第39話 シリウス【有馬姫架 視点】


 ――10月28日。クロノーツライブ、スタジオ。18:48。もうすぐライブが始まる。


 学校の教室くらいの広い部屋。私達は黒いタイツのような姿でスタンバイしている。


(......なんだろう、お笑い芸人さんになったような気持ちだ。なんとなく)


 光学式トラッキングシステムというものを使っているらしく、詳しくは知らないけど......私の今身につけているこのダイバーの着るスーツみたいなのと、体の色んなところに付けてる黒いボールが高価なものらしい。


 始めてここでこれを着てから気になっていた。これ、お小遣い貯めて買えば家でも3Dライブできるんじゃないかって。


 だから前に調べてみた。


 そしたら、周囲にあるカメラも必要らしく、それ1台で100万とかするらしい。ていうか、専用スタジオをつくらなければ満足に使うこともできないようで......そうなれば1000万くらいのお金がかかるみたい。PCで検索しながらびっくりして吐きそうになった。


 ......って、そ、そんな話はどうでも良いんだけど。


 とにかく、もうすぐ......ライブが始まるんだ。


(......指先が、震えてる)


 心臓の鼓動が早い。





 ――二日前。


 学校からの帰り道。私、蓮くん、舞花ちゃん、愛衣ちゃんの4人で歩く。


(......ラストチャンス......)


 今度のライブ......皆にも見に来て欲しい。でも、私、VTuberなんだ、とは言えない。


 だって、また変なやつだと思われたら......居場所を失うかもしれないから。


 けど、私は見て欲しかった。あの場所でなら、自分の気持ちをちゃんと伝えられると思ったから。


(......もうすぐ、家についちゃう......)


 その時、ふと思った。でも......どうなんだろうか、と。だって、急にそんな話しされて、ライブを観てもらったとして、皆はどう感じるんだろう?


 こいつ、調子にのってるな?VTuberなんてオタク趣味、中3になって恥ずかしいやつ?......やっぱり気持ち悪い。変なやつ、そう思われるのかな。


 お母さんも止めてた。普通にしてと。VTuberは知っているけど、他の人と違うことをすれば相応の目で見られる。

 失敗すれば笑い者。成功すれば嫉妬。どの道、普通ではいられなくなる。


(あ......だめだ、怖い......)


 家についてしまった。


「じゃあな、姫架!また明日」「明日ね、姫架!」「......またね」


 3人が手を振り帰っていく。私も手を振り、その背を見送った。一人ホッとした自分がいる。


 家に入るのに鞄から私は鍵を取り出した。


「......」


 キララちゃんのキーホルダー。お兄さんにつけてもらった、それが目に入る。

 彼女の笑顔はいつも星のように輝いている。


「......私、このままで良いのかな......」


 ポツリと口に出た言葉。このキララちゃんは笑顔のまま答えてはくれない。でも――


『――想いが心に広がるような、気持ちの伝わる素敵な歌声』


 ――......そう言ってくれた。


 伝わる、のかな。私の歌で、この「ありがとう」の気持ちは。......いや、伝わるはずだ。だって、多分......キララちゃんがそう言ってくれたから。


 玄関の扉を鍵であけ、中へと入る。そして扉をしめ、座り込む。靴も脱がずに、メール画面を開き、宛先を設定した。蓮、舞花、愛衣の名前。


『突然でごめんなさい。今週の土曜日、良ければ19時にこの下に載せてあるYooTubeチャンネルをみてください。伝えたい事があります』


 ......私のチャンネルのURLを付けて、文面が完成。やはりVTuberだと言うことは怖くて書けない。まあ、チャンネルの動画やライブのアーカイブを見られればバレるんだけど。......あ。そうか、これ送ったらどの道バレるんだ。


 あ、あれ、そう思うと.......また怖くなってきたんだけども。


 ......送信のボタンを押せない。ゆ、指が震える......また心臓がはげしく脈を打ち始めた。や、ヤバい.......押せない。怖い、怖すぎる。VTuberバレするけどバレたくない!言いたいけど言いたくない!!


