七
抜き打ちからの切り下ろし。
一の太刀、石火。
柄打ちからの切り上げ。
二の太刀、差抜。
受け流しからの袈裟がけ。
三の太刀、斜刀。
転身からの胴抜き打ち。
四の太刀、廻転。
組打ち手の切り落とし。
五の太刀、落寸。
敵の柄を使った合気投げ。
六の太刀、浮葉。
抜き打ちからの突き。
七の太刀、紫電。
密着状態からの抜き打ち。
八の太刀、白乱。
一寸の見切りからの抜き打ち。
九の太刀、逃水。
斬鉄の一太刀。
十の太刀、嶺上。
以て表の太刀とする。
剣の里の剣は、抜刀術がその根幹にある。
女子の身で太刀を合わせずに人を切ろうと言うなら、刀身も見せない抜き打ちの技になるのは必然であった。
抜刀術とは本来、敵が抜くよりも早く切り殺す技だ。
しかし、巫女の護衛と言う性質上、襲撃を受けることを想定して練られたため、襲いかかる敵をいかに後の先をとって倒すかに主眼が置かれている。抜刀術より居合術にその術理は近い。
月明かりの下で、凜は無心に型を舞う。
凜の剣は基本に忠実な剣だ。独創性も際立ったものもそこにはない。
ただ自身から無駄を極限まで削ぎ落とそうとする剣。
剣の業ではなく技を極めようとするもの。
動き自体はゆっくりとしたものだが、肌にはびっしりと汗が浮かんでいる。
慣性を使わずに、自身の身体能力のみで型を完璧に演じることは至難の技だ。その負荷が剣を振るうためだけの体を作り上げる。
剣の里に筋肉を鍛えるという鍛錬はない。
女の身でいくら鍛えても男には力では敵わないうえに、無駄な筋肉は重く、動きを妨げる。
里の剣士の体は、ただ剣を振るうことだけで鍛えられた、そのためだけの体だ。
まだ十四歳の未成熟な凜の肢体は、しかし獣のように柔らかくしなやかだった。
一刻(二時間)も剣を振り続け、ようやく動きを止めた凜の体からは湯気が立ち上るほどであった。
しばしの残心の後に、凜は音もなく小太刀を鞘に納める。
籠った熱を吐き出すような長い息を吐いて、ゆっくりと振り返った。
縁側に腰かけた陽鞠と、凜の目が合う。
地面に着かないつま先を揺らしながら、陽鞠は屈託ない笑みを浮かべている。
朝餉の後に見せた不機嫌さは、昼も夕も続いていたが、今はまるで感じられなかった。
「いつから見ていらしたのですか」
「気づいていたくせに」
凜の問いかけに、子どもっぽい口調で陽鞠は返す。
「見ているだけではつまらなくないですか」
「全然。とても奇麗だと思いました」
恥ずかしげもなく言われた言葉に、凜は返事に詰まった。
裸足のまま内庭に降りた陽鞠が、冷たい玉砂利の感触を楽しむようにゆっくりとした足取りで凜に歩み寄る。
「由羅様は一緒ではないのですか?」
「もう寝ました。里では日が落ちたら基本的に就寝しますので」
凜は内庭には隅に置かれた篝火に目を向けながら言う。
照明器具もほとんどない山間の里では、夜の闇は深い。日の出とともに起きて、日没ととともに眠りにつくのが当たり前であった。
とはいえ、実のところ夜型の由羅がこんなに早く寝てしまうのは珍しいことだった。昼間のことで由羅にも思うところがあったのだろうかと、凜は考える。
「それに由羅は鍛錬が好きではありませんので」
「ああ。何だかそんな感じはしますね」
天賦の才を持ち、努力を惜しまないものを天才と言うなら、由羅は剣の天才ではないのかもしれない。由羅は剣もその鍛錬も好んでいないどころか、さして興味がないことを凜は知っていた。
「まあ、それでも由羅は強いですが」
下屋敷での醜態を思い出して、凜は苦い顔をする。完全に蛇に睨まれた蛙だった。
「私は凜様の剣、好きですよ。研ぎ澄まされたものの美しさを感じます」
「剣に美しさなどいりません。強さだけが全てです」
