暗転
もう何日が過ぎたのかも、陽鞠には分からなくなっていた。
体内の穢れを祓い終え、朦朧とした状態から意識が戻った時、陽鞠は一寸の光すらも入らない座敷牢の中にいた。
手探りで畳の牢内を回り、六畳間の三方は石壁で、一方は木組で仕切られていることが分かった。牢内には隅に便所がある以外には窓すらもない。
食事が出される時すら天井の落し戸から供され、明かりが灯ることはなかった。
これが遠回しな極刑なのだと、陽鞠はすぐに理解した。
巫女に直接手を下したり、食事を断ち積極的に殺すことが怖ろしいから、こんな迂遠な手段を取っている。
確かにこんな暗闇の中で一人隔離されれば、どんなに強靱な精神な持ち主でも一年ももたずに発狂するだろう。
気が狂えば食事もままならず、餓死するか衛生状態が悪くなって病死するのはすぐそこだ。あるいはその前に壁に頭でも打ち付けて自死するかもしれない。
陽鞠は自身の死をさしたる感慨もなく受け入れた。
それほど生に未練はなかった。
自死するほどの度胸はなかったので、緩やかな死を待つことに決めた。
目を閉じても開いても見えるものは何もなくて、すぐに現実感が失われた。
無音の闇は恐ろしくて、取り留めのない妄想に逃げ込もうとする。
最初に浮かんでしまった人の顔を、すぐに陽鞠は打ち消した。
あの人のことを考えてはいけない。
無事ならば、それでいい。
あの人に救いを求めたら、本当に助けにきてしまう気がした。
もう十分だ。
朦朧とする意識の中で聞いた、あの悲痛な叫びが、まだ耳に残っている。
陽鞠のために身も世もなく縋りつくあの人をもう見たくない。
それなのに、あの人が自分のためにそこまでしてくれたことに、言いようのない充足感を得ている。
だから、もう十分なのだ。
十分に幸せだった。
これ以上をあの人に求めてはいけない。
だけど、許してほしいと陽鞠は思う。
あと少しだけ、守り手ではいてほしい。
きっと、長くはない。最後の我儘だから、ほんのあと少しだけ。
この繋がりを保たせてほしい。
考えまいとしても、あの人のことばかりを考えてしまうから、陽鞠は意識して別のことを考えようとする。
どうせ妄想なのだから、ありえないことだっていい。
例えば父親が助けにくるというのはどうだろうか。
「こんなことになって、ようやく大事な娘だと分かった。これからは一緒に暮らそう」などと言って、助けてくれるのだ。
美しい親子の物語ではないだろうか。
思い浮かべようとして、違和感しかおぼえなかった。
そんなことを言う紫星は妄想でも想像できなかったし、それを言われて喜ぶ自分を陽鞠はもっと想像できなかった。
それなら、蘇芳だったらどうだろうか。
「あの時は助けられなくて済まない。もう二度と君を離さない」などと言って、救い出してくれるのだ。
乙女なら誰もが夢見る物語ではないだろうか。
その場面を想像しても、何も胸は高鳴らなかった。
立場や責任を放棄して蘇芳がそんなことを言うはずもないし、それを無視して妄想できるほど陽鞠は夢見がちにはなれなかった。
妄想すら満足にできない自分に、陽鞠は心底から呆れる。
あの人とのことだったら、いくらでも妄想できるのに。
声を聞けるだけで嬉しい。
あの落ち着いた声で耳元で囁かれると、他に何も考えられないくらいに幸せな気持ちになれた。
指が触れるだけで心臓が高鳴る。
剣を持つ指はしなやかで力強いのに、触れるときは優しく繊細な女の人で、意識していることが少し申し訳なくなる。
あの唇が…
やめなさい。考えてはいけない。
思考を閉ざす。
やがて心も暗闇に閉ざされていく。
心が人の形を保つための殻がひび割れていくのが分かる。
陽鞠という心がばらばらに崩れていく。
それなのに。
胸の奥の小さな灯火だけは消えない。
その灯火の温かさは、あの人の背中の温かさだった。
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