第2話 推しのスチルは何でも見たい

2-1 推しのスチルは何でも見たい


 入学式はつつがなく終わり、新入生は今一度の拍手に包まれながら退場していった。リリアン・スウィートはまたしても注目の的で、来賓の、列席の、そしてフェリクスとアンジェの視線を一身に浴び、華奢な肩を震わせながらとぼとぼと退場していった。進行役の教師が生徒は教室に戻るように告げると、講堂内の緊張が解け、足音と囁き声が一気に膨れ上がる。


「…………」


(まだ……心臓が、こんなに……)


 アンジェは握りっぱなしだったハンカチを離そうと手を開くが、指がこわばって上手く動かない。早すぎる鼓動に併せて指先がずくんと熱くなる。頬も、耳も、全身のどこもかしこもが同じように熱い。


(「セレネ・フェアウェル」主人公……どんな方なのか、気になってはおりましたけれど……)


 生徒たちが好奇の視線をこちらに向けているのを感じる。学年首席が新入生入場で取り乱してハンカチを握りしめていたなど、恥もいいところだ。自分にも、フェリクスにも泥を塗ってしまった。確かゲームでは、主人公はこの後チュートリアルを受け、噂好きのクラスメイトから「王子殿下も貴女のことを見ていて、婚約者の方がヤキモチを妬いていた」と聞かされるのだ。ハンカチを握り締めて、目に涙さえ浮かべていた自分は、傍から見ればまさしくその通りに見えたのだろう。


(でも……あの子を一目見た瞬間、心があの子でいっぱいになってしまった……)


 フェリクスが彼女をどう見るか。アンジェと並んで、アンジェは劣っていないか。何日も前から、いや前世の記憶を取り戻したその時からずっと気に病んでいたはずのことは、彼女を見た瞬間に全て吹き飛んでしまった。ただただ目が離せなくなり、小さな身体を震わせているのを、目に涙を溜めているのを、どうにかしてやりたい、その一心だった。


(だって……あんなに、可愛らしいと、思わなくて……)


 フェリクスは少し離れたところで教師と何か話をしている。大した距離はないが、講堂のざわめきのせいで話の内容はアンジェには聞こえない。


(フェリクス様……)


 婚約者はアンジェの視線に気が付くと、顔をこちらに向けてにこりと微笑んだ。教師との話を切り上げたようで、アンジェの許まで歩いてくる。


「アンジェ、おいで、疲れただろう」

「……はい」


 フェリクスが差し出した手に自分の手を乗せる。フェリクスはその手を握ると、失礼、と呟き、アンジェを胸元に引き寄せて軽々と抱き上げた。


「フェリクス様!?」


 きゃああ、と周囲から嬌声が上がる。アンジェは咄嗟にフェリクスの胸元にしがみつく。


「フェリクス様っ、あのっ、わたくし歩けますからっ、殿下っ!」

「顔が赤いし、手もまだそんなに震えているじゃないか。僕の隣で気分がすぐれない婚約者殿を、このまま一人で教室に帰すわけにはいかないよ」


 フェリクスは微笑んでいるが言葉には有無を言わせない強さがある。アンジェが返答に詰まったのを確かめると、王子は人一人抱えているとは思わせない軽やかな足取りで歩き出した。生徒たちはきゃああ、うわあ、と男女ともに騒ぎながらもさっと道を開ける。先ほどの主人公よりも更に好奇も露わな視線に晒され、アンジェは湯気が出るのではないかと思うほど顔が熱くなった。見上げたフェリクスはいつも通り穏やかな──祥子の経験も踏まえて見ると、どこか少年のようにも見える得意げな表情のまま、視線も嬌声も全く気にせずに堂々と歩いている。


「…………」


 幼い頃から何度となく見ていた顔。祥子がゲームプレイしていた時は、限られたスチルをスクショして、舐めるように眺め続けていた顔。前世の記憶を得てから、スチルにはない様々な表情のフェリクスに一喜一憂していたが、それでも主人公リリアンを見た時の呆然とした顔は、アンジェが初めて見る、アンジェ以外に向けられた顔だった。


(とても……可愛らしい方だったわ……)


 結局まだ握っているハンカチを、命綱のように握り締める。


(フェリクス様も……彼女の魅力の、虜になられたことでしょう。お優しい方だから、それだけでわたくしへの態度を変えたりなさらないだけ……)

(ダメよ、アンジェ、ここでまた泣いては、またご心配をかけてしまうわ)


 アンジェが悶々としている間にフェリクスは大講堂を出て庭を横切り、医務室に到着していた。王子の来訪に何事かと身構えた養護教諭に、にこりと微笑み返す。


「セルヴェール嬢が、新入生が過度に緊張しているのを見て同情するあまり、自分まで緊張してしまったようで……彼女が落ち着くまでベッドを使わせていただいてもよいでしょうか」

「まあ……勿論ですわ、殿下。こちらへどうぞ」


 養護教諭は顔を輝かせ、恰幅の良い身体を揺するようにして部屋の奥へと案内した。消毒液の独特の匂いがアンジェの鼻を突く。養護教諭がいくつか並んだベッドのうち窓際のものの掛け布をめくると、フェリクスは恭しくアンジェをその上に下ろし、靴をそっと脱がせてやった。


「フェリクス様! いけませんわ、お手が汚れます!」


 アンジェはギョッとして、靴を取り返そうと手を伸ばす。


「僕がしたいようにさせておくれ、アンジェ」


 フェリクスは笑って取り合わず、養護教諭はあらあらうふふと笑いながらそっと自分のデスクへ戻る。アンジェは呻き、火照りっぱなしの顔を手とハンカチで覆う。フェリクスはベッドの下に靴を置き、掛け布をかけてやり、隣との仕切りカーテンを引くと、アンジェの顔を覗き込んだ。


「アンジェ。飲み物をいただいて来るからね」

「……お気遣い無用ですわ……」

「そんなに汗をかいているんだ、何か飲んだ方がいい。すぐに戻るからね」


 フェリクスはアンジェの赤い髪のひと房に軽くキスすると、またしてもアンジェの返事は聞かずにさっさと歩き出してしまった。養護教諭は王子の背中と残された婚約者をちらりと見比べたが、すぐに微笑みながら一礼して自席へと戻って行った。


「……~~~っ!!!」

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