重い、何かが詰まって息が苦しい──身体を起こして、無意識に顔のあたりを押さえた指の間から、生暖かい液体がぼたぼたと落ちた。
「きゃああアンジェ様、ち、血が!!! 誰かぁー!!!!!!!」
悲鳴が耳に痛い。階段から落ちる、そうだった、確か、ゲームでも。
(そうですわ……階段から落ちて……その上に、
(「まあ……危ないわ、お気をつけあそばせ」というだけ……)
他ならぬ
(わたくし……誓って、何もしていない……)
(
(でも……だとしたら……)
ダメだ。考えられない。頭が熱い……。
「こちらの方からアンジェと聞こえたような……あっアンジェ!? スウィート嬢!?」
「殿下お助け下さい、アンジェ様が!!!」
「大変だ! アンジェ!!!」
フェリクスの声が聞こえる気がする。滴るものが止まらない。身体を支えていられない……。
「……なりません殿下!」
「ヴォルフ何故止める!? ……これは、針金……?」
「楽器などに使う弦と思われます。このまま触らず調べさせたほうが良いでしょう」
「だが僕はアンジェのところには行くぞ!」
(フェリクス様……いらして下さった……)
(リリアンさんは、ご無事なの……?)
「……私めが先に行き、他に何もないか確かめます。殿下はその後です。それは譲りません」
「……分かった。よく気付いてくれた。急げ」
「御意」
石造りの踊り場は、身体の下で、いつまでも冷たく硬かった。
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