8-2 念願のすみれ

「やあ、アンジェ、淑女諸君。僕も少しだけ同席しても良いだろうか」

「まあ、フェリクス様」

「ででで、殿下!」


 ふわりと微笑んだアンジェの隙をついてリリアンはばたばたとアンジェの膝を降りた。アンジェは名残惜しそうに手でそれを追うが、捕まえはせずに自分もその場に立ち上がる。リリアンは他のメンバーが王子登場に色めき立つ間に制服の裾やら髪やらを急いで整え、一同と共に王子に会釈するのに間に合った。


「フェリクス様、ようこそお越しくださいましたわ、さ、こちらへどうぞ」


 アンジェはカフェテリアスタッフが持ってきた椅子を自分の横に置かせると、フェリクスをその席に招いた。フェリクスが微笑んでその席に腰掛けると、令嬢たちはこぞってパイやら茶菓子やらお茶やらを用意し、次々とフェリクスの許に運んでくる。アンジェはメンバーの振る舞いが礼儀に適っているのをさりげなく確認しながら、お茶を新しく淹れる準備をする。


「今日はクラスで仲良くしていただいている方々と、彼女たちのスカラバディをお招きしてみましたの」

「そうだったのか、では新入生もいるんだね」


 二年生はさすがにフェリクス臨席にはもう慣れた様子だがそれでも頬を朱に染め、一年生は皿の上のケーキが倒れそうになるほど緊張で震えさせ、そうして持ってきた皿をフェリクスは全て微笑みながら受け取ってやる。リリアンがプルプルしながらジャムの小瓶を聖杯でも捧げ持つかのように両手で渡し、最後にやって来て機嫌の良さそうなルナが大袈裟すぎる動作でスコーンの皿を手渡すと(フェリクスはその時だけ笑顔を消した)、アンジェが新しいカップにお茶をなみなみと注いだ。


「さあどうぞフェリクス様、ディンブラのストレートですわ」

「ありがとう、アンジェ」


 フェリクスは差し出されたカップとソーサーをアンジェの掌ごと包むようにして受け取る。淹れたてのお茶から湯気が上がり、二人の間に茶葉の香りを広げながら消えていく。息を呑んでアンジェがフェリクスを見遣ると、婚約者は上機嫌ににこりと微笑んで見せ、その手からゆっくりとカップとソーサーを抜き取った。


「皆もありがとう、素晴らしいお茶の時間になりそうだね。早速いただくとしよう」

「……お召し上がりくださいませ、きっとお口に合いましてよ」


 アンジェは握られた感触が残ったままの両手を胸の前で握りしめる。フェリクスは素知らぬ顔でカップを持ち上げてお茶を一口飲み、それからテーブルにソーサーを、その上にカップを置いた。王子とその婚約者の一挙一投足を固唾をのんで見守っていた一同は、典雅の化身のようなその振る舞い、そんな彼らが自分と同じテーブルを囲んでいることに感嘆を禁じ得ず、自分の隣のスカラバディや同級生ときゃあきゃあと言葉を交わす。


(もう……)

(急に……お触れになるから……)

(……みなさんがいらっしゃるのに……)

(温かな御手でしたわ……)


 アンジェは誇らしいような、あまり騒ぎ立ててほしくないような気持ちになったが、フェリクスは相変わらず何一つ気にしていないようだった。アンジェを挟んでフェリクスとは反対側に座ったリリアンが偉業を成し遂げた顔つきで彼女のパイを切り分けている──その髪に飾られた可憐な花冠を見て、王子は嬉しそうに微笑んだ。