「はあ、はあ、はあ......ッ!!」


 呼吸が粗くなる。触れそうで、触れられない送信の文字。


「お帰り、妹。何してんだ?」


 ――その声に振り返ると、そこにはお兄さんが立っていた。手にはボウルとヘラ。何かを混ぜ合わせているようだった。


「......た、ただいまです......」

「?」


 不思議そうな顔をするお兄さん。それもそのはず、今の今まで私は己と戦っていたのだ。ただならぬ雰囲気を出しているに違いない。


「......あ、て、手伝います......」

「お、ありがとう。それじゃ着替えてきてくれ」

「は、はい」


 メールの件は後だな。だってお兄さんのお手伝いしなきゃだし。そう後回しにしようと携帯の画面に目を戻すと、何故かメールは送信されていた。......は?(は?)


 ぷるぷると携帯を握る手が震える。おそらく、お兄さんに呼ばれ振り向いた時に偶然送信ボタンにを触れてしまったのだろう。


 ボー然とする私。けれど、これでもう後戻りが出来ないのだと覚悟が決まった。いや、嘘だ。脚が震えている。


(......へ、返事も来ない......いや、来てほしくはないけど!反応怖すぎるし!!でも、返事こないの怖い!!)


 心と体がバラバラになりそうになりながらも私はお兄さんのお手伝いをするべく、ふらふらと二階へ歩みを進める。


 すると、私の部屋にお母さんがいた。


「......お帰り、姫架」

「た、ただいま」


 ジッとこちらを見るお母さん。妙に重苦しい雰囲気に、話があることを私は察する。そして、その話というのも。


「あなた、この家に来た時のこと......忘れてはないでしょうね」

「......」


「あの人と別れたのは、あなたが傷ついて辛い目に合わないように。それは、わかっているわよね」


 真剣な面持ちと、重みのある言葉。


「......うん」


 それは、私の事を今までを知っているからこそ。


「なら、お母さんの言いたいことわかるわよね?VTuberはやめなさい。たくさん傷つく事になるわ」


 誹謗中傷。おそらくお母さんはVTuberの事を調べ、その上で言っている。私には向いていないと。心の弱い私だから、お母さんは心配なんだろう。


「他に何かあるでしょう。趣味であれば別の何かが。あまり時間を使わないものでなければ駄目。なぜなら、あなたはもっともっと勉強をがんばって良い学校に――」


「......無い、よ......」


 つい、口をついて出た一言。お母さんもそう返されるとは思っていなかったようで、目を丸くしていた。


 だが、その返答に後悔はない。......それが私の本心だからだ。


 私はお母さんの目を見る。


 怖くて逸らしたくなる。


 でも、今、ここで逸らしては駄目だ。


 私の真剣を伝えるんだ。


 すぅ、と息を吸い込む。そして、吐き出すように出たのは震えた言葉。


「......わ、私はもう、VTuberなの。だから、他は無い......」


 がんばってひねり出した私の言葉。しかし――


「駄目よ。お母さんの言うことが聞けないの?」


 先程よりもより強い口調。思わず体が強張る。息がつまり、言葉を口にしようにもできない。

 お母さんも真剣なんだ。だから止める。私のことを心配する気持ちがわかる。


「......お願い、姫架。お母さんを困らせないで」


 泣きそうな表情で懇願するお母さん。私の心がゆらゆらと揺らぎだす。

 たくさん苦労をかけてきた。迷惑も。色んなことからも守ってくれた、そんなお母さんを私は困らせている。


 罪悪感に体が重くなり、自然と俯いてしまう。


 私は......。


 ......その時、手に持っていたそれが目に入った。家の鍵に付けてあるキララのキーホルダー。


『キララは少しの勇気で踏み出して輝き始めたんだよ』


 思い出されるあの日の記憶と言葉。


 ――少しの、勇気。


(......そうだ。お母さんは私のことが、心配なんだ)


 なら、心配ないって思ってもらえればいい。簡単じゃないけど、それが私にできるただ一つのこと。


 ――VTuberとしての、私をみてもらう。


 私は真っ直ぐ、しっかりとお母さんの目を見た。お母さんは少し驚いた様子で目を丸くする。


(......い、言う......少しの、勇気......)


