十三
初めて巫女屋敷を訪って以来、蘇芳は十日に一度は訪れるようになった。
蘇芳は訪れる度に陽鞠に贈り物を持参するが、何度目かのおとないの際に高価な器の受け取りを拒否されて以来、高価な物を持ち込まなくなった。
消え物なら陽鞠が受け取ると気づいてからは、菓子などを選ぶようになっていた。
その日の蘇芳は、普段と少し違うものを手にしていた。
初夏の、空気の湿ったやや遅い時間。
小さな陽のような黄色の花の束を布で包んで抱える蘇芳を連れて、凜は御殿に向かっていた。
「陽鞠様は、花を活けられるだろうか」
まるで独り言のように、前を見たまま蘇芳が言う。
「私は見たことはありませんが、大公の御息女なので心得はあるのではないでしょうか」
山祇では花を贈る風習はあまりない。
花は神々に捧げる物と思われており、皇家以外が扱うことは畏れ多いとされていた。
しかし、ここ百年ほどで花を活けるのが貴婦人の嗜みになっているので、上流階級では花を贈り物にすることが見られるようになってきた。
「見たことはない…あまり花を愛でられないのか」
「いえ、路傍に咲く名もなき花を足を止めて愛でられることもあります」
しかし、床の間の花瓶に花が活けられたところを凜が見たことがないことも、また事実であった。
「そうか…」
ぴたりと蘇芳の足が止まり、やや責めるような、困ったような目が凜に向けられる。
「そなたは、陽鞠様とそんなに一緒に出歩いているのか」
「…護衛ですから。巫女様が出歩かれたいとおっしゃるなら、ついて行きます」
「私とは、一度もそのようなことをしたいと言っていただけない」
拗ねたように言う蘇芳に、凜はため息をつきたい気分だった。
陽鞠の意を汲むならこれでいいのかもしれないが、殿上人からの敵対心など、凜のような身分では持て余すだけであった。
「私は影のようなものです。殿下と同じに思われては困ります」
凜は陽鞠と一緒に歩いているわけではない。ただ、影のように陽鞠の行くところに付き従っているだけだ。
凜の考える巫女と守り手の絆とはそういうものだ。巫女と言う本体に従うのが、守り手と言う影。
「巫女は守り手を選ぶ」
「それが何か」
唐突な蘇芳の言葉に、凜は首を傾げた。何を当たり前のことを、と思う。
「分かっておらぬ。巫女はさながら己が半身を取り戻すように、守り手となるものを定めるのだ」
「それは宿命、というような意味ですか」
「定めが先か、定めるのが先か、分からぬほどに守り手は守り手として生まれてくるのだ」
「それではまるで巫女そのものではないですか」
「そうだ。巫女と守り手は不可分の存在。少なくとも私はそう考える」
蘇芳の言うことは、凜にとってやにわに信じられることではなかった。
少なくとも凜に、自分が守り手である確信などない。そうであるなら、自分は守り手ではないのだろうか。
「蘇芳殿下は巫女様について詳しいのですか」
「巫女の許嫁に決まった時、過去の文献を調べた」
そういう形で巫女と向き合ったことのない凜にとって、蘇芳のあり様は蒙を啓かれるようだった。
護法山で陽鞠から聞いた話もそうだが、凜には巫女について知らないことがあまりにも多い。
里での教育が、ひどく偏ったものであったように凜は思えてきた。
「私の調べた限り、二人目の守り手に加護を与えた巫女は一人たりともいない」
「それは、守り手に加護を与えることが一度しかできないからでは」
「守り手を失った巫女が、その権能は失っていないが、選ぶべき相手は二度と現れないであろうという手記を残している」
そう言われて、凜は自分が目指す守り手のことすら知らないことに気が付く。剣の里の剣士であったはずの先代の守り手すら、凜は誰か知らない。
先代の巫女が母親だという陽鞠は、先代の守り手にも出会ってる可能性が高いことに思い至る。
「先代の巫女も守り手が辞した後、次の守り手を選ぶことはなかった」
「え…」
守り手が辞した、などと言う話を凜は聞いたことがなかった。
「それは、どういう」
聞きかけた凜の言葉は、蘇芳が足を止めたことで遮られた。
話している間に、陽鞠の部屋の前にたどり着いていた。
「蘇芳様、ごきげんよう」
蘇芳の訪問も度重なり、陽鞠の挨拶も気軽なものになっていた。
「陽鞠様、ご機嫌麗しゅう」
部屋に入り、陽鞠の前に座して手に持った花束を差し出す。
