二十五

 皇の住まう御所にほど近い地祇大社は、年初めに皇が山祇の鎮護を祈る四方拝の祭祀が行われる皇都で最初に建立された神社だ。

 御殿の再建がいまだ終わらない陽鞠は、巫女として祭祀に参加するこの神社に逗留していた。


 立ち合いを終えた凜たち三人は、陽鞠が逗留する本殿に戻っていた。

 その一室で、凜と華陽は向かい合っていた。

 華陽の要望で、陽鞠は席を外している。


「まずは守り手のご就任、祝着にございます」


 華陽は凜に向けて首を垂れる。

 剣の里は序列のある組織ではないが、現役の守り手こそが最も敬意を表される存在だった。


「長の教えの賜物と心得ております」


 当たり障りのない、探るような会話を交わす。

 凜にとって里の長である華陽は、その言葉に疑問を差挟む余地のない絶対の存在だった。

 剣も、知識も、ものの考え方もすべて華陽から教えられた。

 華陽に作られた一振りの刃が凜だった。


 しかし、陽鞠の近くで過ごした凜は、華陽の教えに疑問を持っていた。

 剣の技にしても、巫女に関する知識にしても、その教えは明らかに偏っていた。いや、偏るというよりも、意図的に制限されたものしか与えられなかったというべきか。


「祝儀というわけでもありませんが、こちらをお持ちください」


 華陽は脇に置いていた拵袋を手に取り、凜に差し出す。


「拝受します」


 捧げ持つように受け取った凜は、拵袋の房紐を解いて、中の刀を取り出す。

 石目塗の黒鞘から刀身を抜いて検める。

 刃渡り二尺二寸と短く、細身で反りが深い。飾り気のない直刃の刃文だが、地肌がよく詰んでおり、鍛冶師の丁寧な仕事を感じさせる。

 凜は刀剣を見る知識はほとんどないが、それでも尋常ではない業物に見えた。


「これは長の佩刀ではありませんか」

「いえ、同じ鍛冶師が打ったものです。無銘ですがよく切れます」


 無銘なのに鍛冶師が分かっているというのは、世間に名の知られていない鍛冶師ということなのだろうかと凜は首を傾げる。

 たんに茎に銘を切っていないという意味なのかもしれないが。


「里で渡した小太刀ではありませんが、その刀はどうしました」


 華陽の目が凜の脇に置かれた刀に向けられた。


「抜き打ちに使いやすいものを探しました。数打ちなので質はよくありませんが」

「刀は道具でしかありませんが、だからこそこだわりなさい」

「分かりました」


 凜は頷きながらも、刀の違いで技も変わるのだということを教えなかった人の言葉にわずかな不満も抱く。


「先ほどの立ち合いはお見事でした」

「ありがたい言葉ですが、無様なのは分かっています。二度は通じないでしょう」

「殺し合いに二度目などありません。ですが、お分かりならけっこうです。地力で勝るにしくはありません。鍛錬は怠らないことです」

「心得ております」


 由羅は凜にとって手の内を知った対策の取れる相手だったが、そんなことをできる場合だけではないだろう。

 陽鞠は山祇で一の剣士を求めているわけではないが、陽鞠を守るために山祇で一の剣士でなければならない時もあるかもしれない。


「凜様はどのような守り手を目指されますか」

「けして巫女のそばを離れない守り手を」


 華陽の問いに、間髪を入れずに凜が答える。


「言うほど容易いことではありませんよ」

「それは経験からのお言葉ですか」


 言ってから、嫌みのように聞こえただろうかと凜は思った。

 華陽は気にした様子もなく言葉を続ける。


「それもあります。巫女のお務めは次の巫女が覚醒するまでの凡そ十年。当然のこととして守り手のお務めもその間になります」

「お務めの、期間」


 そんなことを凜は考えたこともなかった。


「巫女でなくなれば守り手も必要なくなります。守り手が里の長を引き継ぐ慣わしもそのためです」

「里の剣士は引く手数多と聞きます。守り手ともなれば、雇い主には困らないのでは」


 そう言う凜は、陽鞠以外に仕える自分を想像できないでいた。

 しかしそれは、自分が守り手以外の道を知らない偏った教えを受けているからだとも思う。


「巫女にすべてを捧げ過ぎた守り手は、他の主人に仕えられなくなることが多いのです」

「そもそも、例え巫女と守り手ではなくなっても、おそばにいればいいだけでしょう」

「…巫女が守り手を求める力のことはお聞きですか」

「陽鞠様から聞いています」


 貴女が教えてくれなかったから、と若干の嫌みを込めて凜は答える。


「その力は、おそらく巫女自身にも作用しています」

