第9話 甘い記憶
9-1 甘い記憶
フェリクスがアンジェのサロンに臨席したのはほんの三十分ほどだった。この後はいくつかの部活に顔を出して、夜は父王の閣議に同席させてもらうのだという。ちなみにフェリクスは生徒会長だが剣術部と馬術部にも形ばかり所属している。どちらも幼い頃から王子専任の優秀な教師たちに師事しており、貴族令息の部活レベルはとうに凌駕しているのだが、フェリクスの希望で他校との交流試合やトーナメントに出場するために籍だけ置いている。それはアカデミー側にも望ましいことだったので、両者の利害が一致する形で特別に許可された。
いつものようにアンジェの手を握り締め、名残惜しそうに何度も振り返りながらフェリクスは護衛を伴ってカフェテリアの方に戻って行った。アンジェはいつも通り、サロンメンバーは興奮して三文芝居のように大袈裟すぎるほど別れを惜しんで(ルナだけは自分の肩を抱いて目を逸らして震えていた)彼を見送ったあたりで、予約の終了時間となった。日もいつの間にか傾き、空は見事な夕焼け、東屋に差し込む光も茜色に変わっていた。
サロン利用後は、スタッフが片付けやすいように食器や食べ残しをまとめておく決まりになっている。自然と二年生が自分のバディにやり方を指示しながらの片付け作業となった。
「……それにしても」
集めたカトラリー類をアンジェに手渡しながら、リリアンが呟く。
「殿下がお見えになるなんて、全然予想してなくて……びっくりしました」
「あら、そう?」
アンジェは差し出されたものを受け取りながら、にこりと微笑み返す。
「フェリクス様、今日はご予定が多くて来られるか分からないと仰っておりましたの。もしそうなったらみなさんとても残念がるでしょう、ですから事前にはお伝えしませんでしたのよ」
「じゃあ、アンジェ様はご存知だったんですか?」
「ええ」
アンジェはリリアンを、そのストロベリーブロンドの髪を飾るすみれの花冠を見て、うっとりと目を細める。
「すみれのこと、ずっとフェリクス様にお話ししていましたの。きっとお似合いになるって……今日サロンでお渡しすることもお伝えしてありましたのよ」
「そうだったんですね……は、恥ずかしかったです……」
リリアンは先ほどのことを思い出したのだろう、赤くなった顔を両手で隠して首を振った。実際のところアンジェは無理はしないで欲しいと前置きしつつ、絶対にフェリクスにもリリアンが花冠をつけた姿を見て欲しい、リリアンの可愛さをフェリクスと共有したい、五分でも十分でも、少し立ち寄るだけでもいいからとかなり強めに頼み込んだ。いつもは聞き分けの良いアンジェの必死な様子にフェリクスは少しばかり驚いていたが、愛する君の可愛いおねだりを叶えるのも良いものだね、必ず行くよと笑いながら了承し、アンジェの滑らかな手の甲に優しくキスをした。
「そうよ、セルヴェール様は殿下がいついらっしゃるか、教えて下さらないのよ!」
「初めてお見えになった時は、心臓が爆発してしまうかと思いましたわ!」
「毎回というわけではないですけど、油断なさらない方がよろしくてよ、スウィートさん!」
アンジェのクラスメイト達が、片付けの手は止めずにニコニコしながら話題に入って来た。それを聞いたリリアンよりも彼女たちのスカラバディの方がギョッとする。
「ええっ、殿下はそんなに頻繁にお見えになるんですか!?」
「あんなの見たら、心臓がいくつあっても足りないわ!」
「これでしょ、セルヴェール様がこう」
スカラバディの一人が片付けかけていたカップとソーサーを、もう一人のスカラバディに差し出す。
「そう、これを殿下が、こう!」
ルナのスカラバディが先程のフェリクスのように、相手の手を包み込むようにしてそれを受け取る。
「ときめくセルヴェール様!」
「微笑む殿下!」
「見つめ合うお二人!」
「ハートの形にふわんとなった湯気!」
きゃあきゃあ騒ぐ一年、一緒になってうんうんと頷くリリアン。
「殿下は、本当にアンジェ様を大切になさってるんだなと思いました!」
「本当にそれよねスウィートさん!」
「私たちが渡したものも微笑んで受け取ってくださったけど、セルヴェール様は特別だって、びしばし伝わってきました!」
「あんな風にはっきり態度でお示しになって、愛が大きすぎますわ!」
「私もあんな風に愛されてみたいです!」
一年生五人は団子のように群れて互いの手を取りながらきゃあきゃあ騒ぎ、二年生もうんうんと頷く。ルナはずっと笑いっぱなしで、とうとう片付け作業を諦めて、アンジェの肩に突っ伏した。
「アンジェ。
「何ですの急に、ルナはいつもお招きしているでしょう」
「こんなに笑ったサロンは生まれて初めてだよ」
「貴女ずっと笑っていらしたものね……そんなにおかしくて?」
「ああ、最高の娯楽だ」
ルナは顔を上げてアンジェの顔を覗き込み、にっこりと笑って見せた。
「私は誰かが誰かに懸想している顔が大好物なもんでね」
「だからってあんなに笑わなくてもよろしいでしょう?」
「いや、もう、無理だ、笑っちまう」
「もう……」
ルナの笑い上戸は、笑いどころは分からないがもう慣れている。アンジェもつられてクスクスと笑い、それからふとリリアンの方を向いた。
「そうだわ、リリアンさん」
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