三十六

 蔵を出た凜は、その足で敷地の外に向かう。

 本当は陽鞠の傍にいたかったが、今のうちに片付けてしまわなければいけない問題があった。


 屋敷の門をくぐり、外に出ると、待ち構えるように二人の男が立っていた。

 一見すると、どこにでもいる旅人風の男たち。

 菅笠を目深に被り、合羽に手甲に脚絆。腰には脇差を差している。

 しかし、どんなに装ったところで立ち姿が素人のそれではないし、何より染みついた血の臭いは隠せるものではない。


「守り手だな」


 もとより隠す気もないのだろう。

 単刀直入な問いが凜に投げかけられる。


 凜は答えない。

 見るとはなしに目の前の二人を視界に収めながら、周囲の気配を探る。

 二人で全てということはないだろう。


 しかし視線は感じるが、気配までは掴めない。

 なかなかに隠行に長けたものたちのようだ。

 それなりに距離もとっているのだろう。


「我らに巫女を害す意図はない。交渉できないだろうか」


 流暢な言葉遣いだが、発音が山祇なものとは微妙に異なっていた。

 男の言葉に答えるように、凜は無造作な足取りでゆっくりと近づく。


「そなたの身の安全も保証しよう」


 身構えるでもない凜の様子に、男たちの警戒が下がる。

 それは見た目だけなら美しい少女でしかない凜の容姿も影響していた。

 例え凜の剣の腕前を情報として知っていたとしても、現実に目の前にいる華奢ともいえる少女を警戒するのは難しい。


 剣に手をかけるでもなく一間の間合いまで近づいた凜は、続く一歩と同時に、ごく自然な動きの中で抜き打った。

 疾いというよりは滑らかというべきその一刀は、斬りつけられたという認識すらもさせずに男の一人の首筋を深く切り裂いた。


 血飛沫を上げて倒れる男をかまいもせずに、凜はもう一人の男に踏み込み、袈裟に斬り下ろす。

 それを流石の身のこなしで躱した男は、脇差を抜いて構える。

 その構えは山祇の剣術のものではない。

 腰を落とし、わずかに両手を前に出した構えは、ヤクザものに近いが遥かに洗練されていた。

 目の前で仲間が斬り殺されても、動揺もなければ問いただす事もない。

 殺し合いへの切り替えが、滑らかで早い。


 手強いと判断しながら凜は、ほとんど勘だけて身を翻した。

 発砲音とともに弾丸が凜の肩を抉るように掠めて、地面が弾ける。


 射線を追って凜が見上げると、背後の屋敷の屋根に小銃を構える男がいた。

 刀の所持には緩い山祇だが、銃の所持には厳しい。

 銃の所持が許されるのは、軍人たる衛士以外では領主から許可を受けた猟師くらいだ。

 それも、紛失には死罪が適用されるほどに管理が徹底されている。

 しかも前込め式ではなく、衛士でも一部にしか配備されていない後装銃だった。


 脇差の男を無視して駆け出した凜は、壁を蹴って塀の上に飛び乗る。

 弾込めを終えた射手が凜に銃口を向ける。

 凜の手首が翻り、射手の肩に小柄が突き刺さった。

 咄嗟に引き金を引かれた弾丸は、しかし明後日の方向に飛んでいく。

 その間に凜は塀から屋根に飛び移った。


 不安定な屋根をものともせずに駆け上がった凜は、まだ弾込めを終えていない射手に切りつける。

 雷のごとき一閃は、防ごうとした銃身ごと射手を袈裟に両断する。


 その瞬間、銃声が上がり、咄嗟に身を捩った凜の脇腹を弾丸が突き抜けた。

 激痛を無視して射線を確認すると、屋根を反対に下ったところに、もう一人の射手が伏せていた。


 射手は弾込めに拘泥せずに、身軽に屋根を飛び降りる。

 凜は躊躇なくその後を追った。

 誘いの可能性が高いことは分かっていたが、ここで射手を逃すわけにはいかない。

