第36話 ふり絞る



 ――よし、これで......あともう少し。


 PCのモニターに映し出されるのはVTuber陽季子モリ。それの3Dモデルだ。

 ふと時計を見ると、時刻は2時48分。明日は月曜日で学校だからそろそろ寝ないと不味い。


 携帯を開き、メールをふたたび確認。来週の土曜日。午後19時にVTuber専用スタジオの予約が取れた。

 といっても、普通は予約どころか無名VTuberが使えるような場所じゃないんだが、キララが上に掛け合ってくれたお陰で使用許可が降りた。


(ほんと、幼なじみ様々だよな)


 スタジオの使用にあたり、金銭の方はいくら掛かるのかと聞いたところ彼女は『いや、世話になってるからお金は良いよ。要らない』とお断りされてしまった。


 お世話になってるのはお互い様で、昔から持ちつ持たれつの関係だ。だから、こういう時はしっかりと払っておきたいのだが。仕事だし。......まあ、また今度新衣装でも送りつけてやるかな。


 あいつの性格上、金は受け取らんだろうから。


 さて......あとは演奏か。せっかくのVRスタジオだから生演奏をしたいけど。流石に難しいかな。まだ曲も決まってないし、約一週間じゃ練習も出来ない。


 出来ることと出来ない事はしっかり判断してかないとな。それでまともにライブができなかったなんて事になったら本末転倒だし。


 サァーと雨の細やかな音が聞こえる。雷は鳴らなそうで俺は少し安心した。


(そう言えば......少し前に3Dモデルの調整したあのVTuber。バンドでドラムやってるんだったよな)


 個人勢のVTuberでロリ猫系のキャラクター。中の子は小柄でおっとりとした顔の小柄な女性。しかし楽器の演奏に関しては、その見た目からは想像もできないほどパワフルで迫力があった。

 彼女らのライブを初めて観た時に受けたあの驚き。雷にうたれたかのような感動は記憶に新しい。


 あの子、忙しいだろうか。もしも演ってくれるとなれば、一応ドラム、ギター、そしてベース......バンドメンバーが揃う。


(妹のやる曲数によっては......いけるか?)



 ◆◇◆◇



 ――朝。


 しゃこしゃこと、歯磨き中の妹に洗面所で出くわした。「よ。おはよ」と俺が小さく手を上げると、彼女は泡まみれの口のままこくこくと頷いた。

 そして恥ずかしかったのか顔を逸らされる。


「妹......あさイチからあれなんだが。曲、なにするか決まったか?」


 くちゅくちゅ、ぺっ。と口をゆすぎ「はい」と静かに答えた。洗面台、大きな鏡の横の棚へと歯ブラシを戻し、妹が近づいてくる。

 順番待ちをしていた俺は自分のマグカップを取り出す。


「......あとで曲、メールで書いて送りますね」

「ああ、助かる。ありがとう......ちなみに何曲やるんだ?」

「......3曲、くらい......」


 蛇口をひねる。マグカップの底へと流れ込む水を見ながら、俺は考える。

 3曲なら出来る。おそらくは。


(......それくらいなら、ちょうど良いかもしれない)


 大きなスタジオでたったの3曲だけでは一見勿体ないような気がするが、むしろ逆。

 録音した演奏を流すよりも、生バンドでの質の高い生ライブを3曲やったほうが埋もれにくく話題にもなりやすい。


 つーか、VTuber始めて数ヶ月で3Dライブは間違いなく話題になるけど。しかも妹の歌声なら、来場してくれた人の心を惹きつけてリスナーにできる確率は高い。


 これが上手く行けば、確実にチャンネル登録者数は飛躍的に伸びる。

 まあ、いずれにせよライブの出来に左右はされるだろうけど。つまりは妹の力次第か。......ま、出来ると信じてるけどな。


 よっ、と椅子から立ち上がる。


(あれ、出しとかないとな)


