――絵師の兄は義妹の幸せを描く。

第35話 強さ

　麻衣さんは深く溜息をついた。眉間にしわを寄せ、どこか辛そうに話しだした。

「......別にVTuberが嫌いな訳でも、否定をしているわけでもないの。嫌な気分にさせたていたらごめんなさいね。でもあの子にはできない。普通に生きることもできないのにそんなことできるはずない」

　首を横に振る麻衣さんの口調は静かだが強く、有無を言わせない説得力がある。おそらくは今まで妹をみてきたから、それを踏まえて彼女にはできないと判断しているのだろう。

　彼女を否定する言葉に一切の迷いが無い。

「敬護くんも、わかるでしょ？少しの間二人でくらしてみて、理解したはず。あの子は、普通の子とは違って......だから、普通に生きていくには人よりも努力を重ねなければならないの」

　普通じゃない、か。確かに。

「普通じゃなければ、何もしてはいけないんですか？」

　俺は言ってはいけないことを言った気がした。どれくらいになるのだろうか。この人と、妹がそれに向き合ってきた時間は。

　きっと俺が思うよりも、想像するよりも辛いことがあったはずだ。だから、そんな事言われたくないはずだと思う。逆の立場でもそう思う。

「......足りないでしょう。あの子には、欠けてるモノばかり」

　言わんとしていることはわかる......けど。

「かもしれませんね。けど、どれも埋められるモノばかりだ」

　内向的で人と目を合わせられない。会話ができない。学校に行くときに忘れ物も多いし、話しかけても上の空だったり......妹はどこか生きにくい性格をしている。でも、だからなんだ？

「私が死んだら、誰があの子の欠けた部分を埋めるの。それは、あの子が自分で何とかしていかなきゃいけないの......だから、姫架に遊んでいる暇はないわ」

　麻衣さんが、始めて敵意を向けてくる。言葉に宿る怒気に内心ビビる俺。でも、俺もそうだ......俺も怒っている。

「俺が埋めてやります。......俺が、妹の側にずっと居て、支えてやります」

　ふざけるなよ。確かにあなたは母親で、妹の事を良く知っているんだろうさ。けど、あなたの知らない良いところを俺は星の数ほど知っている。

　妥協ができない、歌への努力と真摯さ。

　前へと進む、弱い心に隠れている強い意志。

　VTuberに憧れ、自分を変えたいと願う必死な想い。

（......それをこの人は知らない。だからそんな事を言えるんだ）

　目をまんまるにして、麻衣さんがきょとんとしていた。その表情に最早怒りの色は無く、固まり動かない。

　隙だらけだ。今のうちに言いたいことを言っておこうか。また怒りだしたら怖くて言えなくなりそうだしな。

「妹は、あなたが思うほど出来ない子じゃない......こんどそれを証明してみせます。それじゃ」

　俺は逃げるようにその場を立ち去る......ていうか実際逃げた。言い逃げである。逃げるが勝ち。

　俺は足早に階段を登る。ばくばくと心臓が鳴る。怖かったぁ、マジで。

　階段の上、そこには驚いた顔をした妹がいた。しまった......聞かれたか？

　心音がさらに高鳴る。あまりの気まずさに、俺は妹の顔を見れなかった。いくらムカついたからとはいえ妹の母親に俺は......あんなこと言って良い訳ないだろ。

「......ごめん」

　俺は妹の顔を見れないまま部屋の扉を開いた。彼女は一言も発することは無く俺を見送った。多分、「あの言い方は無いわー」とか「何様なんだこいつ」とか思っているんじゃないだろうか。

（......ぐっ、そう思うと少しずつ後悔が押し寄せてくる）

　頭に血が登ったとはいえ、俺は何を言っちゃったんだ。子供の事を大切に思っているだけの母親に対して......やっちまったなこれ。明日からどんな顔して顔合わせればいいんだよ。

　椅子に深く座り、窓を眺める。タン、と雨粒が硝子に弾かれた。それを皮切りにザーッと大雨が降り出す。

　......今の俺には心地良い雨音だ。ごちゃごちゃと煩雑な脳内を洗い流してくれるような気がする。

　――ブブ、と携帯が震えた。

　名前を見ると、そこには幼なじみが表示されていた。『次の土曜日なら使えるよ』と、絵文字付きのメール。けれど、もう遅い。なぜなら俺は妹に嫌われてしまったのだから。

　......せっかく予約が取れたけど、断るか。仕方ない。俺がやらかした事なんだし。

（ん？）

　その時、ふと気がつく。もう一通メールが来ている事に。

『ありがとう、お兄さん。私、頑張る。お母さんに認めてもらえるように。私の欠けているところ、埋めて下さい』

　妹だった。やっぱりばっちり聞かれていたらしい。恥ずかしさがこみ上げてくる。けれど、この文面はそんな俺を肯定してくれているようで、昂る心が少し落ち着いてきた。

　ひょっとすると気を遣われただけなのかもしれないけど。でも。

　......お母さんに認めてもらえるように、か。

　これは本心なのだろう。妹はお母さんのことが好きなんだ。だからそこは避けて通れはしない。

　やるきになれば麻衣さんにバレずに配信をすることは出来たはずだ。

　地下に鍵をかけるなり、こっそり配信するなり、手はたくさんある。けれど、妹にその選択肢はなかった。

　大切な人に認めてもらいたい。それだけなんだ。

（妹のメールみたのが断る前で良かったな。あぶねえ）

　俺は妹へとメールを返信する。折れかけた俺の心は彼女の言葉で面白いほど一瞬にして戻っていた。

　そして、書いた文面は。

『わかった。お母さんに認めてもらおう。俺に作戦がある。やるか？』

　あえて何をとは書かなかった。だが――

『やります！』

　――妹の想いは、その為なら何をするのかを知らずとも『やります！』と即答してしまえるレベルに強く募っていた。