 この手傷では、一度逃せば次に捉えることは困難になる。


 裏庭を駆ける射手を屋根の上から追い、射手が塀を飛び越えようとしたところで、凜は屋根の上から飛びかかった。

 宙空で凜の振るった剣を、射手は銃身で受け止めた。

 刃筋の立たない刃は銃身に食い込んで止まり、二人はもんどりうって塀から転げ落ちる。


 落ちながら、あっさりと刀を手離した凜は、射手の腕を極めて首裏に肘を当ててそのまま地面に叩きつける。

 首の骨が砕ける鈍い音。

 痙攣する射手の体を放って、凜は転がった刀を手に立ち上がる。


 最初に門の前にいた男と、新手の男に左右から挟まれていた。

 射手を仕留めていなければ、三方から囲まれていたことになる。


 新手の男はやや短い槍を手にしていた。穂先は一尺ほどで柄は男の身丈とほぼ等しい。

 脇差で足を止められ、槍で突かれればなす術もない。

 そうならないためには、どちらかを最初の一当てで倒す必要がある。


 立ち上がり、そこまで思考ともいえない判断を凜が下すまでほんの刹那。

 次の瞬間には、凜は脇差の男との間合いを詰めていた。

 囲まれたとき、人は足を止めてしまうものだが、それは対複数において最も悪手であることを凜は理解していた。


 凜に間合いを詰められた男は、咄嗟に迎撃してしまう。

 本来であれば引きながら凜の足を止めるところだが、拍子の読めない凜の歩法によって引くだけの間合いを殺されていた。


 突き出された脇差は動きも小さく、鋭い。

 脇差を絡めとるように動いた凜の腕が、前腕を切り裂かれながら男の腕を極め、体重をかけて崩す。

 膝をついた男の首に刃を押し当てて引き切る。

 返り血を避ける間も無く、振り向きながら切先を背後に向ける。

 すぐ背後まで迫った槍持ちの男の動きが、ぴたりと止まった。


「聞きしに勝る、恐るべき手練れだな」


 槍を構えながら、男が驚嘆の声を漏らす。

 その構えも、片手で柄を脇に挟むように持つ、山祇ではあまり見られないものだ。


「だが、そろそろ限界ではないか」


 男の言は正しい。

 脇腹の出血は止まっていないし、剣の要となる左手ももうまともに動かない。

 体力的にも限界が近い。

 それほど実戦経験が豊富とはいえない凜は、生死のかかった戦いでの消耗が激しい。

 集中が切れれば、糸が切れたように動けなくなるのは凜も自覚していた。


 だが、それが何だと言うのか。

 男は揺さぶりをかけたのかも知れないが、もとより凜に惜しむべきものはない。

 陽鞠以外に、凜に守るものなどない。


「そなたは十分によくやった。悪いようにはせぬから降伏したらどうか」


 そんな選択肢は初めからないから凜は戦ったのだ。

 こんな非道を行う輩が陽鞠をどう扱うかなど、考えたくもなかった。

 凜のことを取り込もうとしているのは、陽鞠に対する足枷になると思っているからだ。

 そんなものになるくらいなら、この場で切り死にした方がましだった。


 凜は袖で刃の血脂を拭うと、鞘に納めた。

 これだけ斬っても曲がりもせずに滑らかに鞘に納まった刀に感嘆する。

 使う道具ににこだわれと言った華陽の言葉が、今更のように身に沁みた。


 刀を納めても柄から手を離さず、姿勢を低くしたままの凜に、男は首を振った。


「愚かな。そんなに死に急ぎたいか」


 戦いの最中によく喋る。

 そう考えながら、凜は一度納めた刀の鯉口を切った。


 凜は自分が甘いことを身に染みて知っている。

 だから、剣を交わす相手と、言葉は交わさない。

 相手の全てを拒絶する。

 言葉も、人格も、家族も、過去も、現在も、未来も、命も、その全てを否定する。

