2-2 推しのスチルは何でも見たい
「……~~~っ!!!」
誰の視線も感じなくなると、顔が燃えるように熱くなるのが分かる。
(推しのスパダリムーブは心臓に悪い、と、祥子なら言うのかしら……)
フェリクスの所作は王子としても、婚約者としてもこの上ないほど完璧だった。あの柔らかな微笑みが愛情でなければ何なのだろう? つい先ほど、彼の運命の人である主人公に視線を奪われたのではなかったのだろうか? 容姿に興味を持ったとしても、個人として接触したわけではないから、まだ恋愛感情はないという事なのだろうか。
(正々堂々戦うつもりですけれど……あんなに可愛らしい方に、勝てるのかしら……)
医務室はベッドが三台並んでいるが、今はアンジェのベッド以外は空いているようだ。すぐ横の窓から吹き込む秋の風が、消毒液のにおいを押しのけ、金木犀のかぐわしい香りを運んでくる。香水にして身に纏うほど好きな香りだったが、今は甘さがくどいように思えて煩わしかった。
(どうせ離れていかれるなら、優しくなさらないでいただきたいわ……)
横になったまま手とハンカチを顔から離し、窓から見える中庭を見る。香りの元である金木犀、コスモス、ダリアなど、よく手入れされた花壇に秋の花が美しく咲き誇っており、中央の噴水が柔らかな水音を響かせていた。
(そうだわ……確か、フェリクス様と主人公の出会いは、この庭園のはず……)
乙女ゲーム「セレネ・フェアウェル」主人公は、入学式の後、どこかで生徒手帳を落としてしまう。不慣れな校内を探して歩きまわっているうちに中庭に迷い込むと、ちょうど主人公の生徒手帳を拾った見目麗しい男子生徒と出会う。彼はこの国の王子だけれど、主人公に何か特別な親しみを感じて微笑む。風が吹いて、二人の髪を、桜の花びらを、青空に舞い上がらせる──
「……素晴らしい出会いですこと……」
フェリクスとの出会いはゲーム進行において必須のイベントなので、祥子は「セレネ・フェアウェル」をプレイする度にこのイベントを見ていた。その度にフェリクスの笑顔に奇声を上げて悶え、熱心にスクリーンショットや動画を撮っては後で見返してニヤニヤしていた。ゲーム内では入学式は桜が咲く春だったが、アンジェが生きるこの世界では夏のバカンスの後、初秋が新学年が始まる季節だ。他にもいくつかゲームとこの世界で違う点があり、アンジェの中の祥子の記憶が戸惑いを感じたが、現実とゲームなのだから多少の違いもあるのだろう、と無理やり自分を納得させた。
(……もしや……あのイベント)
悪役令嬢アンジェは、ベッドの上にガバリと起き上がる。
(今これから、ここで起こるのではなくて?)
アンジェは今一度窓から中庭を見た。咲き乱れる花々、豊かな噴水、金木犀の香り。空は青く晴れ渡り、どれもかしこも何の問題もなさそうに見える。
飲み物を取りに行くと言ったフェリクスと。
あのストロベリーブロンドの小柄な少女、リリアン・スウィートが。
これから、ここで、運命の出会いを果たす。
「…………」
アンジェは口許を押さえ、ゆっくりと唾を飲み込む。
(並んだら、よく似合うお二人になることでしょう……)
何度も見てきたイベントムービーは、全て主人公の目線だった。
その主人公本人は、あの愛くるしくて可憐な少女は、どんな表情をしていたのか。
画面に浮かぶ選択肢ではなく、どんな言葉を交わしたのか。
「…………」
瞳に涙を浮かべて、それでも凛と前を向いていた、小さな少女。
(本当に……可愛らしい方……)
(華があって……けれど儚げで……誰もが思わず、手を差し伸べずにはいられない……)
(フェリクス様もきっと……)
婚約者が少女を視線の先に捉えて呆然としていた顔と、自分に向かって蕩けるように微笑んで見せた顔が、アンジェの脳裏で交錯する。
(でも……本当に、この世のものとは思えない……天使か妖精のようだったわ……)
(絶対にすみれの花冠が似合いますわ……)
(花冠を被せて……ふんわりとしたエンパイアラインの、パステルカラーのドレスをお召しになって……)
(百合か何か、清楚な花束を手に抱えていたら完璧ですわ)
(ああ、見てみたい、可愛らしいお姿で中庭に佇んでおられるのを……)
(どんなにか素晴らしいスチルになることでしょう)
(フェリクス様とお並びになったら、眩いばかりの絵面になりますこと……)
アンジェの頭の中で、いつも通りのフェリクスと、すみれ花冠パステルカラードレスのリリアンが互いの運命を感じて見つめ合い、ぎこちなく微笑み合う。ゲームのスチルさながらにいい感じに風が吹き、花びらを舞い上がらせて、二人の周りがきらきらと輝く──
(いえいえ……違いますことよ、わたくしはそれを阻止したいのだから……)
(かといって、この後あのイベントが起こるとして、そこにわたくしもいたら、意地悪な悪役令嬢そのものになってしまいますわ……)
(……お二人の出会いを阻止できないのならば、せめてファンとして、いい場所から眺めさせていただきたいものだわ……)
(この窓から見えるかしら……)
アンジェが一人ベッドの上で赤くなったり青くなったりしていると、医務室の入り口の方から話し声が聞こえてきた。フェリクスが戻ってきたのかと思ったが、声からして少女のようだ。
「あらあら、顔が真っ青よ、ゆっくり休んでいきなさい」
「はい、ありがとうございます……」
「ベッドは奥の方から使ってね」
「はい……」
養護教諭の心配そうな声、今にも消え入りそうな少女の声、ぱたぱたと小さな足音。アンジェからはカーテンに遮られて様子が見えないが、足音はベッドの方に向かって来ている。気配がカーテンの向こうあたりまでやってきたと思った頃、うう、と呻き声が聞こえた。
じゃっ、とカーテンが開く。
カーテンを支えにしようとしていた少女が、引きずられるようにして床に倒れる。
「う……」
床にまき散らされた、ストロベリーブロンドの巻き毛。
「……リリアン・スウィート……!?」
それは、アンジェの婚約者と中庭で運命の出会いを果たすはずの、乙女ゲームの主人公その人だったのだ。
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