二十七

 蘇芳が訪れてきたのは、元日が明けて凜たちが出立の準備を終えた後のことだった。

 先触れもなく慌てた様子で神社のものが来訪を告げに現れ、出立の出鼻をくじかれる形になった。

 凜はもう、出迎えには動かない。

 守り手の務めは巫女の護衛であって、それは何よりも優先される。

 訪れたのが皇であっても凜は動かなかった。それが許されるのが守り手という存在だ。

 陽鞠の命がなければ、席を外すこともない。

 凜としてはそうなのだが、陽鞠はどうなのだろうかと様子を窺う。

 巫女としての顔をしている陽鞠の表情は、正直なところ凜には読み取れない。

 陽鞠が蘇芳との距離を置こうとしていることは知っているが、嫌っているわけではないし、どちらかといえば好感をもっているだろう。

 夕月家とは疎遠な陽鞠の立場を考えれば、陽鞠に好意的な後ろ盾はほしい。その意味では蘇芳とは上手くやってほしいと凜は考えていた。

 ただ、蘇芳のことを凜が口にすることを陽鞠はことのほか嫌がるので、凜には言葉を考えさせられる話題でもあった。


「陽鞠様、私は外しましょうか」


 結局、うまい言い回しも思い浮かばずに端的に凜は聞いた。

 聞いた瞬間に言葉を間違えたことを気付かされた。

 睨んできた陽鞠の目が、少し涙ぐんでいた。


「…すみません」

「とても傷つきました。許しません」

「陽鞠様…」

「罰として言うことを一つ聞いてもらいます」

「はい」


 頷いてから、凜は首を傾げる。


「いえ、別に罰でなくても陽鞠様の願いは何でも聞きますが」

「何でもなんて聞いてくれないではないですか。それに私にだって理由がなければ口に出すのが恥ずかしいお願いだってあるんです」

「はあ」


 何をさせられるのかと凜は少し怖じけるが、大したことはないだろうとすぐに思い直す。

 何だかんだ言っても、陽鞠は育ちのいいお姫様なのだから。


 さして待つこともなく、案内のものに連れられて蘇芳が姿を見せた。

 おや、と凜は思う。

 昨日、皇の近くで見かけた時には気付かなかったが、半年見ないうちに背丈が伸びて、凜と変わらなくなっている。

 きっとすぐに抜かされるのだろうと、凜は少し羨ましくなった。

 体格に優れているというのは、剣士として有利なことが多い。由羅との立ち合いもある意味、体格差にものを言わせたやり方だった。

 凜より体格に優れたものは、技量さえ伴えば凜に同じことができるということだ。


 蘇芳は座敷に入ると、陽鞠の対面に座して頭を下げた。


「あらためて巫女様になられたことをお喜び申し上げます」

「ありがとうございます」


 形式的な挨拶をかわして、蘇芳は顔を上げる。


「すぐに立たれると聞いて、慌ててまかりこしました。不調法をお許しください」

「わざわざ、ありがとうございます」

「まったく。神祇府のものどもも配慮に欠けていて困りものです」


 こういう感性の近さが、凜が蘇芳を評価している理由の一つだった。

 気取ったところのない蘇芳は、陽鞠を守るという共通の目的で紐帯しやすい相手だ。


「まあ蘇芳様。お口が悪いですよ」


 陽鞠も巫女としての顔こそ保っているものの、他のものと対する時より声音が明るい。


「出立前に押しかけて申し訳ありませんでしたが、お会いできてよかった」

「はい、私もお会いできて嬉しく思います」


 陽鞠が浮かべた微笑みに、蘇芳は眩しそうに目を細めた。

 凜は本当にこの人は蘇芳に嫌われるつもりがあるのかと胡乱な気持ちになる。

 もちろん、巫女としての品位を崩すような振る舞いをすれば、蘇芳に嫌われるどころではない問題になるから、線引きが難しいのは分かるが、それにしても下手くそすぎる。

 凛としては蘇芳との仲を縮めてもらった方が都合がいいので、余計なことは言わないが。


「私も大公の引き継ぎで、東青州に行くことが増えますので、次の機会がいつになるか分からなかったのです」

「まあ、そうなのですね。私もしばらく都に戻ることはないでしょう」

「そうですか。たしかに神祇府はここぞと穢れの祓いを押し付けて来るかもしれません」


 陽鞠は曖昧な笑みで流したが、ありえそうな話だと凜は思った。

 そうでなくとも、陽鞠はあまり都に戻る気はないのかもしれないが。


