二十
向かい合って夕餉を取る二人の間に会話はなかった。
陽鞠が食事中に話したりしないのはいつものことではあるが、いつになく沈黙が重く凜には感じられた。
夕餉は妙が準備するのかと凜は思っていたが、外から運ばれてきた。城の厨で用意されたのだろう。なるほど、温かいものを食べたことがないと言った陽鞠の言葉が今更理解できる。
受け取り、配膳だけした妙は、早々に引き上げていった。
彼女は二度と来ないだろうか、と凜は考える。来たとしても、今までと同じように陽鞠に接することはないだろう。
凜は品よく食事を進める陽鞠の顔を見る。
わざわざ、妙の前であんな話をする意図が分からなかった。
まるで身辺を整理して、今までの関係を清算しようとしているかのようだ。
「凜様」
「何でしょうか」
陽鞠が食事中に口を開くのが珍しくて、思わず凜の手が止まる。
「裏手の林を抜けたところに小さな丘があって、母が植えた白詰草の花畑になっているのです」
「はぁ」
陽鞠の言葉に脈絡が感じられず、凜は間の抜けた返事をしてしまう。
「星が奇麗に見えるので、一緒に見に行きませんか」
「巫女様が行かれるのでしたら、お供しますが」
「違います」
凜の返事を陽鞠はにべもなく否定する。
「違う、とは」
「ただ見に行きたいのではないのです。凜様と一緒に見たいのです」
「私には、違いが分かりません」
凜は戸惑って、正直に心情を吐露する。
陽鞠の物言いはたまに観念的すぎて、凜には意味が計りかねるときがある。
「私は別に星にも、花にもさして興味はありません。美しいと感じる程度の心はありますが」
「そうなのですか」
陽鞠の言葉を、凜は意外に感じる。
路傍の名もなき花にも足を止めて愛でる人の見る世界は、もっと美しいのだと思っていた。
「私にとって何をどう見るかはあまり大事ではありません。何を誰と見るかが大事なのです」
「誰と見ても星は星だと思いますが」
「いいえ。護法山の桜がとても美しかったのは、隣に凜様がいたからです」
その桜すら美しいとも思わなかった凜に、理解できるはずもなかった。
困ったように曖昧な笑みを凜は浮かべる。
「私は面倒くさいことを言っていますね」
少し悲しげに言って、陽鞠は食事を再開する。
呆れられただろうか。それとも悲しまれたのだろうか。陽鞠の心のうちが分からないことに、凜は焦燥をおぼえる。
どこかで凜は陽鞠を侮っていた。
荒事など知らないやんごとない姫君を自分が守ってやるのだと。
だから、一線を引いて自分の領分に入ってくるなと言えた。
しかし、顔見知りとは言え内通者にどどめを刺すという本来なら凜が覚悟を持っていなければいけない場面で、陽鞠の覚悟の方が強かった。
もう凛には、この強い覚悟を持って生きる少女を、ただの巫女としてしか見ないなんてことは出来なかった。
だからこそ、何もかも足りない自分に凜は焦っていた。
陽鞠がそう定めたのなら、凜が守り手になる。そこに凜や由羅の意見や納得は欠片も必要がない。
しかし、選ばれた方にこそ納得がないのなら話にもならない。
選ぶ権利は巫女にしかなくとも、やめる権利は守り手にもあるのだから。
「凜様、箸が止まっていますよ」
止めるようなことを言った本人が何を、と凜は少し苛立ったがため息をついて箸を進めようとする。
「あー、二人で美味しそうなの食べてる」
庭から響いた明るい声に、二人の視線がそちらに向く。
庭を横切った由羅が、縁側から身を乗り出してきていた。
「由羅、早かったですね」
「んー、凜たちが皇都出た翌日には戻ってたから、むしろゆっくり来たよ。駕籠なんてすぐ追いついちゃうし」
たしかに凜や由羅の足なら、皇都から西白州都まで急げば三日もかからない。
「追いつけばいいでしょう…」
「ええ、やだよ。追いついたら遊べなくなるじゃない」
自由すぎる由羅に、凜はため息をつく。
自由だから天才なのか。天才だから自由なのか。どちらにせよ、型に囚われた凜は由羅のようにはなれない。
草履を脱ぎ捨て、座敷に上がってきた由羅は胡座をかく。
「陽鞠様も凜がずっとそばにいて良かったでしょ」
「そうですね。二人きりならなお良かったですが」
