第48話 12月24日【有馬姫架 視点】



 ――空になった皿。綺麗な模様が縁に入ったアンティークのようなそれは、おそらく結構な値段の一品だ。


 このレストランは、数年前に高級レストランとして有名だった。けれど、より多くの人に食事をしてもらいたいとオーナーの意向で大幅な値下げをし、今の価格帯となった。


 それでも結構な値は張るけども。


 この皿やレストラン内に置いてある備品の数々はその名残りだと、そう愛衣ちゃんが言っていた。


「ごちそう様、妹。美味しかったよ」

「......い、いえ、こちらこそ、付き合ってもらって」


 ここを出たら、私は。


 ワイングラスに残る水。壁面を伝う水滴が私の汗のように、するりと落ちる。


 カウントダウンのような心音。


 終わりを刻まれているようで、頭が白に潰れる。


 ――カラン、カランと。店を出る時の音すらも、終わりの気配を纏う。


(......なんだろう、この感じ......ど、どこかで)


 段差を一つ降り、顔をあげた時。周囲の光景に場違い感を感じてしまう。


 あたりは恋人らしき人たちばかり。仲良さそうに、楽しそうに会話しながら歩いている。

 それを見ると、あれほどはげしく鳴っていた心臓が大人しくなる。熱がさめていく。


 私とお兄さんは、私とお兄さんだ。


 冷静になれば、そう。兄妹で......決してここにいる人たちみたいな恋人ではない。


 さっきの食事中も感じていた、違和感。


 お兄さんとの会話に感じる、加星さんの影。私は、お兄さんの目に映ってない......ただの妹で、食事はお礼。そう割り切っている。


(......あれ)


