9-2 甘い記憶

「そうだわ、リリアンさん」

「ひゃいっ」


 ナプキンを集めていたリリアンがぴょこんと飛び上がる。


「何でしょう、アンジェ様」

「貴女、課外活動は生徒会になさるって、それでお決めになってよろしかったの?」

「……ダメでしたか?」

「いえ、そうではなくて」


 背の高いアンジェを背の低いリリアンが見上げると、それだけで上目遣いになる。不安そうに首を傾げたリリアンが可愛くて、アンジェは慌てて両手と首を振った。


「何か他にやりたいことがあって、けれどフェリクス様があのように仰ったから、無理をなさったりしていませんこと?」


 リリアンは一瞬ポカンとした後、無理はしてないです、と嬉しそうに笑った。


「もともと、入りたいなと思っていた課外活動がなかったので、アンジェ様がいらっしゃる生徒会にしようと思っていたんです。お伝えしてなくてごめんなさい」

「それは構わなくてよ……その入りたかった課外活動とは何ですの?」


 アンジェも集めたナプキンを一緒に畳みながら尋ねると、リリアンはえーと、その、としばらく躊躇った。アンジェが言いたくなかったら無理に言わないで、と言い添えると、そうじゃなくて、と首を振り、ようやっと恥ずかしそうに呟いた。


「……お料理です」

「まあ、リリアンさん、ご自分でお料理をなさるの?」

「はい、あの、お料理というか、お菓子なんですけど」


 頷いたリリアンの顔を、茜色の陽光が照らしている。その顔が朱に染まっているのは見て取れたが、いつもの恥じらう顔ではなく、どこか溌溂として誇らしげな表情に、アンジェは思わずまじまじと見入ってしまう。


「パイとか……クッキーとか……ケーキとか。作るのが好きなんです」

「そうでしたのね、存じ上げなかったわ」

「レシピ通り作っていくのが楽しいし、自分で作るととっても美味しいんですよ!」


 貴族と冠する家柄であれば、爵位や財産の程度がどうであれ、家には使用人がいて食事の用意をさせる。日常の労働から切り離されているのが貴族のステータスの一つでもあるからだ。アンジェもサロンホストとしてお茶を淹れることはあるが、それ以外を作ることなど全くの未経験だった。貴族子女が料理や菓子作りをしようとしても、大抵は庶民の真似をするものではない、と叱られてしまう。本人がよほど強く希望しなければ、楽しい、好きと言えるほど嗜むことはなかなか難しいだろう。


 そうやって、強く希望を言い続けて。

 アンジェの目の前の少女は、自分の好きなものを勝ち得て来たのだろうか。


「よければ今度アンジェ様にもお作りしますね、お好きなお菓子を教えてください」


 アンジェの顔を覗き込む笑顔がいつもより得意げなのは、気のせいではないだろう。アンジェはありがとうと頷きながら、リリアンの顔を猶もまじまじと見つめる。


(お菓子作り……)

(祥子はよく、お友達と作っていたような記憶がありますわ)

(祥子もお友達も、とても楽しそうで……)


 祥子と仲良しの少女が、一年に一度のチョコレートをプレゼントする日だとかで、材料を買い、ラッピングを買い、きゃあきゃあ言いながら何かを混ぜて、温めて。味見をして、きっと上手く行くよ、と微笑み合って、冬の街を歩いて行く……。


(あんな風に……)


 菓子を自分で作るなど、つい先ほどまでは夢にも思わなかった。色とりどりの甘くて美味しい菓子を、ただ選ぶだけでなく、自分の手で作ることが出来たら。


(わたくしも……)


 それが、彼女と一緒だったら、どんなにか楽しくて素敵な時間になることだろう?


「……リリアンさん」

「はい」

「お菓子作りがお好きなら、ご自分でクラブを立ち上げてみるのはいかがかしら」

「えっ、でも私は生徒会に」

「それはそれ、これはこれですわ」


 ひとたび言葉にすると、きらめきが胸の奥から湧いてくるようだ。


「そうよ、それがよろしくてよ……生徒会メンバーなら新規申請やメンバー集めもやりやすいでしょうし、わたくしももちろん入部いたしますから。是非とも立ち上げましょう、お菓子クラブ」

「えっ、えっ、でも、あの、私、趣味で作ってただけで、クラブがあったらいいなと思ってはいましたけど、自分でクラブ立ち上げなんて、そんな、そんな上手ではなくて、その」

「じゃあこうしましょう、次のわたくしのサロンは、リリアンさんのお菓子をいただく会にいたします」


 聞き耳を立てていたサロンメンバーが、えっ、まあっ、と瞳を輝かせる。アンジェは自分の発案の手応えを感じ、リリアンの手をぎゅっと握って微笑んでみせた。


「リリアンさん、そこで簡単なお菓子の作り方をわたくしたちに教えて下さる? それを聞いて、クラブに出来るかどうか、みなさんと一緒に考えてみましょう?」

「えっ……あの……アンジェ様……」


 リリアンは圧倒されて言葉に詰まる。だがつないだ手からアンジェのきらめきがリリアンに乗り移るかのように、その顔が少しずつ明るく、希望に満ちていくのが分かる。夕陽よりもきらめくすみれ色の瞳は、彼女の花冠と同じ色で、なんと美しいことか。リリアンは最後には満面の笑みになると、アンジェの手を力強く握り返した。


「私……やってみます、アンジェ様!」


 にこりと、嬉しそうに、誇らしげに、リリアンは笑う。

 その笑みに吸い込まれるように魅入ったアンジェは、きゃあああ、と、サロンメンバーの歓声に我に返った。メンバーはリリアンを取り囲んで大騒ぎし、その手を取り、肩に手を乗せ、拍手をして、何か表彰でもされたかのようにはしゃぎ回る。


「私たちでお菓子作りだなんて素敵!」

「ワクワクしますわ!」

「私にも上手に作れるかしら?」

「メンバーは今日と同じにいたしましょう、是非いらしてくださいね」

「はい!」

「絶対参加いたします!」

「楽しみね!」

「……私も勘定に入ってるのか?」


 ルナが怪訝そうな顔で尋ねて来たので、当然ですわ、とアンジェが頷き返すと、ルナは渋い顔で肩をすくめて見せた。


「私は作るのには向いてないぞ、多分」

「では味見係をしたらよろしくてよ」

「味見か。それなら悪くない」


 ルナがフフッと笑ったので、アンジェもその肩を軽く叩いて笑ったのだった。


 夕焼けの空が刻々と色を変えていく様が、いつまでもずっと美しかった。




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