「言うねぇ。まぁ、最後の機会かもしれないしね」
「ああ、なるほど。確かにこれからいくらでも機会はありますね」
剣呑な笑みを向け合う二人。
それを諌めに入ることが、今の凜には出来なかった。
由羅と話す陽鞠は年相応の子供のようで、それは自然体であるように凜には思えた。
凜には色々な表情を見せてくれたとしても、それは巫女としての一面でしかないのではないだろうか。
それを求めたのは凜自身のはずなのに、そのことに焦りを感じる。
「ふぅん。陽鞠様、約束忘れてませんよね」
「ええ。もちろんです」
交わされた言葉の意味が分からず、凜は二人の顔を見比べる。
「約束とは何ですか」
「んー」
由羅が意味ありげに陽鞠を見る。
「言っていいの」
「どうぞ、かまいません」
「そ。じゃあ言うね」
由羅が凜の方を向く。その顔は、いつになく真剣だった。
「陽鞠様が巫女になる前に、わたしと凜が立ち合って、勝った方が守り手になるって約束」
「…そうですか」
合理的で、納得のいく方法だと凜は受け止めた。
陽鞠の顔を見るが、何の考えも読み取れない。凜が由羅に剣の腕で及ばないことは陽鞠にも分かっているはずだ。
それならば陽鞠は凜を守り手にするつもりはないのではないか。陽鞠の言動の矛盾が、凜には理解できなかった。
「長に報告したら、立ち会いをしてくれるって。暮れには皇都に戻るでしょ。そこでだってさ」
「分かりました」
ぽつりと答えて、凜は置いた箸をじっと見つめる。
「凜、食べないの」
また手の止まってしまった凜の顔を、由羅が覗き込む。
その顔を見て一瞬、この子がいなければ、と黒い考えが凜の脳裏を過った。
過ってしまった自分が、あまりに哀れで許し難かった。
凜は逃げるように、席を立つ。
「少し外を歩いてきます。由羅、すみませんが巫女様のことをお願いします」
「凜様…?」
廊下に消えていく凜の背中に声をかけても、陽鞠の方を向いてはくれなかった。
凜の言葉が、この場のことだけを指しているとは思えず、陽鞠の胸が騒ぐ。
座敷を出ていく凜を追いかけようと、陽鞠も席を立った。
「どこ行くの。凜に任されたんだけど」
わざと凜の言葉と同じ含みを持たせて呼び止める由羅を、陽鞠は睨みつけた。
「凜様を追いかけます。いけませんか」
「じゃあ、わたしもついていこうかな」
「けっこうです。こんな城郭の中で護衛はいりません」
「むしろ、ここは陽鞠様にとって一番の敵地じゃない」
凜は何も知らなかったのに、由羅はどこまで事情を知っているのかと陽鞠は警戒する。
「否定はしませんが、害するつもりがあるならとうに私は生きていません」
「ふぅん。それもそうか」
由羅は場所を移して、凜の食べ残しに手をつけ始める。
なぜか、そのことに陽鞠は凄まじい嫌悪感をおぼえた。
前にも一度、似たような感覚を覚えたことがある。
雨の日に凜を拭いた手拭いを使われた時だ。
行為自体は気にするほどのことでもないのに、それが凜のものと分かっていると、吐き気をおぼえるほどに生理的に受け入れられなかった。
思考よりも先に感情が言葉を吐き出させた。
「よく人の食べさしを食べられますね」
「ん? それって凜が口にしたものが汚いってこと」
「そなわけないでしょうっ」
思わず怒鳴ってしまったことに、誰よりも陽鞠自身が一番驚いていた。
信じられないように自分の口を押える。腹を立てたことはあっても、怒鳴ったことなど陽鞠の人生で初めてのことだった。
「同じ釜で育ったのに、今さら食べさしとか言われてもなぁ」
追い打ちをかけるような由羅の言葉に、陽鞠は唇を噛んだ。
どれだけ凜と近づけたとしても、幼い頃に凜と過ごした思い出だけは絶対に手に入れられないものだった。
それが陽鞠にとって涙が出そうなほどに悔しい。
「…もういいです。私は行きますから」
由羅から視線を外し、凜を追って陽鞠は廊下に出る。
由羅は追いかけたりはしなかった。
ただ、その言葉だけが影のように陽鞠にまとわりついてきた。
「好きにすれば。どうせ、何も変えられないんだから」
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