一章
一
歴代巫女の皇都での住まいは南のはずれ、護法山の麓にひっそりと建つ。
東大陸の王国様式が増えた最近にしては珍しく、純
下屋敷に囲まれる形で、巫女の住む御殿が塀と堀で完全に隔離されている。
その御殿の広い内庭に、十五歳の成人にもならない少女たちが集められていた。
五人もの少女たちが集められていたら姦しくなりそうなものだが、無駄口どころか身じろぎ一つすることはない。
異様なのは佇まいだけではなく、少女でありながら裁着袴を着て、腰には小太刀を差している。
軍人である衛士になることが出来ない女が、山祇国で帯刀していることはほとんどない。
「遅いねぇ」
少女のうちの一人が、隣の少女に潜めた声で言った。
黒髪黒目の単一民族である山祇国のなかでは、殊更に異彩を放つ少女だった。
色素の薄い柔らかな茶色の髪と、大きな緑の瞳が、どこか猫を思わせる。
「
声をかけられた少女の方は、典型的な山祇の民の見た目をしている。
しかし、その美しさは見目の整った少女たちのなかでも、群を抜いていた。
癖のない艶やかな黒髪をうなじの上でまとめ、年の割に鋭い切れ長の目。将来の美しさの萌芽をすでに感じさせる。
彼女が腰に帯びる小太刀と同じ、刃金の美しさだった。
「
凜と呼ばれた少女は、視線を感じて口を噤む。
視線はこの場で、ただ一人の大人から向けられていた。
少女たちを引率するように立つ、美しい女。
年のころは二十代とも、三十代とも見える、どこか中性的な容姿。凜をそのまま大人にしたような、刃の美しさであった。
「長に気付かれちゃった」
自分にだけ見えるように舌を出した由羅に、凜は密かにため息をついた。
ここに集められているのは、里の同世代の中でも選り抜かれたものたちだ。
けしてふるまいが従順とは言い難い由羅がこの場にいるのも、その剣の腕が傑出しているからだった。
どんなに折り目正しくふるまおうとも、剣の腕が伴わないものは里では価値がない。
やがて屋敷の中から微かな物音が聞こえ、内庭に面した襖が中から開いた。
女が膝をつくのに倣って、少女たちも膝をつき、首を垂れる。
襖の奥の座敷には、座布団の上にただ一人、少女が座っていた。
庭に集う少女たちと同年代の、可憐な姫君だった。
緩やかに波打った濡れ羽色の髪に包まれた花の顔。年端もいかないとは思えない柔和な笑み。
白の小袖の上に、花模様の薄桃色の打掛を羽織った姿が、けして着物に着られていない。
そして、なによりも目を引くのが琥珀の金瞳。
星痕と呼ばれる、巫女の証。
「巫女様。剣の里の長、
「華陽様、遠路ご足労をおかけしました。どうか、顔をお上げください」
容姿に相応しい鈴の音の声は、さして大きくもないのによく通った。。
辿々しさなど欠片もない、人の前に立つことを自然とするものの声。
「その方々が?」
「はい。巫女様の守り手候補でございます」
顔を上げて言いながら、華陽は首を垂れたままの少女たちを示す。
その言葉で、少女たちはようやく顔を上げる。
そして、巫女の眩さに揃って言葉を失って目を奪われた。
しかし、凜と由羅の二人だけは、巫女を見ていなかった。
まともに巫女を見なかったがために、人の心を奪うような引力に囚われることもなかった。
何を見ているわけでもない。どこにも焦点の合わない目で、しかしその意識は開いた襖の影に向かっている。
二人の手が小太刀の柄に伸びていた。
「やめなさい。二人とも」
華陽の声が、二人の動きを制した。
「巫女様も、お戯れはおやめください」
「申し訳ございません。大変、失礼なことをしました」
巫女は素直に頭を下げて、静かに立ち上がった。
襖の裏に身振りで指示を出すと、帯刀した羅紗の軍服を着た衛士が二人、左右から姿を見せて、そのまま奥に下がっていく。
それには構わず、踏み石に置かれた草履を履いて、庭に降りてくる。
そして、凜と由羅の前で膝をつく。
「この二方が、華陽様のご推薦ですか」