「アンジェ、君が今朝話してくれたすみれの花冠、無事にスウィート嬢に渡せたようだね」

「はい、想像以上に可愛らしくて素晴らしくて、感動いたしましたわ」

「それは良かったね。君の庭師も苦労の甲斐あったと喜ぶことだろう」

「ええ、よくしてくれたとお父様お母様にご報告しようと思います」

「それがいい」

「スウィートさん、フェリクス様によく見せて差し上げて」


 自分のことを話されていると察しつつも気づかないふりをしていたリリアンは、名前を呼ばれてぴゃっと飛び上がった。慌てふためく様子を見てアンジェがクスクス笑いながら立ち上がり、リリアンも立つように促す。言われるがままに立ち上がったリリアンは、そっと触れたアンジェの手に押し出されて、フェリクスとアンジェの間に立たされた。


「ほら、ご覧になって」

「あああああアンジェ様ぁぁぁぁぁ」


 東屋の屋根が作る柔らかな日陰の下、ぴーぴー騒ぐストロベリーブロンドの髪の上で、季節外れのすみれの花が可憐に揺れる。それはテーブルの上に並ぶパイや茶菓子を色褪せさせるほど瑞々しく咲き誇っていた。


「本当だね、スウィート嬢の髪と瞳の色によく合っている」

「ででで殿下畏れ多いですううう」


 ニコニコしているアンジェ。

 ニコニコするフェリクス。

 何かもにゃもにゃと言い続けているリリアン。


「そうでしょう、入学式の時から絶対にすみれが似合うと思っていましたのよ。夢が一つ叶いましたわ」


 アンジェはリリアンの背中をよしよしと撫で、彼女を自分の席に戻してやった。リリアンはそそくさと席に座ったが、アンジェの方をパッと振り返る。


「アンジェ様、夢だなんて……」

「うふふ、素敵なハンカチのお礼にもならなくてよ。すみれは春まで待たないとと諦めていたのだもの、なおさら嬉しいのです」

「そんな……私なんか……」

「そんなに恐縮なさらないで。わたくしが見立てたのですもの、間違いなくお似合いでしてよ。喜んで笑ってくださったら、それでいいの」

「はい……」


 リリアンはようやくどこかほっとした表情になり、アンジェもそれを見て柔らかに微笑み返し、二人してクスクスと笑い合った。一同その様子をそれぞれ見ていたが、特にアンジェの隣で茶菓子を食べながら食い入るようにその様子を眺めていたフェリクスは、至極満足そうに微笑み、テーブルの上で両手を組む。


「君とスウィート嬢の友情はいつ見ても尊いものだね、アンジェ」


 離れた席でルナがげふっと吹き出す。


「まあ、そうでしょうか、尊いだなんて……」

「ああ、心が洗われるようだったよ。僕も是非その仲間に入れていただけるかい」

「まあ、仲間だなんて。是非ご一緒してくださいな、フェリクス様」

「ありがとう、アンジェ」


 頬を染めて頷いたアンジェを見てフェリクスは愛しげに頷いた。かと思うとサロンメンバーの一人一人に視線を遣り、カップを持ち上げてお茶を一口飲む。自分の一挙一動が全員に注目されているのを確認するかのように、カップをゆっくりとソーサーの上に置く。取っ手から手を離し軽くため息をつくと、一同をぐるりと見渡しまたしても微笑んで見せた。