「まあ、ひまわりですね。珍しい」
「最近はさかんに栽培されるようになりましたが」
「そうなのですね。ありがとうございます」
嬉しそうに陽鞠は、花束を受け取る。
好かれないようにしようと思っていても、根本的な人の良さが隠せない辺りが、まだ陽鞠も子供だった。
「鑑賞のために一部で育てているだけだと思っていました」
「食用や油など、様々な利用法があるとのことです」
「まあ、ではこれからは、もっと多くの人がこの花を愛でられるのですね」
愛し気に花びらを指先で撫ででから、床の間に花束を置く。
「…ひまわりは、大陸から伝わった花でしたか」
「ええ。東大陸の王国からです。新しい使い方もそちらから伝来しました」
山祇国は民族的には西大陸の帝国と近く、文化的な影響も大きい。
しかし、近年では王国の急速な発展を遂げた技術を取り入れようとする動きが強かった。
「先日、都を歩いた時にガス灯という物を見ました」
「ああ、実験的に商業区でも導入しています。いずれ都は夜の闇の深さを克服するでしょう」
「夜の闇、ですか」
陽鞠が浮かべた笑みは少し悲しげで、蘇芳は言葉に詰まる。
「悲しみも覆い隠す夜闇が失われることは怖くも思いますが、それが時代の流れなのですね」
「陽鞠様…」
「埒もないことを申しました。きっと私が真っ先に時の流れに置いていかれる巫女だからですね」
「そのようなことはけして。巫女様は山祇にて永遠の存在です」
「不可思議の隠れる闇のないところでは、巫女の居場所もまたないでしょう」
貴方はそれを知っているでしょう。陽鞠の目は、確かに蘇芳にそう言っていた。
「ですが、それはけして嘆くことではないのだと思います。人々の暮らしが楽になり、巫女というまやかしの光を必要としなくなったのでしょう」
「巫女様、そのようなことを口にされては困ります」
巫女の存在に疑念を差し挟むような言葉は、巫女であっても危険だった。
神祇府などに知られたら、危険な思想の持ち主として目をつけられかねない。
かつてほど、巫女が神格化されていないのは、まさに陽鞠が言った通りなのだ。
巫女は神秘ではなく、神秘的であることを求められている。
「申し訳ございません。口が過ぎました」
まったく省みる様子の感じられない陽鞠の口ぶりに、廊下に控える凜の方が冷や冷やとさせられた。
これも蘇芳に嫌われるためなのかもしれないが、危ない橋を渡りすぎているように思えた。
何かしら話題を変えるようなことをした方がいいかと悩んだところで、内庭の玉砂利に弾ける雨粒が見えた。
雨は、瞬く間に本降りに変わっていく。
「巫女様」
凜が姿を見せて声をかけると、陽鞠は静かに頷いた。
「蘇芳様、雨が降ってまいりました。夕餉はこちらでお召し上がりください。止まないようなら、お泊まりになっていっては如何でしょう」
「いえ、しかしそこまでは…」
女が泊まっていってくれと言うのは、一昔前までなら男女の関係を意味する。
今ではそこまで直接的な意味はもたないが、関係を深読みされる程度には一般的に行うことではない。
純朴なところがある蘇芳に、そういう女だと思わせたいのかと、陽鞠のつもりを凜は推察する。随分と面倒くさいことを考えるものだ。
そうやって自分の印象を刷り込みのように悪くしていくつもりなのだろうか。しかし、普段から人の良さが滲みすぎていて、これでは気を持たせているだけではないかと凜は首を傾げざるをえない。
「殿下に何かありましたら、私が叱られてしまいます」
「はは。誰が陽鞠様を叱るというのですか」
陽鞠の軽口に蘇芳も気が楽になったのか、笑みを浮かべる。
「それでは、夕餉を馳走になりましょう。そのころには止んでいるといいのですが」
「はい。そうしてくださいませ」
陽鞠の目が凜の方に向く。
「凜様」
「承知しております。厨に伝えておきましょう。殿下の家司にも」
立ち上がった凜は、微かに襖で仕切られた隣の座敷に視線を走らせる。
見えないが、そこには由羅が待機していた。
自分が離れても問題ないだろう。
まったく、身の回りのこともとなると、護衛もままならないと、凜は守り手の務めのままならなさに歯痒さを覚えるのだった。
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