4-2 初めての鮮烈
「おや、アンジェ。あれはあの子だね、昨日医務室で会ったスウィート嬢」
「…………ッ!!!!!!」
心のこぶしをぐっと握り締めた瞬間にフェリクスが前方を指し示して見せたのでアンジェは危うくすっ転ぶところだった。フェリクスの腕に掴まって事なきを得て、何食わぬ顔で前方を見遣ると、確かにあの特徴的なストロベリーブロンドが見える。二人の数メートル先、校舎に向かってちょこちょこと歩く度に、飾り気なく下ろしただけの髪が背中で揺れている。
「良かった、元気そうだね。あの後よく休めたのだろう」
「……そうですわね……」
(どうして! 決心した瞬間に! 目の前に現れるんですの!?)
「どうだろう、声をかけてみようか」
アンジェの内心を知ってか知らずか、フェリクスがのんびり言いながら婚約者の少女の顔を覗き込む。だがアンジェは王子の視線に気が付かない。指先が疼く。思考が高速で回り、それが余計に自分を混乱させる。
(もう……なんてタイミングなんでしょう……これが正ヒロインの為せる技……?)
(肋骨のところが痣になっていらしたから、まだ痛むでしょうに、こうして登校なさって……健気ですのね……)
(何度見ても可愛らしい髪ですこと、綺麗なウェーブになっていて……校則の範囲で、横髪をクラウンに編み込んでみるのはどうかしら?)
(ハーフアップで……すみれの花を飾って……)
「……アンジェ?」
青い瞳が潤み、頬に赤みが差してくるのをつぶさに見ていたフェリクスは、遠慮がちに声をかける。アンジェはその声にハッとして、バツが悪そうに目線を落とし、髪をかき上げて耳にかけた。
「そう、ですわね、お声を……」
かけて差し上げましょう。そう言いかけたアンジェは今度はハッとして息を呑む。
(これって……「生徒手帳のお礼を言う」イベントなのではなくて!?)
(ゲームではフェリクス様が前を歩いていて、声をかけるかどうか選択肢が出るのだったわ……! 逆になってしまっているの!?)
(フェリクス様ルートは、小さなイベントを積み重ねて好感度を上げていくことが必須……声をかけたら、イベント成功してしまうということ!?)
(ええっ、どうしましょう、どうしたらいいの!?)
(でもフェリクス様がああ仰って、今更断るのは不自然だわ……声をかけたとして、ご挨拶の後、何を話したら……)
リリアンと、また話す。
そう考えた途端、胸の奥がどくんと鐘を鳴らすのを感じる。
アンジェはフェリクスの腕を引いて立ち止まった。フェリクスの腕を命綱であるかのようにきつく握り、反対の手では綺麗に畳まれたハンカチを取り出して、口許を覆う。目頭が熱くなって視界が滲む。
「フェリクス様……どうしましょう」
「アンジェ……?」
「わたくし、どうしたら……」
ハンカチで口許を隠したくらいでは、頬が染まるのを隠しきることが出来ない。
「…………」
フェリクスは何か珍しい物でも見たかのように、年下の婚約者を、二人の先を歩く少女を見比べる。アンジェの青い瞳はリリアンを穴が開くほど凝視してばかりで微塵も動かない。フェリクスは少しばかり首を傾げてほんの一瞬思索したが、やがてにこりと微笑むと、自分の腕を握るアンジェの手を優しく叩いた。
「アンジェ。ここで待っておいで」
「フェリクス様?」
フェリクスは何も言わずに微笑むと、アンジェの手を自分の腕から外させた。呆然として、ハンカチも口許から離れてしまったアンジェをその場に残し、足早にリリアンを追いかけて声をかける。振り向くリリアン。きゃあ、うわあ、と周囲の生徒が騒然とする。
(えっ……?)
