御殿の玉砂利の敷き詰められた内庭で、凜と由羅は対峙していた。

 二間を空けて対峙する二人を、縁側に腰かけて陽鞠が眺めている。


 二人の手には本身の小太刀が握られていた。刃引きこそされているが、鋼で打たれれば下手をすれば骨も折れる。

 春先のまだ冷たい早朝の空気が、緊迫感で一層張り詰めていた。


 凜は切っ先をやや右に倒した平正眼の構え。

 里の剣は抜刀術だが、抜き身では基本的な構えだ。

 対して由羅は無造作に片手に剣を提げて、構えらしき構えをとらない。流派によっては無形などとも言われる里にはない構え。


 摺り足でじりじりと、凜が間合いを詰める。

 訓練で木刀を使う流派は打ち込む速度を求めて腰が高くなりがちだが、真剣しか使わない里の剣士の重心は低い。

 由羅は間合いを外すように、自然体のまま凜を中心にゆっくりと円を描く。


 先に均衡を破ったのは、凜だった。

 間合いが一間ほどになるとみるや、矢のように飛び込んで突く。

 完全に間合いを見切った、喉を切っ先三寸で貫く突き。だが、そうであるが故にゆらりと半歩下がった由羅に間合いを外された。

 突きを戻す動きに合わせて間合いを詰めた由羅の右手がしなる。

 ぞっとする風切り音をさせて首を刈るように振るわれた刃を、凜が地に伏せるように躱した。

 返す刃を、凜は思い切り飛び退って外す。


 間合いが、再び離れた。


 里の剣術は、基本的に刃を打ち合わない。受け太刀することすらない。

 剣の里は、巫女の守り手を育てる集落だ。そこには女人しかいない。だから、その剣術は女が振るう技として発展した。

 膂力に劣り、細身の刀を使う彼女たちが男の振る剣を受けても、力で押し負け、下手をすれば剣を折られる。

 里の剣とは、迅さと柔らかさの剣だ。


「りーん」


 再び、剣を提げ持ったまま、緊張感のない声を由羅が出す。


「動きが単調だよー」


 言いながら、由羅は無造作に間合いを詰める。

 反射的に、凜の剣が逆袈裟に走って迎え撃つ。正眼から切っ先を下げずに手首の返しのみで切り返す、おそろしく見切り難い太刀運び。

 しかし、それは由羅に誘われた一太刀だった。

 太刀筋の内側に、するりと入り込んだ由羅は体をぶつけるくらいに密着し、腹部に小太刀を押し当て、引き切りながら抜けていった。


「はい。凜は死にましたー」


 腹部を押さえながら振り向く凜に、今の立ち合いが遊びだったかのような軽さで由羅が声をかける。

 その声の軽さと裏腹に、由羅の言葉に嘘はない。真剣であれば臓物を零れさせて絶命していただろう。


「凜はさー。巧いし、迅いけど、型通りだから太刀筋が簡単に読めるんだよねー」

「あんな理不尽な動きができるのはあなたくらいです」


 由羅に容易くあしらわれたように見える凜だが、けして弱いわけではない。最初の突きも、逆袈裟も十五歳にもならない少女とは思えない技の冴えだった。並みの剣士では大人でも勝てないだろう。


「由羅こそ、もう少し型通りに動いてください。訓練になりません」

「実戦通りにしないと、それこそ訓練にならないでしょ」

「それはそうですが…」


 凜は小太刀を鞘に納めながら、ため息をつく。由羅と立ち合うと、積み上げてきた型が崩れそうで嫌だった。

 由羅の剣は最善の剣だ。その場、その場で最適の解を導き出す。しかし、そんなことは常人には出来ない。

 出来ないからこそ、型と言う次善の術理が生み出されたのだ。畢竟、型とは最善を導き出せない凡人の技でしかない。


 由羅は剣の天才だが、凜は自分がそうではないと知っている。

 多くの人間よりは剣を振る才能に長けてはいるが、天才とは真理を導き出せる人間のことだと凜は考えていた。

 凡人が天才の真似をすることは害悪でしかない。凜にとって由羅の剣は見習うべきものではなく、いかに崩すかを考えるものだった。


「お二人とも、お見事でした」


 縁側から拍手をしながら陽鞠が言った。由羅も小太刀を納めて、二人は陽葵の方に向き直る。


「私に剣のことは分かりませんが、お二人の腕前が卓越していることは分かります」

「そんな大したことないですよー」


 由羅は朗らかに答えるが、凜は何も言えなかった。どう見ても、自分と由羅の差は歴然であっただろう。素直に誉め言葉として受け取ることはできなかった。

 顔を伏せて、凜は黙って陽鞠にお辞儀をする。


「お二人とも汗を流してきてください。朝餉にしましょう」


 言い残して去っていく陽鞠の気配が完全に消えてから、凜は顔を上げる。

 視線を感じて由羅の方を見ると、いつになく真剣な目を向けてきていた。


「凜はさ。守り手になりたいの?」

「当たり前でしょう」


 剣の里の子供たちは、皆、孤児であった。

 守り手になるためだけに幼い頃から育てられる。二十年に一度、偶然に巫女と近い歳に生まれ、その中で傑出した剣士となるためだけに。

 凜にとっても多分に漏れず、守り手になることは至上の価値を待つ。


「なんで?」

「里に育てられた最大の恩返しは守り手になることでしょう」

「恩返しねぇ」


 意味ありげに漏らす由羅。


「あなたは違うのですか」

「わたしはそんなにかなぁ。里の剣士は引っ張りだこだから食いっぱぐれることはなさそうだし」

「…貴族女性の護衛の仕事はいくらでもありますからね」


 女が軍人である衛士になれない山祇国では、武芸を納めた女は極めて希少だ。

 一方で男の衛士では、貴族の婦女子を常に供にいて守ることは難しい。代々の巫女の守り手を輩出する剣の里の女剣士は、貴族の護衛としても十分な格式を持つ。


「それでも、あなたは負けてくれない」


 最終的には陽鞠が選ぶこととは言え、自分の命を預ける守り手にわざわざ腕の劣るものを選ぶことはないだろうと凜は思う。

 由羅に勝てなければ、自分が守り手に選ばれることはない。


「わざと負けたりしたら、凜に嫌われちゃうでしょ」


 そう言って、由羅は凜を眩しいものを見たように目を細めた。

 それから、小走りに駆け寄って腕を抱きかかえる。


「もう一本、立ち合いする?」

「剣筋がおかしくなりそうなので、あなたとはしばらく立ち合いません」

「えーっ、凜くらいしかまともに立ち合える人いないのに」


 そもそも凜の当面の目標としては、由羅に勝つことなのだ。立ち合えば立ち合うほど手の内を暴かれることになるのだから、凜に利点がない。もちろん、それは由羅も同じなのだが、現状で劣っている凜の方が不利なことに変わりはない。


「ほら、巫女様を待たせるわけにはいきません。早く行きますよ」


 組まれた腕を振りほどいて、凜は御殿に向かって歩き出した。


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