「ご慧眼、恐れ入ります。同世代では卓越した技量をもつものたちです。他のものは、違いを見ていただくために連れてきました。こんなに早く、その機会が訪れるとは思いませんでしたが」
華陽の言葉に、二人を除く少女たちは顔を伏せる。
態度に出すわけにはいかないことは心得ていても、剣の道に生きるものとしては、内心で屈辱に身を震わせていた。
「あの二人は、南朱州の防人から西白大公が引き抜いた斥候の
巫女の言葉に、少女たちはますます身を縮こまらせた。
その様子に悲し気に眉を下げてから、巫女は凜と由羅の二人に向き直る。
「貴女たち二人のどちらかに、私の守り手になっていただきます」
巫女は言いながら、少女たちの手を左右それぞれの手に取った。
ぞわりと、凜の背筋が粟立った。巫女の金瞳が揺らめき、その煌めきに惹きこまれ、心が囚われるような感覚をおぼえる。
「守り手は私の命を預ける人です。その絆は家族よりも深いもの。お二人には、まず私と仲良くなっていただきたいと思います」
手を取ったまま、巫女が微笑みかける。
「はい。巫女様と仲良くなれるなんて嬉しいです」
「いえ。巫女様は主となられる方ですので節度を守らせていただきます」
由羅と凜の言葉は、重なるようで重ならなかった。
奔放なはずの由羅の顔が、一瞬だけ引きつった。隣にいる少女の度を越した生真面目さに呆れてしまう。
「これ、凜。巫女様に失礼ではないか」
華陽ですら、面食らって諫める言葉に戸惑いが混じる。
しかし、巫女は少し驚いた顔をした後で、上品に口をおさえて笑いはじめた。
「凜様とおっしゃるのね。面白い方」
愉快そうな巫女とは反対に、凜の表情は緩まない。どころか、一層の仏頂面になった。
何を面白いことがあるだろうか。
守り手は巫女の友人ではない。必要なのは信頼であって、親しさではない。
そもそも今をときめく夕月大公の一人娘であり、この国ただ一人の尊き人である巫女と、剣しか能のない親も知らぬ孤児が、仲良くなどなれるはずがないではないかと凜は思う。
先ほど見せた他のものたちへの哀れみも不快だった。
本人は優しさのつもりなのかもしれないが、それならそもそも試すようなことをしなければ良い。
結局のところ高きところに座す方に、下々の心など分かるはずもない。
だが、それは別に構わないと凜は思う。
主人としては、けして悪い人間ではないとも感じる。ただ、お互いの立場の違いを心得ておいて貰いたくて言っただけだった。
そういうところが頭が固いと言われる所以なのは分かっていたが、どうせ先々には明確にしなければいけないことなのだから、最初から分かっておいてもらった方が良いではないか。
凜は口を一文字に引き結んだまま、真っ直ぐに巫女の目を見た。
巫女の笑いが、静かに引いていく。
「それは、私の守り手にはなりたくないという意味でしょうか」
抑えていても、巫女の声には年相応の稚気が滲んでいた。
人の話しを聞いていないのだろうか、と凜は巫女の評価を一段下げる。
「いえ。主となられる方、と申し上げましたが」
「ですが、仲良くはしてくださらないと?」
「はい。主人と従者の節度は守るべきだと思います」
しばらく、巫女は言葉を失ったように、黙って凜の顔を見つめた。
「凜。いい加減にしなさい」
「はい。申し訳ありません。言葉が過ぎました」
再度の華陽の諫めに、凜はあっさりと頭を下げ、そのまま目を伏せる。
自分の言葉には従わないのに、と巫女は頬を膨らませた。
「…決めました。どちらに守り手になっていただくかはともかく、凜様とは絶対に仲良くなってもらいますから」
そう言って、巫女は凜の手を握る力を強めた。
その様子に、由羅がかすかに眉を顰める。
「巫女様の御心のままに」
言うべきことは言ったと、凜は拘泥せずに従う。
それが、従者の節度と言うものだろう。
ただ、握られたまま離さない手の、剣など持ったこともないであろう滑らかな柔らかさと、温かさだけが、微かに心にさざなみを立てていた。
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