 ただ陽鞠の敵として、冷たい殺意だけを抱く。


 凜がわずかに間合いを詰めると、男は同じだけ後ずさった。

 凜に近寄られることを嫌っている。


 それを見てとり、凜は無造作に間合いを詰めた。

 その瞬間、男は懐に手を差し込み、取り出したものを凜に向けた。


 拳銃と呼ばれる無骨な金属の塊を、凜も名前だけは知っていた。

 銃口が凜を捉える。

 避けるそぶりも見せずに、凜は足を止めた。


 凜の意識が引き延ばされ、銃口のぶれが収まる瞬間まで認識できる。

 引き金が引かれ、凜が抜き打つ。

 発砲音とほとんど同時に甲高い金属音が上がり、抜き打った刃が火花を散らした。

 弾丸は凜を掠めもしなかった。


 凜が足を止めたのは狙いをぶれさせないためだ。

 今の凜の状態で銃弾を回避するのは難しい。

 それならいっそ、下手に動くよりも狙いを定めさせたかった。

 理由を付ければそういうことだが、この時の凜はそこまで理路整然と考えていたわけではない。ほとんど、思考をとばして直感だけで動いていた。

 それでも、もう一度やれと言われて成功することではない。


 呆然と動きを止めた男を責められるものはいないだろう。

 しかしそれは致命的な隙でもあった。


 何事もなかったかのように静かな動きで、凜が間合いを詰めるのを許してしまう。

 我に返り、男は槍を繰り出すが、いかにも中途半端な一撃であった。

 簡単に穂先を切り払われ、返す刃で喉を切り裂かれる。


 血の海に溺れるように男はうつ伏せに倒れた。

 凜は足で男の体を仰向けにひっくり返し、菅笠を刀の切先で払う。


 茶色の髪と瞳。彫りの深い顔立ち。東大陸の王国の民の特徴だった。

 それだけを確認して、凜は男に対する興味を失った。


 誰がどんな理由で巫女を襲うかなど、知っても意味はない。

 誰もが敵になり得るのが巫女という存在だ。

 陽鞠に害をなすもの全てが敵だった。


 息をついた凜は、折れそうな膝を堪えて自分の様子を確認する。

 左手と肩の傷は浅い。しかし、脇腹の銃創は内臓こそ傷つけていないが、すぐに手当をする必要があった。

 このまま戻れば、陽鞠に心配をさせてしまうし、かなり危険な出血量だった。


 しかし、まずは陽鞠の様子を確認する必要がある。

 屋敷の周囲で戦っていたのでないと思うが、別働隊が陽鞠を拐う可能性を凜は捨てきれなかった。


 塀に手をついて、重い体を引きずるように凜は屋敷の外周をぐるりと正門まで戻る。

 べっとりと壁に血の跡が残る。


 蔵までの短い距離が、凜には奇妙に長く感じられた。

 蔵の入り口に凭れるように、中を覗く。


 陽鞠の姿は確かにそこにあったが、凜の心に安堵は訪れなかった。

 穢れを発していた遺体の傍に、蹲るように陽鞠が倒れていた。


 全身の血の気が引き、思わず膝をついてしまう。

 浅い呼吸を繰り返しながら、凜はよろめくように陽鞠に近づいて、震える指先で顔に触れる。

 温かい。呼吸もしていた。

 少しだけ安堵して、冷静になるように努めながら、陽鞠に怪我がないかを確認する。

 意識はないようだが、目立った外傷はなかった。


 しかし、可憐な顔が苦し気に歪んでいて、熱もある様子だった。

 病かと思った凜は、しかし陽鞠の体から時折うっすらと黒い靄が漏れるているのに気が付いた。


「穢れ…?」


 鬼となった遺体からは、すでに穢れが消えている。

 祓いきれなかった穢れが陽鞠の中に滞留しているように凜には見えた。


「陽鞠様…」


 呆然と名を呼ぶこと以外に、凜に出来ることはなかった。

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