アンジェの目の前で、フェリクスはにこやかにリリアンに話しかける。リリアンは飛び上がって驚き、一気に真っ赤になってしどろもどろに返答し、ぺこりと頭を下げる。笑うフェリクス。まだ続いている会話。正ヒロインとスパダリ王子は二人揃って、立ち尽くしている悪役令嬢アンジェを見る。リリアンのすみれ色の瞳が、アンジェを捉え──あっ、と声を出し、顔を輝かせた。
「セルヴェール様!」
嬉しそうに笑いながら、子犬のようなきらきらした瞳でアンジェのところに駆けてくるリリアン。
「昨日は、ありがとうございました!」
アンジェの近くで立ち止まると、リリアンはぺこりと頭を下げた。呆然とするアンジェの顔を覗き込むと、ふわふわの頬をさくら色に染め、恥ずかしそうに囁く。
「今日は、その……柔らかいものにしました」
「えっ……?」
「あの……痛むので……」
笑顔のまま顔が真っ赤になるリリアン。アンジェは少女が何に言及したのかをようやっと理解すると、彼女の五倍は赤くなる。
「そ、そう……それは……何よりね」
「はい!」
リリアンは頷くと、後ろ手を組みながらフフフと笑った。
(い、いいいいきききなり、いきなり、……!?)
(心臓が壊れてしまいそう!!!!!!)
アンジェは胸元でハンカチを握りしめ、平静を保つので精一杯だ。
(急に……急にいらっしゃるから! こんなに可愛らしくて……!)
(何でしょう、ミルクのような、花のような、甘い香りがするわ……)
(準備も対策もヘチマもあったものではなくてよ!?)
「よかった、話せたみたいだね」
わざとゆっくりと戻って来たフェリクスが、二人の様子を見ながらクスクスと笑う。アンジェが軋む身体でぎこちなくフェリクスの方を向くと、王子はどこか悪戯めいた目線をアンジェに返してくる。その様子と、目の前でニコニコしているリリアンのを様子を見て、フェリクスはアンジェに声をかけてくれとリリアンに頼んだのだと思い当たった。
「フェリクス様……ッ!」
声を荒げて自分を見るアンジェに、フェリクスは笑っているだけだ。
(わたくしが照れているから話しかけてあげてくれ、とでも仰ったの!!!???)
(そういう……そういうことでは、なかったのに……!)
(フェリクス様とあの子がお話しになるかどうか、でしたのよ!!!!!!)
(こんな……わたくしに……不意打ちだなんて……!)
(心臓がいくつあっても足りませんわ……!)
頭の中でぐるぐる回る思考をぶちまけてしまいたいが、何も言えずにアンジェはわなわなと震えるしかできない。その様子を見てフェリクスはニコニコと微笑み、リリアンはきょとんとして首を傾げた。
「ありがとう、スウィート嬢。アンジェも喜んでいるよ」
「そんな……私は、お礼をお伝えしただけです」
「アンジェは君がとても気にかかるようなんだ。良ければ、学年を超えた友人として親しくしてあげてくれないか」
「そんな……私なんかが……光栄です、セルヴェール様」
アンジェの目の前で、アンジェは一言も発さないまま、リリアンとフェリクスがアンジェの話をして微笑み合っている。リリアンはアンジェの家名を呼んだ時、ちらりとアンジェを横目で見上げた。アンジェが自分のことをじっと見つめているのを見て取ると、ふふ、と小さく微笑んで見せる。アンジェはまた咄嗟に、小さく畳まれすぎたハンカチで口許を隠す。
ああ。
なんて、可愛いの。
身体中に火がついたかと思うほど、どこもかしこも火照って熱い。
口許を押さえているハンカチが、温かな何かでじわりと湿る。
「──セルヴェール様!?」
「アンジェ!?」
衆目美麗な悪役令嬢、アンジェリーク・ルネ・ドゥ・セルヴェール。
生まれて初めて、人前で、鼻血を出した。
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