 俺はもう開けることは無いと思っていた押入れの扉を開いた。



 ◇◆◇◆



 朝、家を出る時にお兄さんへメールをした。


 今度やる歌配信の曲名。それを3つ書いて送った。


(......少し、寒い)


 歩く通学路。今では前よりは学校へ行きやすくなった。その理由は。


「よ、おはよ!」「はよー!」「おはよう」


 いつものように待っていた蓮くん。舞花ちゃん、愛依ちゃん。私はこくこくと頷き返事する。


 この3人からはひどいイジメをされたことは無かったが......ただ、頻繁にいじられたりしていたので苦手だった。


 それもこれも私が嫌だとか意思表示をちゃんとしなかったからだと思う。ただ、口を開いてもそれがいじめに発展しそうに思えて言葉が出ずにいた。


 ......けど、あの頃の私はそのままでも良いと思っていた。いじめよりは辛くないし、言われるがまましていれば痛くもない。


 でも、そんな時。あの人が現れた。有馬敬護さん。私の最近できたお兄さん。


 敬護さんは、私をそこから救ってくれた。護ってくれた。多分、怖かったと思う。でも来てくれた。

 蓮くん達と話をしてくれて、そして今のように私が過ごしやすくしてくれた。


(......少しの、勇気)


 それ以外にも、たくさん。お兄さんがくれた少しの勇気は私のなかで積もっていく。だから、できる。


「......れ、れん......く、ん」


 震えた声。小さくて、聞き取れなかったかもと彼を見てみると驚いた表情をしているので、聞こえたんだと思った。

 まるで幽霊を見るような反応。まあ、見た目は髪の長い幽霊だけど。


「ま、まいかちゃん」「......あい、ちゃん」


 噛みかけたが、なんとか名前を言い切った。


「お、おお!どうした!?」「ばか、大きな声ださないでよ、蓮!」「どうしたの姫架?」


 私は知ってる。この3人が私をクラスでいじめられないようにしてくれている事を。私の見えないところで、たくさん嫌な思いをしながら、頑張ってくれていることを。


 だから、お礼を言う。少しの勇気。前へ、踏み出すんだ。


「......い、いつも、なかよく......してくれてありがとう。......気のせいじゃなければ」


 仲良くしてくれている。気のせいじゃなければだけど。わからない。もしかしたら仕方なくかもしれない......そこがちょっと自信なくなって付け足してしまった。


「ぷっ、あはは」「気のせいじゃなければって、あんたね」「......」


 蓮くんが大笑いしている。近くを通る犬の散歩中のおじいさんが驚いていた。

 舞花ちゃんは少し呆れているようにジト目でこちらをみている。怖い。

 愛依ちゃんは俯いている。怒らせた......?と、思ったが体がぷるぷると震え、「く、く、ふふっ」と声が漏れてだしていた。あ、笑ってるんだ。


 舞花ちゃんが私を指差し言った。


「姫架、いい?友達は仲良くするもん。気のせいじゃないわよ!」

「......まって、それは違うわ」


 愛依が静止する。


「私たちはまだ友達じゃない。私たちが姫架にしたこと、忘れてるわけじゃないわよね」

「......」


 蓮くんが一歩前へと出た。私は思わず、反射的に一歩下がる。


「......姫架。何度もしつこいだろうけど、改めて謝らせてくれ。今まで、悪かった。姫架の気持ちを考えずにやったこと、許されはしない事だと思う。でも、もしも......姫架が良ければなんだけどさ」


 舞花ちゃんと愛依ちゃんが蓮くんと並ぶ。


「友達になってくれないか」


 手を差し出す3人。真っ直ぐ私を見つめるその瞳には、嘘はない。そう思えた。


 私は、一歩前に出た。


 3人の手に触れ、頷く。


「......と、友達......嬉しい」


 少しの勇気。3人も私にくれた。冷たい風が少しやんだ気がした。





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【あとがき】

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