二十八
神祇府から渡された書状には、穢れが発生した場所が書かれていた。
皇都から北へ三日ほど歩いたところにある山村だった。
宿場町を経て、山道を抜けると開けた山間に小さな村と田んぼが広がっている。
昔ながらの藁葺きの家屋の戸数は五十にも満たず、村民はおそらく三百人もいないだろう。
凜と陽鞠があぜ道を通ると、農作業をする村人から警戒の視線が向けられる。
閉塞的な小村の雰囲気が作り出す部外者を排斥する空気だとしても、やや強すぎるように凜には感じられた。
村の中に入ると、二人を目にした村の女たちは、何かに怯えたように家の中に隠れてしまう。
陽鞠にしても、凜にしても、他者を恐れさせるような見た目はしていない。
少女を見た反応としては異様だった。
「様子がおかしいですね」
「穢れを恐れているのでしょうか」
たしかに村の中に穢れがあると知りながら生活するというのは、考える以上に心に負担があるのかもしれないと凜は思った。
「とりあえず、庄屋のところに行きましょうか」
領主に代わり村を治める庄屋は身分こそ百姓だが、立場としては役人に近く、もともとは領主に仕える家臣の家柄であった場合も多い。
そのため、他の家よりも立派な家屋を探せばすぐに見つかる。
「凜様は穢れを見たことはありますか」
村の中を歩きながら陽鞠は凜に問いかける。
「いえ、ありませんね。そうそう発生するものではないでしょう」
「そうですね。とくに都では火葬が一般的になったので、ほとんど発生しなくなりました」
山祇では古来から死ねば土に帰るという思想が普及していたため土葬が基本だったが、近代化と土地の問題から朝廷の布告で都市部では土葬が禁止された。
「火葬が関係あるのですか」
「ええ。穢れは死から発生します。つまり遺体、それも怨嗟を残した遺体ほど強い穢れの発生源となります」
「それは聞いたことがあります」
「あまり知られていることではありませんが、穢れと腐敗は密接な関係があると言われています」
「腐敗しないもの、つまり火葬された遺骨からは穢れが発生しないと」
「はい。逆にこうした村ではまだ土葬なので、穢れが生まれる可能性も高くなります」
凜は隣を歩く陽鞠の横顔を見る。
ことあるごとに陽鞠は自分が最後の巫女かもしれないと仄めかしていた。たしかにこのまま時代が進んでいけば村も都と同じようになって、穢れなどほとんど生まれなくなるのかもしれない。
「陽鞠様こそ穢れを見たことがあるのですか」
「私もありません」
巫女として覚醒してすぐに皇都の御殿に送られ、一度もそこから出たことのない陽鞠が見たことがないのは当然と言えば当然であった。
「見たこともないのに、浄化できるのですか」
「文献によると巫女が触れればよいだけのようですし、巫女になった時になんとなくどうすればいいか分かるようになりました」
「そういうものなのですね」
話しながら歩く二人の前に、やがて竹組の生垣に囲まれた屋敷が見えてきた。
他の家より明らかに広く趣がある。
門塀をくぐり凜たちは玄関の前に立つ。
「たのもうっ」
凜が声を張り上げると、しばらくしてから玄関が開いて三十路の女が姿を見せる。
女は玄関先に立つのが少女が二人だけと気付いて、訝し気な顔をする。しかもそれが上質な小袖を着た見るからに生まれのいい姫君と、女だてらに帯刀した麗人なのだから余計に理解に苦しんだ。
「あの、どちら様でしょうか」
「突然の来訪申し訳ない。こちらは巫女様であらせられる」
凜の言葉に顔を蒼白にした女は土間に平伏した。
「も、申し訳ございません」
「ああ、かまう必要はない。ここは庄屋の家で間違いないか」
「は、はい」
「では、主人を呼んできてくれまいか」
慌てて家の中に戻っていった女は、少しして今度は初老の男を連れて戻ってくる。
そのまま額に汗を浮かべながら、土間に平伏した。
「顔を上げなさい。礼は不要です」
凜が言うと、男だけ膝をついたまま顔を上げる。