「どういうことでしょう」

「巫女の守り手に対する強い執着。その裏返しの力なのです。逆にいえば巫女の力が失われると、執着も失われます」

「だから、守り手を必要としなくなると」

「執着が強い分、それが失われたとき、嫌悪に裏返ることも少なくありません」


 陽鞠が言っていた西白大公に起きたようなことが、巫女自身にも起きるということかと凜は納得する。

 納得はできるが、だからどうしたという気持ちしか湧かない。


「だから、巫女と一線を引くように教えたのですか」

「それも理由の一つです」

「先のことなど知りません。私のことを陽鞠様が必要としなくなったら去るのみです。見返りがほしいわけではありませんから」


 華陽の目がすっと細まる。


「では、何のために守り手になるのですか」

「一振りの刃たれと教えた長にそれを問われるのは釈然としませんが…」


 凜は苦笑いを浮かべる。


「あの人のひと時の心の拠り所になれればそれでいい。長は違ったのですか」


 凜の問いに、華陽は沈黙で答えた。

 どれだけの時間だろうか、無言で見つめ合っていた二人の目が襖の方に向けられる。

 華陽がため息を漏らす。


「巫女様、盗み聞きは行儀がよろしくありませんよ」


 華陽の声に応えるように、襖が少しだけ開いて陽鞠が顔を覗かせる。


「別に盗み聞きをしているわけではありません」


 不満そうに言ってから、座敷に入ってきて凜の隣に座る。

 膝が触れ合うほどに近い。


「私の守り手がいつまでも戻ってこないので様子を見にきただけです」


 凜と華陽は顔を見合わせる。

 二人が陽鞠と別れて話し始めてから、四半刻も経っていない。


「凜様が戻ってから、私もまだ話していないのですよ。華陽様も気遣いが足りないのではありませんか」

「これは、申し訳ございません」


 華陽は陽鞠に向けて軽く頭を下げる。


「私はもう里に戻ります故、お許しください」

「長、もう戻られるのですか」


 席を立った華陽に、凜が声をかける。


「ええ。由羅の様子も気になりますし」


 そんなに由羅を気にかけているとは意外に凜は思ったが、あるいはただの建前なのかもしれない。

 確執というほどではないが、陽鞠は華陽に対してやや複雑な感情を抱いている。

 そのことを華陽も気付いているのだろう。

 だから、なるべく関わり合いを避けようとしているのかもしれない。それすらも、華陽の先代の巫女に対する感情の隠れ蓑なのかもしれないが。


 そんなことを去っていく華陽の背を見ながら凜が考えていると、それを遮るように陽鞠が抱きついてきた。


「寂しかったです」

「お待たせして申し訳ありませんでした」

「本当です。こんな暮れの間際まで戻られないとは思いませんでした」


 十年ほど前の改暦により月の日数は定められ、今は十二月の二十九日であった。

 性格的に凜が余裕をもって戻って来ると思っていた陽鞠は、大いにやきもきすることになった。


「西白州を一周していたので、遅れることはないようにしていましたよ」


 凜が言うと、抱きつく力が強くなる。

 微かに甘く深い匂いが、凜の鼻腔をくすぐった。

 一瞬、王国から入ってきて最近、流行している麝香ムスクの香水かと思ったが、それよりも匂いが深い。

 伽羅の香木の匂い袋だろうか。

 陽鞠が匂い袋を持っているのを見たことがなかったので、凜は内心で首を傾げた。


 陽鞠はもちろん、高貴な生まれの姫として普段から質の良い物を身につけているが、それは本人が求めた物ではなく周りが用意した物だ。

 陽鞠自身はあまり贅沢を好んでいないので、凜は意外に感じていた。

 十五歳の成人を間近に控えて、陽鞠もお洒落をしたいと思ったのだろうか。

 そういえば、今日の着物は派手ではないが、特に上等なものだと気がつく。


「ほら陽鞠様、離れてくれませんと、ちゃんと挨拶できませんよ」


 凜が背中を軽く掌で叩いてから撫でると、しぶしぶと陽鞠は離れる。

 華陽が座っていた場所に座った時には、陽鞠は巫女としての顔を取り戻していた。

 凜も居住まいを正し、手をついて頭を下げる。


「あらためて陽鞠様。守り手を務めさせて頂きます。今後ともよろしくお願いします」

「はい。ふつつか者ですが、末永くお願いします」


 頭を上げた凜が、真面目な表情を崩す。

 応えるように陽鞠も顔を綻ばせた。

 そこにいたのは、年相応の二人の少女でしかなかった。

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