 言葉が詰まる。けれど、少しの勇気という言葉を思い浮かべた時、お兄さんの顔が思い浮かんだ。


 ......私、やれる。


 その瞬間、驚くほど気持ちが穏やかになるのを感じ、言葉が出た。


「.......一度だけ、私の配信をみて.....」


 その言葉を聞いたお母さんの表情は険しくなっていく。


「あなたの、VTuberの配信を?」

「うん」


「みたからと言って、どうにかなる問題じゃないわよ」

「......うん、それでも良いから......」


 それでもいい。少しの希望がある。お母さんはただただ、私を心配しているだけなんだ。なら、ちゃんと頑張れるところを見せられれば......心を動かせられれば、認めてくれるかもしれない。


 そんな僅かな希望があるなら。私はそれに懸けたい。


「......はあ、わからない子ね。わかった。それで諦められるなら、良いわ。いつなの?」

「......こ、今週の土曜日......」


「そう。わかったわ。お父さんとみるわね」


 お母さんが私の横を通り、部屋を出た。私は振り返らずに気持ちを伝える。


「......ありがとう」




 ――19:00



 ライブ、開始。


 画面に映る待機用のイラストが暗転。私達、4人が映し出された。しかし――


『お、始まった』

『初ライブ!』

『いえーい』

『?、モリちゃん喋らんが?』

『3D可愛いな』

『モリちゃーん?』



 リスナーの皆が私を呼ぶ。けれど、怖くて喋れない。本当なら私が曲名を告げて演奏が始まる。


 でも、指が震えてる。声が、出ない。


 ありもしない失敗した時のイメージが脳裏に再生される。


(......頭がくらくらする。脚がふらつく。......私、どうしてライブするんだっけ......こんな怖い思いをしてまで)


 そ、そうだ。私も頑張れるところを、お母さんや友達に見せる......その為のライブだった。

 なら、失敗したら?これが期待外れで、二度とVTuberになれなくなったら......お母さんは「ほら、やっぱり」って失望する。友達には「オタクで痛いやつだなぁ」とか思われて疎遠になるのかな。


 そして、お兄さんには。


 無意識に追った彼の姿。自然と顔へ視線がいく。彼の......表情は――


(......笑ってる)


 微笑み優しくこちらを見ていた。私がいつまでも歌い出さないのを心配するでもなく、焦るでもない。


(......)


 不思議に思っていると、お兄さんは頷いた。その瞬間――


 ドッ、とベースの音が鳴りだした。


『うお!?』

『なんだ』

『ベース一人!?』

『かっけえな』

『これ、スラップっていうんだっけ』

『すげえうまくね!?』

『このモブ、やりおる!!』


 チャット欄が盛り上がる。唐突に始まったお兄さんのベーススラップ。やがて一定のテンポを刻みだし、ふたたびお兄さんはこちらを見て微笑んだ。


 頷く、お兄さん。彼の重々しいベースの音の波が、私の迷いを吹き飛ばす。緊張で鳴っていた心臓が、高揚感に変わり熱く高鳴る。――気がつけば......体の震えが、止まっていた。


 ――翔べ、姫架。


 確かにそう聴こえた。口にした訳でもなく、でもはっきりと。お兄さんの言葉が、私に届く。


(少しの、勇気で......私は)


 彼の想いが、私の胸に......心に熱を入れる。


「――シリウス」


 私は曲名を口にした。


 ――そこに迷いは無い。




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