「さて、名残惜しいですが、あまり長居してもお邪魔でしょうし、そろそろお暇します」


 蘇芳の視線が、凜の方を向く。


「そなたも守り手に就いたこと祝着である」

「お陰様をもちまして」


 凜が短く答えたのは、陽鞠の視線が気になったからだった。

 表情こそ微笑みを浮かべたままだが、瞬きをせずに凜を凝視する視線の圧が強い。


「立場は違うが巫女様をお守りするため、ともに尽くそうぞ」


 席を立った蘇芳は、そう凜に言い残して去っていった。

 しばらく、二人の間に沈黙が下りる。


 責めるような視線を感じてか、目を合わせようとしない凜に陽鞠は軽く唇を噛む。


「凜様」

「何でしょうか」

「私と蘇芳様を近づけようとするのはやめてください」

「しかし、あの方は有用です。政治的な力、数を頼りにするものに私は無力です。陽鞠様には後ろ盾が必要だと思います」

「必要ありません。私は権力にも名家にも近づきたくありません」


 陽鞠がそう思ってしまうのは、その生い立ちを知っている凜は仕方ないと思う。

 しかし、現実を考えれば陽鞠が権力と完全に縁を切るのは難しい。


「陽鞠様は朝凪の家には入らないとおっしゃっていますが、巫女の務めを終えられた後、どうなさるのですか」

「どこかで静かに暮らしたいです」

「生活を神祇府に頼るのでしたら、どこにいようと権力から離れられませんよ」

「…自分で稼ぎます」

「どうやってです。私では今のような暮らしはさせてあげられませんよ」

「え…あ、はい」


 凜の言葉の意味を深読みして、赤くなった陽鞠はもじもじとする。


「何です?」

「巫女をやめても一緒にいてくれるのですか」

「そういう約束でしょう。それとも巫女の間は、というおつもりでしたか」

「違いますっ。巫女とか関係なくそばにいてくれる約束です」


 食い気味に言い立てる陽鞠に、凜は首を傾げた。


「ですから、そう申し上げています。陽鞠様が望む限りはおそばにいますよ」

「凜様がそばにいてくれるなら、貧しさなんて気にしません」


 それは貧しさを知らないから言えることだろう、と凜は思う。

 こういうところは世間知らずなお姫様でしかない。


「それに、凜様と蘇芳様が仲良くするのも嫌なんです」

「私が? 相手は親王殿下ですよ。仲良くなどできるはずもありません」

「それは私とも仲良くできないと言われているようで傷つきます」

「私はおそばにいますし、貴女のことが好きですが、やはり立場的に仲良くというのとは違うと思うのですが」

「まだそんなことを言っているのですか。いい加減にしないと泣きますよ」


 呆れたように陽鞠はため息をつく。


「子どもですか」

「泣いてもいいんですか」

「…やめてください。貴女の涙には弱いのですから」


 あの花畑で見た陽鞠の涙が、凜の脳裏に焼き付いている。

 陽鞠に泣かれてしまったら、きっと凜は何も逆らえない。


「では、私と凜様は仲良しです」

「分かりました。それでいいです」


 凜の言い方に不満がないわけではなかったが、陽鞠は妥協する。

 頑なな凜にしては譲歩してくれているのが分かっているから。それでも、陽鞠はこの関係で満足しているわけではなかった。


「それと蘇芳様とは親しくしないでください」

「ですから、そんなことはないと」

「だって…二人は気が合うではないでか。蘇芳様があんな気軽に声をかけるのは、きっと凜様くらいです」

「陽鞠様という共通の話題があって、しがらみのない相手だからでしょう」


 個人としての蘇芳に欠片も凜は関心がないし、蘇芳もそれは同じだろう。


「とにかく、他の人とあまり親しくしないでください」

「はいはい。分かりました」


 面倒くさそうに流して、凜は立ち上がった。


 おざなりな扱いが悔しくて、しかし陽鞠はそれが嬉しかった。

 陽鞠を巫女としか見ていない人にはそんなことはできない。巫女であるということと陽鞠の人格を、凜は当たり前のように別ものとして見てくれる。

 それがどれだけ嬉しいことか、この人には分からないのだろうな。そう思いながら、陽鞠は自然に差し出された凜の手をとって立ち上がり、その腕に自分の腕を絡めた。

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