「今日はいつにもまして賑やかだね。新入生諸君、入学おめでとう。アカデミー内は一通り見て回れたかい?」


 食い入るようにフェリクスの顔を見ていた一年生達は、自分達に話しかけられたと分かると互いに顔を見合わせ、パッと瞳を輝かせた。


「はい、あのっ、スカラバディのエリン様にご案内していただきまして、図書館がとても素敵でした!」

「私は、競技場で先輩方が練習に打ち込んでいるお姿が素晴らしかったです!」

「魔法場で早く魔法の授業を受けてみたいです!」

「自宅から通っているので、寮の様子を見せて頂きました!」


 我先にと発言し、フェリクスが頷く度にきゃああと歓声を上げる一年生たち。リリアンも何か言おうとしたがタイミングが悪く、最後に順番が回ってきた。


「あ……あの……」


 全員の視線が自分に集まり、リリアンは一気に顔が赤くなる。


「あ、アンジェ様に、連れて行っていただいた、森が、素敵でした」

「……まあ、意外だわ」


 アンジェは驚いてリリアンの方を向く。


「いろいろご一緒しましたけれど、あそこが一番お好きなの?」

「ひゃ、あっ、はい、なんか、あの、好きなんです、木」

「木?」

「あっ、あの、森ってことです」

「そう、森がお好きなのね、わたくしも森は好きよ。貴女らしくて素敵ですわね」

「あっ、ありがとうございます」


 笑い合う二人をニコニコと眺めていたフェリクスが、皆アカデミーを楽しんでくれているようで何よりだ、と続ける。


「授業に慣れてきたら、次は課外活動だね。もう見学にも行っているのかい、我が生徒会に入ろうという気骨ある淑女はいるのだろうか」


 アカデミー内の生徒たちの自治活動を束ねるのが生徒会だ。フェリクスは一年の時から所属しており、昨年の総選挙で圧倒的支持を得て生徒会長に就任している。アンジェも昨年から入会しており、今年度からは正式に役職補佐を担うことが出来るようになる。


 一同は互いに──特にそれぞれのバディと顔を見合わせた。生徒会にはアンジェのような、それこそ学年首席となるような優秀な生徒が入会することが多い。課外活動はクラスメイトと同じものを選んだり、スカラバディの勧めで選ぶことが多く、入学時点で生徒会入会を既に決めている生徒はよほどの向上心を持っている生徒だ。かといって、フェリクスが直接尋ねているこの場で手を挙げれば、彼の覚えがめでたくなるというものだ。


(そうだわ……課外活動)

(リリアンさんは何を選ぶのかしら……?)


 乙女ゲーム「セレネ・フェアウェル」では、課外活動の選択によってどの攻略対象と出会えるかが決まっており、実質ルート選択と同義となっていた。フェリクス攻略なら生徒会、クラウスなら図書委員会といった具合だ。ゲーム内の課外活動は攻略対象者の人数分しかなかったが、実際のアカデミーでは委員会も部活動もゲームより多彩だった。


(ゲームにもあった課外活動を選べば、その先に攻略対象がいるという事?)

(まず間違いなく、生徒会にはフェリクス様がいらっしゃるし……)


「私……入るつもりです、生徒会」


 思索にふけりかけたアンジェの横で、リリアンが小さな、だがしっかりとした声で言う。


(えっ……)


「おおそうか、ありがとうスウィート嬢! 素晴らしい決断だ」


 アンジェが何か言うよりも早く、フェリクスが嬉しそうに答えた。リリアンはえへへと照れ笑いすると、アンジェをチラリと見上げる。目線が合うと、花冠と同じすみれ色の瞳が、悪戯っぽく輝いた。


「アンジェ様と……同じところに、入りたいんです」

「まあ……リリアンさん」


 アンジェは心臓がキュッとなったのを感じて、自分の手を握り締めた。この小柄なストロベリーブロンドの少女に対して、どんな感情を持てばいいのか分からなくなる時がある。ゲームのシナリオ通りなら、彼女はアンジェからフェリクスを略奪する正ヒロインで、憎む、あるいは競うべき相手のはずだ。だが入学式のあの時に脳天を何かに撃ち抜かれてから、彼女を憎むよりも先に、温かで柔らかで今にも飛び立ちそうなものが無限に湧いてくるような心地になる。


 今も。

 自分と同じところに入りたいと言われて。


(……嬉しくないわけが、ないでしょう?)


「課外活動でもご一緒できるなんて、とても素晴らしくてよ、嬉しいわ! フェリクス様の助けになるよう、一緒に頑張りましょうね」

「はい!」


 リリアンが笑ったので、アンジェも笑い、二人で手を差し出して握手をした。その様子を見て一同はまたきゃあきゃあ騒ぎ、ルナがものすごく何かを堪えて肩を震わせていて、フェリクスは誰よりも嬉しそうにニコニコと上機嫌なのだった。

 



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