 お兄さんの顔を見ると、いつもの優しい微笑みだった。


「行こっか」

「......はい」


 促され、私は歩き出す。直ぐ側にいるのに、遠い感じがする。


 そうか、恋人ではない。でも、多分......お兄さんは加星さんのことを。

 なら、仕方ないのかな。両想いなら、仕方ないのかも。


 最初から、私のはいる隙は無かったんだ。


 ......まあ、今日それを知れただけでも、良かったよね。


 これ以上しつこくしたら、お兄さんの迷惑になったろうし。もしかしたら加星さんにも嫌われちゃってたかも。


 ――♪♫


『――諦める理由はたくさんあった』


 聞き覚えのある声が耳に届いた。ふと顔を上げると、ビルの上。大きなモニターで歌うキララちゃんが映っていた。


『ほら、星に願いを懸けて、暗い空を翔けよう――』


 ソロの3Dライブ。そうだ、今日はクリスマスライブの日。


『――燃え尽きたって良い。あの流れ星のように、一筋の光を刻もう。君の心に、いつまでも残るように』


 ......燃え尽きても、いい。


「......どうした、妹」


 足を止めていると、お兄さんは心配そうに戻ってきた。


 偶然か運命か、意図せず立ちどまったこの場所は、私が想いを告げようと予定していた場所。


「うお、可愛い」「女のほう、アイドルみてーだな」「男うらやましー」と声が聞こえ、男の人達が横を通り過ぎる。


 人通りの多いこの場所で、いつまでも立ち尽くしているわけにはいかない。


「......ッ、あ......」


 こ、言葉。声が......。


 不思議そうにこちらを見ているお兄さん。やがて、にこっと微笑み、私がなにか言い出すのを待っていてくれている。


 ――少しの、勇気。キララちゃんのように、私は。


 そうだ。お邪魔虫でも、なんでも良い。


 お兄さんを他の誰かに取られてしまうことが、一番......嫌だ。


 例え、暗い星の海に燃え尽き、消えてしまっても。


「どうした、妹」


 お兄さんは優しく聞いてくる。多分、私の喋るきっかけを作ってくれたんだと思う。


「......あ、う。え......えっと、その......え、えっと」


「落ち着いて。ゆっくりでいいぞ」


 私はこくりと頷く。両手を胸元で重ね、ふう、と深呼吸をする。

 伝える、伝える......私のこの想い。


「......VTuber......モリちゃんの登録者数が、昨日で2万人になりました......!」


「おお!凄いな!まだ始めて3ヶ月なのに!頑張ったな!おめでとう!!」


 まるで自分のことのように、喜んでくれるお兄さん。思わず私の頬が緩む。


「ありがとう、ございます......えっと、あの......お兄さんのおかげです......」


「いや、それは妹の努力の成果だ。ずっとみてきたからわかるよ。頑張ってたもんな......本当に、おめでとう」


 やっぱりお兄さんに褒められると、温かくなる。幸せな気持ちで満たされる。


「でも、お兄さんが......」


「ん?」


「お兄さんが私にVTuberをすすめてくれたから......お兄さんがいなかったらわたしは、こうして憧れていたVTuberになることなんて無かったです......」


 たくさんの事をしてくれた。こんな根暗で陰キャな私の為に、たくさん。


「......いや。俺はただの切っ掛けでしかないからな。妹が頑張ったからこそ、人気が出てきて今の人気があるんだよ」



 ......む、うう〜.....。



「......でも、でも......!お兄さんのおかげなんです......!私がこうして、ちゃんと......まだ、お兄さんとだけですが......まともに会話できるようになったのだって!」


 や、やばい。泣きそう。


「.....こんな、私に居場所を作ってくれた......」


 その時、頭に柔らく温かい感触がした。......お兄さんが私の頭を撫でてくれている。


「......お兄さんですよね、私の......モリちゃんのチャンネルを宣伝してくれたの......」


「......何の話だ?」


「......雑談配信の切り抜きやshort動画をあげてくれてるの、お兄さんですよね......」


「え?」


「すみません、この間.....お部屋が開きっぱなしだったので......PCがみえてしまって」


 お兄さんは時々、部屋を開けっぱにする癖がある。その理由はお父さんから聞いた。


 お母さんが倒れた時、お兄さんは部屋に籠もって絵を描いていてそれに気が付かなかったらしい。


 それからは部屋を締め切るのが怖くなってしまったみたいで......今はそれも少し治まってきたみたいだけど、時々癖が出てしまうみたいだ。


「いや、すまん.....いつかは言わないととは思っていたんだ。勝手な真似して悪かった」


「......こんな事前にもありましたね」


「え?......あ」


 私は首を横に振る。


「......私は感謝してるんです。お兄さんがそうして宣伝してくれたから、今の私があるんですから......」


 ひとつひとつ、おそらく私の目に見えないところでも、お兄さんは色々している。


「......ほんとに、ありがとうございます......お兄さん」


 お兄さんは微笑み頷いた。ふと、横のクリスマスツリーにデザインされた街路樹に視線を向けた。


 そして、ぽつり「妹、帰ろうか」と呟いた。


「......!」


「風邪をひいたら不味いんじゃないか。学校休んで変に目立ちたくないだろ」


「......は、はい」


 お兄さんがふたたび歩き出そうと、背を向けた。


 だ、ダメ!ここで、ちゃんと......!


 思わず握りしめたお兄さんの手。


「......どうした?」


 あ、あー、えっと......えっと、なにか......なにか。


「い、妹......じゃなくって、ひっ、ひ」

「え、ひ?......なに?」


「ひっ、ひっ.......ふーっ」

「いやラマーズ法!?」


 ラマーズ法!?出産しないが!?


「え、あっ、ちが......」


 私はぎゅっと目をつむり、言葉を絞り出す。


「......ひ、姫架って呼んでくださいっ......」


「!」


 心臓がッ......ば、爆発しりゅ!!


 顔が見れない!怖い、怖い、怖い!!


「うん、わかった。これからは名前で呼ぶよ、姫架」


「......!!」


 名前を、お兄さんが......わた、私の名前を!!


 う、う、うーっ、嬉しいぃい〜〜〜!!


「......それじゃ、帰ろうか。姫架」


 第一関門をクリア。けれど本命はまだ、これから.....!

 この勢いに乗って、一気に突っ切ってみせる!!


 そう、流れ星のように!