「そんなことは知りません。私が美しいと感じたものを美しいと申し上げただけです」
やや不機嫌そうな声音で、陽鞠は告げる。
「凜様って、全然、私の言葉を素直に受け取ってくれませんよね」
「そんなつもりはありませんが」
「ほら。そこは首肯いてくれればいいじゃないですか」
「それは失礼しました」
悪びれた様子もなく返す凜を上目遣いで睨んでから、陽鞠はため息を漏らす。
「そういうところ、嫌いではないですけど」
「朝のことを怒っていたのではないのですか」
「怒っていたわけではなくて…」
陽鞠の目が少し泳いで、うっすらと頬に朱が差した。
それを愛らしいと思ってしまった凜は、それが本当に自分の心から発露したものなのか、巫女にそう思わせられたのか分からなくて、密かに身震いした。
「かまってほしかっただけです」
「はぁ」
呆れたように気の抜けた声を漏らした凜に、陽鞠は赤くなった頬を膨らませる。
「子供じみていると思いましたか」
「巫女様はまだ子供でしょう」
「凜様だって同い年でしょう…そうですよね?」
歳の割に大人びた容貌をした凜に不安に思ったのか、確認してしまう。
「そういう決まりですから」
守り手に相応しいものがいないという理由でもなければ、巫女と同じ年に生まれたものが選ばれる。もっとも、凜に関しては生まれた日など分からないので、おそらくはという枕詞がつくが。
「…凜様こそ、どうして朝餉のとき衛士たちに怒ったのですか」
「朝、言った通りですが。差し出口を申し訳ありませんでした」
「責めているのではなくて…」
陽鞠の指が汗ばんだ凜の腕にそっと触れた。
頬に触れられた時と同じように、触れられた部分が熱をもったように凜は感じられた。
「汚れますよ」
「嬉しかったのです」
汗がつくのにもかまわず、指先が凜の腕を撫でる。ぞわりと、背筋が粟立った。
「私のことで怒ってくれる人なんて初めてだったので」
「そんなことはないでしょう」
凜の反駁に返ってきたのは、寂し気な陽鞠の微笑みだった。
朝は隠された陰を正面から見せられて、凜は少し動揺する。
「もう一度聞いてもいいですか。どうして、怒ったのですか」
「彼らが巫女様を守る責務を果たしていなかったからです」
「私が巫女だから?」
「いえ、巫女様がどうとかではなく。彼らが自分の仕事に最善を尽くしていなかったからです」
「ふぅん」
短く答えてじっと目を覗き込んでくる陽鞠に、巫女に対して失礼な言い草だっただろうかと凜は首を傾げる。
いつの間にか、触れているだけだった陽鞠の指が、緩く凜の腕を握っていた。
「凜様にとって、守り手は巫女と一線を引いた仕事に徹するべきものなのですよね」
「はい。そうするべきだと考えています」
「それなら、由羅様はきっと凜様が理想とする守り手ですね」
「…そう、ですね」
自分自身ですらそう思ってしまったことを、嘘をついて否定することは凜にはできなかった。
由羅は巫女にも陽鞠にも何の関心もない故に、完全に仕事に徹することができるだろう。それは、凜がそうあるべきだと思う守り手の姿だ。
指が離れ、陽鞠は凜に背を向けて御殿の方に戻っていく。
その背を、凜は無言で目で追ってしまう。
踏み石を上ったところで、ぴたりと陽鞠が立ち止まる。
そこでくるりと振り向いた陽鞠の顔には、子供らしい満面の笑みが浮かんでいた。
「でも残念。私が理想とする守り手は凜様のような人なのです」
返す言葉を失った凜を残して、陽鞠はどこか軽い足取りで御殿に戻っていった。
次の更新予定
あの花かんむりを忘れない とらねこ @rapple1118
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