九
生憎の雨の中、屋敷の門で待つ凜と由羅の前に現れたのは、多くの従者を連れた駕籠だった。
漆塗りの立派な駕籠は、乗っているものの位の高さをしめしていた。
駕籠が地面に下ろされるのに合わせて、二人も片膝をつく。
狩衣をまとった初老の家司が、差し掛け傘を差してから駕籠の引き戸を開いた。
中から出てきたのは、今時珍しい
背広が主流となった朝廷貴族にしては、随分と古めかしい装いだ。
年のころは凜たちと変わらず、やや怜悧だが品のある端正な顔立ちをしている。
しかし緊張を隠し切れていないところが、少年をやや幼く見せていた。
駕籠を下りた少年が凜たちに目を向け、由羅の異貌に少し目を見張る。
「三品親王、蘇芳殿下です。巫女様にお目通りに参りました」
「巫女様は奥でお待ちです。ご案内します」
家来の言葉に凜が応じる。
異邦の風貌を持つ由羅は摩擦を起こす可能性があるため、初めから凜が応対すると二人で決めていた。
「御殿には殿下だけでお越しください。皆様は下屋敷でお休みください」
立ち上がった凜の言葉に、従者たちがやや気色ばむ。
自分のような年端のいかない女に主人を預けることが不安なのだろうと、凜は理解した。
「ご配慮いたみいります」
先ほど名乗りをあげた初老の家司が、凜に傘を差しだしてくる。
家司の筆頭なのだろう、その男の言葉に従者たちの気配が緩んだ。
傘を受け取った凜は、そのまま蘇芳に差した。近くに立つと、少しだけ凜の方が背が高かった。
ほんのわずか、蘇芳が身を引いたのが凜には分かった。
「由羅、皆様をご案内してください」
凜の言葉に、由羅は無言で頷いて駕籠を門の内側に入れさせ、従者たちを下屋敷の方に連れていく。
「殿下。参りましょう」
一人になり少し心細げな蘇芳を促し、凜は歩き始める。
無言で御殿に向かいながら、蘇芳は横目で凜を気にしていた。凜はもちろん視線に気が付いていたが、あえて無視する。
やんごとない位の人に自分から関わる気は、凜にはなかった。
「あの、濡れるので一緒に傘に入ったらどうか」
歩きながら、真っすぐに凜を見ようとはしないまま蘇芳が言う。
少し距離をおいて傘を差している凜は、ほぼ雨ざらしの状態だった。もともと差し掛け傘とは、そのように用いるものだ。
「お気になさらず。この程度、慣れておりますので」
里では悪天候でも戦う訓練を積むので、嘘ではなかった。
「
「左様ですか」
凜は傾けていた傘を少し立てて、自分も端に入るようにする。
またしばらく、無言の時間が続く。
「…そなたが守り手なのか」
蘇芳の目が一瞬、凜が腰に帯びた小太刀に向けられた。
山祇で帯刀している女と言うだけで、凡その出自は知れる。
「その候補です」
「候補、か。あの異邦の娘もそうなのか」
「そうです」
「…そうか」
そこからは会話もなく、二人は堀を越えて御殿に入った。
渡り廊下を抜けて、履き物を脱いで本殿の廊下に上がり、内庭に面した座敷に回り込む。
「巫女様。蘇芳殿下をお連れしました」
「ご苦労様です」
座敷に座る陽鞠が、微笑みかける。
凜からすると、外向けの巫女としての顔であったが、蘇芳に分かるはずもない。
白の小袖に、流水紋の青い打掛。可憐な顔に浮かべた、大人びた微笑み。まさに現人神と言うに相応しい神々しい美しさに目を奪われて、蘇芳は動けなくなった。
だから、陽鞠が凜を見て一瞬だけ目を見張り、わずかに唇を噛んだことにも気が付かなかった。
凜は気が付いたが、何か言いたげな陽鞠を視線で黙らせる。
「初めてお目もじが叶い嬉しく思います。夕月陽鞠と申します」
その可憐な声に、蘇芳はようやく我に返る。
座敷に踏み込まないまま、その場で腰を落として安坐し、頭を下げる。
「蘇芳と申します。巫女様にお目通りが叶い、感謝に堪えません」
「頭をお上げください。ふつつか者ですが、よろしくお願いいたします」
陽鞠のその言葉に、自分たちの関係を思い出したのか、蘇芳の顔が赤くなる。
その様子を見て、蘇芳が陽鞠に心奪われたのが、凜には分かった。それは自分と同じ感情なのだろうかと疑問に思う。
蘇芳の感情は、由羅が言っていた一目惚れというのが相応しいように思えた。それもまた、巫女の力によるものなのだろうか。
「いえ、こちらこそ…」
口ごもりながらそう漏らして、蘇芳は黙ってしまう。
もっと自然に会話ができないのかと、凜は舌打ちでもしたい気分になる。
「蘇芳様、中に入ってください。冷えてしまいます」
「それでは、お言葉に甘えて」
蘇芳が座敷の中に入るのを見届けて、凜は襖の陰に控えた。
中の様子が見えなくなる。
寸鉄帯びていない蘇芳が、陽鞠を害することなどないだろうが、護衛としては陽鞠が見える場所にいたかった。しかし、許婚との逢瀬を邪魔するのも不躾だろうと凜は考える。
「何だか不思議ですね。幼い頃から約束された仲なのに、今までお会いしたことがないなんて」
「そうですね。守り手が決まるまでは会えない決まりですから」
漏れ聞こえる会話に、凜は内心で首を傾げた。
巫女が二十歳で皇族もしくは大公家に嫁入りするのは、古くからのしきたりだ。現人神ともされる巫女が、大山祇神の神裔とされる皇家に嫁ぐようになるのは自然の流れだった。大公家も皇族の血が入ることがことが多く、皇族の分家とも言える立場だ。
それは凜とて把握している。
しかし、守り手になるものが現れるまで会ってはならないと、わざわざ定められているとは知らなかった。とくに意味のない、慣習的なしきたりなのだろうか。
「先ほどここまで案内してくれた女子が、守り手の候補と伺いましたが」
「はい。凜様とお話しされたのですか」
「凜というのですね。大したことは話しておりませんが。流石は守り手の候補と言うべきか、なかなか芯のある女子とお見受けした」
「まあ、蘇芳様はお目が高いですね」
いや待て、と凜は思う。なぜ自分の話しになる。
どちらもやんごとない身の上なのだから、形式に則った会話とか、もう少し何かあるのではないだろうか。
もちろん、多少の教養があるとは言え、最低限の礼節しか学んでいない凜が、貴族の格式に通じているわけではないが。それでも、従者とも言える立場のものを話題にするのは相応しくないと分かる。
「凜様は同い年とは思えないくらいしっかりしているのですよ」
「そうなのですか」
「剣を振るうお姿がとても美しいのです」
「は、はぁ」
「今度、お出かけをする約束をしました。とても優しいのです」
「…左様ですか」
凜の話しに終始する陽鞠に、蘇芳の返事も胡乱なものになっていく。
流石に凜は訝しんだ。陽鞠は普段、巫女として完璧な振る舞いができているのに、あきらかにおかしい。
結局、蘇芳の滞在時間中、陽鞠はほとんど凜の話をしていた。
帰り際、見送った凜は蘇芳から少し険しい目を向けられた。気持ちは理解できなくはないが、それでも理不尽に感じる。
面倒くさそうなことになりそうで、凜はため息をついた。
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