第4話 初めての鮮烈

4-1 初めての鮮烈

 ここ数日リリアンとフェリクス邂逅を恐れてよく眠れなかったせいか、アンジェは医務室のベッドでぐっすりと眠り込んでしまった。目を覚ました頃はもう夕方で、隣のベッドにリリアンの姿はなく、アンジェのベッドの横では椅子を持ってきたフェリクスが寛いだ様子で何かの本を読んでいた。フェリクスは上機嫌でアンジェの身支度を手伝い、すっかりのぼせた様子の養護教諭に礼を言うと、当然のようにアンジェを自分の馬車へと招き入れた。アンジェの馬車はフェリクスが使いを遣って先に帰らせたらしい。


 フェリクスは馬車の中では他愛のない話をして、アンジェの父であるセルヴェール公爵に完璧かつ打ち解けた挨拶をして見せ、猛烈に引き留めたセルヴェール公爵夫人の勢いに負ける形で嬉々として晩餐に臨席し、名残惜しそうに王城へと帰っていった。父母はフェリクスとアンジェの仲が順調なのだと手を取り合って喜び、アンジェはどっと疲れが出たような気がして、医務室でずいぶん寝たというのに早々に自分のベッドで眠りについた。


 入学式の翌日は新入生はオリエンテーション期間だが、他の学年は通常授業が始まる。いつも通り制服に身を包み、髪を整え、皺ひとつないハンカチをポケットに忍ばせたアンジェが自分の馬車で登校すると、校門をくぐった途端にきゃああ、と歓声が上がった。


「おはようアンジェ、僕の建国の女神セレニア。今日の君も美しいね」


 御者が馬車の扉を開けると、待ってましたとばかりにフェリクスが笑顔を覗かせ、アンジェへと手を差し伸べる。


「……おはようございます、フェリクス様。お褒めに預かり光栄です、フェリクス様も王国の守護神ヘレニアのように輝いていましてよ」


 アンジェは微笑み返すと、差し出された手に手を乗せ、御者が用意したステップを降りる。フェリクスは今にも抱き締めんばかりに手を添えると、御者からアンジェの通学鞄を受け取る。御者もさして驚きもせず鞄を預け、恭しく頭を下げた。フェリクスは右腕をくの字に曲げ、アンジェの掌を自分の二の腕に沿わせ、完膚なきエスコートの形で歩き出した。二人の様子をざわめきながら見物していた生徒たちは、歓声とも悲鳴ともつかない声を上げた。


「昨夜はよく眠れたかい」

「おかげさまで寝坊するところでしたわ。フェリクス様の仰る通り、わたくし昨日はとても緊張していたようです」

「そうだろう」


 王太子フェリクスが婚約者のアンジェリークを出迎え、彼女の教室までエスコートする。フェアウェルローズ・アカデミーでは朝の風物詩として去年の一年間ですっかり定着した光景だが、今朝はいつもより歓声が多かった。アンジェは怪訝に思いフェリクスの腕に寄り添いつつ周囲を見回す。騒いでいるのはまだ新品でハリのある制服を着た、どこかあどけなさの残る生徒たちばかり──新入生が二人の登校の様子を初めて目の当たりにして騒いでいるのだ。アンジェは眉をひそめて婚約者を見上げたが、フェリクスは何一つ気にしていないようで、涼しげな顔で前を向いている。


「……騒がしいと思ったら、新一年生ですのね」

「ん? ああ、確かに賑やかだね」


 今初めて喧騒に気が付いたとでもいうようなフェリクス。


「君の美しさと滲み出る知性に驚いているんだろう」

「……その台詞そっくりそのままお返ししましてよ」


 アンジェが笑いながらフェリクスを握る腕に力を込めると、フェリクスは楽しそうに笑った。彼は自分がアンジェを構うことで周囲が騒ぐことを全くもって気にかけない。それどころかどこか楽しんでいるような節すらある。


(いずれは人の上に立つ御方だから、ということなのでしょうけれど……)


 子供の頃の──前世を思い出す前のアンジェは、それがどういうことなのかを深く考えたことはなかった。アンジェ自身も公爵令嬢として、フェリクスほどではないにしろ人の目を意識した振る舞いをするよう教育されてきた。それは王侯貴族にとって当たり前のことで、自分とフェリクスも同じだ、くらいにしか認識していなかった。だが改めて客観的にフェリクスの立ち居振る舞いを見ると、本当に隙がない。見目麗しく、武芸に長け、知性に溢れ、物腰穏やかな次期国王。アンジェがフェリクスにふさわしい淑女となるべく努力したのと同じように、フェリクス自身もアンジェの見えないところで努力と研鑽を重ねているのだ。


「昨日は素晴らしい晩餐をありがとう、とても美味しかった。特にポワレが素晴らしかったね」

「お口に合いまして何よりですわ。あれは……」


(やはりフェリクス様は素晴らしい方……)

(祥子の推しで、スパダリで、かけがえのないわたくしの婚約者)


 歩きながら他愛のない会話をして、微笑みを交わし合って。

 アンジェはもう一度、フェリクスの腕をきゅっと握り締める。


(わたくしだって、外見も内面も努力して磨いてきたのですもの……誰と、例えスウィートさんと比べても、見劣りするはずがなくてよ)


 アンジェの脳裏に、自分の胸元を隠して震えていたリリアンの姿が蘇る。


(どんなに可愛らしくても……わたくし、負けません事よ)


「おや、アンジェ。あれはあの子だね、昨日医務室で会ったスウィート嬢」

「…………ッ!!!!!!」


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