「ご拝謁を賜り、ありがたき幸せ。庄屋の喜助と申します」
「穢れが出たとの訴えを聞き、巫女様が参りました。案内を頼めるか」
「は、はっ。まずは当家で歓待など…」
凜は念のため横目で陽鞠の様子を窺う。
陽鞠はいつもの巫女の微笑を浮かべているが、見るからに歓待など望んでいない。
「いや、お心遣いだけでけっこう。疾く案内していただけるか」
「…左様でございますか」
喜助もあからさまな態度には出さなかったが、どこか安堵した様子だった。
まさか、巫女が先触れも出さずに徒歩でいきなり現れるとは思っておらず、何の準備もしていなかったのだろう。
巫女がその務めをどのように果たすかは、巫女の裁量に任せられている。
多数の供を連れて行列を作るものもいれば、陽鞠のようにひっそりと自分の足で回るものもいた。
巫女を神格化しておきたい神祇府は、どちらかと言えば巫女の姿を衆目に晒すことを好まないが、強要するほどでもない。
神出鬼没に現れる巫女というのもまた神秘的であるからだろう。とくにその見目が神がかって美しい陽鞠は、姿を見せても格を落とすということがない。
「では、ご案内いたします」
先導して歩きはじめた喜助の後ろを、凜たちは着いていく。
「穢れが出たのはひと月ほど前であったか」
「へぇ、その通りでございます」
陽鞠はあまり穢れの発生状況に関心を示さないが、凜は守り手として分かっていることは知っておきたい。
「どのような状況だったのか」
「それがどうにも腑に落ちぬことでございまして」
「と、言うと」
「へぇ。穢れが出たのは美代という娘の家でございます」
「娘が家主なのか」
「一昨年の流行病で親類を亡くした美代と花という娘が二人で住んでいたのです」
「娘二人では大変であったろう」
喜助の目が、凜たちの様子を窺う。
娘二人と言うなら、凜たちもまさにそうだ。言葉を選んでいるのだろう。
「村でも何かと手助けはしておりましたが、生活は苦しかったと思います」
「そうであろうな」
「それで、娘どもも十五が近かったんで、同じように流行り病で嫁を亡くした嘉平という男のところに花が年の瀬に嫁に入ったのです」
隣を歩く陽鞠の体が、微かに強張るのを凜は感じた。
陽鞠が何に反応したのかは分からなかったが、凜は陽鞠の腰に手を当てる。
陽鞠はわずかにあった凜との距離を詰めて、肩が微かに触れ合った。
「ふむ、それでは美代という娘はいっそう苦労するのではないか」
「へぇ、しかしいい歳のやもめ男が嘉平しかおらんかったのです」
「それで、その美代が亡くなったのか」
「まあ、そうなんだと思いますが…」
喜助の言葉は歯切れが悪い。
「分からないのか」
「嘉平と花と美代、三人とも姿が見えないんです」
「どういうことだ」
「花が嫁に入った後、嘉平の奴が何日かして仕事に来なくなりまして。家にもおらず、美代の家に行ってみたら、開けっ放しの入口から穢れが見えたんです。それで、美代もここのところ姿を見てないって気が付いたんです」
「よく穢れだと分かったな」
「昔、子供の時分に一度だけ見たことがありまして」
「そういうことか」
確かに不可解な状況だと凜も思った。
穢れが生じたということは、自然ではない死があったということだ。
しかし、誰が誰を殺めたというのか。
「嘉平という男は娘たちと親しかったのか」
「狭い村ですから顔見知りではありましたが、歳も一回り離れていたんでさほど親しくもなかったと思います」
実は美代が嘉平に惚れていて、という講談のようなことはなさそうだと凜は考える。
どちらにしろ事件の捜査は凜たちの仕事ではない。陽鞠に危険が及ぶような事情さえなければそれでよかった。
「見えてきました」
喜助が示したのは、村の外れにひっそりと建つ、他と比べても見窄らしい荒屋だった。
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