「お、お兄さん!」

「おお?どした......!?」


 ......い、い、行くぞ!落ち着け、冷静に......!


「あの、その......わた、わた、たわし」

「たわし!?」


 たわしッ!!ばか!!


「いえ、私!!」


 はっ、はっ、はっ、と過呼吸気味に息が苦しい。くらくらしてる顔が熱い。で、でも!


「......な、なに?」


 私はお兄さんの手を強く握る。想いが通じますように、と祈りを込めて。


「......私、お兄さん.....のことが、す、す、好きです」



 ――い、い、言ったあああーーーー!!言えたよ!舞花ちゃん!!任務達成したよおおおーーー!!


 でも、お兄さんの顔が見れないよ!!


 ドッドッドッドとまるで重機のような音が頭の中で響いている。私の頭の中で工事が始まったか、と思うくらいうるさい。


 そんな感じで軽くパニックになっていると、お兄さんが息を吸う音が微かに聞こえた。


(......あ、へ、返事がくる......!)


「うん、ありがとう。俺も妹......じゃないや、姫架の事好きだぞ」


 わ、わーーー!!やったあ!!好きだって!!私のこと好きって、今!!




「......ん?」


 ふと我に返る私。好きの一言が嬉しくて脳死で喜んでしまった。けれど、重要なのはこの好きがどういう好きか。

 もう、ここまで来たんだし、直接聞いてしまおう。


 舞花ちゃんも多分そこまでしたら褒めてくれるはず。


 私はキョトンとしているお兄さんに聞いた。


「......そ、それって......どういう好き、ですか......」


「えっ......どういうって、家族として?」


 一気に魂が持ってかれた。天国から地獄へとはこの事か。いや、知ってたしわかってることだったけど......はっきり言われるのは、実際結構キツイ。

 ......そりゃ、そうだよ。妹だもん。


「ひ、姫架......?」



 ――すぐ隣を一組の学生のカップルが通る。楽しそうに腕を組み笑い合っていた。私はその二人を目で追ってしまう。


 私も、お兄さんと......ああやって。


 ――そうだ。


「......勇気.....ださなきゃ。そう、少しの、勇気......」


 先月、お兄さんがお祝いにプレゼントしてくれたマフラー......首に巻くそれをぎゅうと握りしめ、想いを込めた。


「......え?うおおっと!?」


 ――ぼふっ、っとお兄さんの懐に飛び込む。彼は私の体を受け止めてくれた。温かい。心地良い、匂い。


「だ、大丈夫か......姫――」


 ――言葉だけじゃ、伝わらない。そう思った。


 近くに顔があって、「あ、今なら届く」と思って......それで、私は。


(欲しい、お兄さんが......欲しい。誰にも、渡さない)


 唇を重ねて、しまった。


 ――始めてのキス。


 白い、小さな雪が薄くあけた目に映る。



「......え......あ、え」



 ......頭が真っ白になる。すぐに離れた唇は、熱を持ち、吐息を白く染める。


 あ然としているお兄さん。......これは、どうなんだろう。私の頭がやけにクリアだ。

 もう、限界を越えて回転してる気がする。緊張がぶっとんでる......。


 はっ......ここで、たたみ掛ける!?攻め時なのでは!?


「......私は、私は......人として、欠けてるところだらけです......だから、一人だとバランスをとれずに倒れてしまいます......えっと、その」


 真っ直ぐ、お兄さんの目を見る。私の中の迷いが消えている。

 後のことなんて考えない......だって、ここまできたらもう考えても遅い。


「よければ......お兄さんに、私の欠けている部分を埋めて支えてほしいんです。......あの日、ずっと私の側に居てくれるって言いましたよね?」


 ――いけ、私......!


「私は、お兄さん......いいえ。敬護さんがいないと、生きていけません」


 ――彼の中に、私を刻め!


「ずっと一緒にいてください。好きです、敬護さん」



 僅かに、敬護さんの瞳が揺らぐ。そして......今度は、ちゃんと「私」を視ていた。




「姫架......悪い、俺は」




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