人間になりたいな3
竜騎士団の近くにある街は、煉瓦の屋根がカラフルな、まるでイタリアやドイツのような街並みで、見ているだけで目が楽しくなる街景色だった。
歩くたびに石畳が鳴る。靴の音が鳴る。人の声が聞こえる。楽しそうな子供の声が聞こえる。美味しそうな匂いが商店街らしきアーケードの先からただよってくる!
ひょっこりアーケードをのぞけば、薄暗いガラス張りの店通りが続いている。ガラガラと車輪を鳴らして通り過ぎていく馬車。
見るもの全てが目新しくて、私はうろうろとあちこちを歩き回る。
あれもいい、これもいい。
それも楽しそう!
私ってこんなに好奇心旺盛だったっけ? って思わずにはいられないくらい、目移りしてしまう。
商店街のアーケードの奥の奥、細い路地をちらりとのぞけば、そちらにもお店があるのを見つけて、ついつい入り込んでしまう。
食べ物や洋服、アクセサリーに文房具。
ショーウインドウにばかり気を取られて、私は入り組んだ道を進んでしまった。
気がついたときにはもうすっかり、元来た道が分からないくらいで。
「あー……やっちゃった?」
賑やかだった人の声が全然聞こえない。建物が入り組んでいるのか、遠くの音が私のところまで届いてこない。
仕方なく、見覚えのあるものを頼りに元の道に戻ろうとするけど。
「やぁ、君、珍しい髪色してるね? それ地毛?」
「んー?」
不意に声をかけられて、立ち止まる。
振り向けば知らない男の人が三人。一人は人の良さそうな顔をしているけど、他の二人は無愛想で感じが悪い。
「私に話しかけたの?」
「そうだよ。何色って言えばいいのかな……桃のように淡い、綺麗な薄紅の髪色だね。地毛なの?」
「染めてはないよ」
地毛かどうかと言われても、この体自体幻のようなものだから、私に髪の毛って概念はないし。
とはいえ、染めているわけでもないので正直に答えておく。
「ねぇ、君、ちょっと僕たちに付き合わない? そんなに綺麗な髪なら、良い値で売れる場所知っているよ」
「え? 私の髪って売れるの?」
私の髪、かなり短いけど、需要ある??
髪を売るのってあれでしょ? 病気とかで髪が抜けてしまった人のための鬘とかにするんでしょ? 結構な毛量いるから、肩くらいまでしかない私の長さじゃ、不向きだと思うけど……。
「ごめんねー、お兄さんたち。私の髪じゃぁ、売れるほどじゃないと思うんだ」
せっかくのお誘いだけど、お断り。
へらりと手を振れば、人の良さそうなお兄さんが困ったように眉を下げて。
「そうか……なら、残念だよ」
「うん、だから――おっと?」
不意に後ろに気配を感じて横にズレる。
竜の六感って言えばいいのかな? ――生き物の気配には敏感なんだよね。
「どういうつもりかな?」
振り返れば、手枷のようなものと、薬品らしきものを染み込ませた布切れを持つ男がいて。
四人目の男は虚をつかれたように目を見開いた後、私に鋭い視線を向けてきた。
なるほど、なるほど?
「あなた達、人さらい?」
「いえいえ、人聞きの悪い――自分たちはただの仲介人ですよ」
柔和な笑顔の男の人に聞いてみれば、答えと一緒に後ろに控えていた二人の男も私に襲いかかってくる。
なんということ!
「私って、なんていう悪運持ちかな! 街歩きしたら人さらいにあうとか、どういう確率!?」
「人が来る前に捕まえろ! 多少の傷は許す!」
「「「おう!」」」
なんて息ぴったりの人さらいたち!
私は踵を翻して、路地を走る!
「追え!」
「追わなくていいよっ!」
楽しい街歩きは一転!
どうしてこうなっちゃった!?
適当に路地を走り抜ける。
どういう風に走ればいいのか、道がわかんない。
精霊さんにお願いして道案内してもらおうにも、こういうときに限って手助けしてくれる子がいない!
どうしよう、これ、撒きたいのに撒けない……! 人間ってこんなに走るの遅かった!?
私の足のリーチと、大人の男性の足のリーチが全然違う。しかもすっかり竜体生活に馴染んじゃった私じゃ、うまく人間の四肢を動かせなくて、ぎこちない走り方になっちゃって。
あ、と思った時には頭からすっ転んだ。
「いったぁ……!」
「ようやく追いついたぞ! 抑えろ!」
「ちょっ、やめ、触らないで!」
背中から腕を捻り上げられて、手枷のようなものを嵌められてしまう。こんなもの引きちぎってやる! って思ったのに、私の力って非力そのもので。
「嘘でしょ!? こういうときって本体並みの怪力がセオリーじゃないの!?」
「何ごちゃごちゃ言ってやがる! おい、薬! 眠らせるぞ!」
「はぁ!? ちょ、やめ……っ」
一生懸命、身体をよじっていたら、ふっと頭上に影が差す。
まじまじと私を見下ろしているのは、あの人の良さそうな顔をした男だった。
「おや、あなた……少年かと思ったら、女性でしたか」
「きゃっ!?」
「これは、これは……想定より良い値で売れそうです」
何を思ったのか、ぐいっと顎を持ち上げられ、海老反りをさせられたかと思ったら、シャツのボタンを胸の半ばくらいまで外されてしまった!
羞恥と屈辱で顔が真っ赤になる。
前世でもこんなことされたことない。
そりゃ、日本だって絶え間なく危ないニュースが流れるような国だったけど……でも、こんな身近にあるような世界じゃなくて。
初めてこの世界が怖いと思った。
こんな、こんな……!
「離してったら!」
「暴れんな! おい、薬ちゃんとしみこませてんのか!? 全然効かねぇぞ!」
「もごっ! もごご!」
じったばったして少しでも男たちの手から逃れようとする。
暴れに暴れていれば、殴られた。
「っ!」
「くそが、じっとしていやがれ!」
こわい。
なんで。
私、竜じゃん。
人間なんかよりずぅっと強いんだって、アロイスが教えてくれたのに。
今の私は、前世と同じように非力なの?
どうすればいいの? この体は仮初だから、本体に戻ればいいのに、戻り方もわかんない。
精霊たちに助けを求めたら、ようやく答えが返ってくる。
――借り物の身体なんてろくでもないでしょ。
――分霊だもの、あなたのイメージ通りだよ。
――本体に戻るには竜気がなくならないと。
身体から力が抜けた。
精霊たちにハメられたんだと思った。
人間になりたいってうるさい私に、ろくでもないよってことを教えようとしたんだ。
持って生まれた身体を大切にしろって言い続けていた精霊たち。
そっか……私、もう人間じゃない。
そんな現実、分かってたはずなのに。
る、る、る。
喉が鳴る。
夢くらい見たっていいじゃない。
やりたいこと、やり残したこと、いっぱいあったもん。
人間に憧れたっていいじゃない。
だけどこの世界は、私一人で生きるには厳しいらしい。
人間であっても、竜であっても。
寂しいなぁ。
る、る、る。
怖いよぅ。
街がこんなに危ないなんてね。
日本より危険なんだって誰も教えてくれなかった。
まるで気分は外国に来てしまったみたい。
ううん、外国どころか、異世界なんだけど。
る、る、る。
アロイス、助けて。
怖いよ、アロイス。
「なんの音です?」
「この女か?」
「口は塞いでいるが」
「チッ、どうでもいい。さっさとずらかるぞ」
口元を押さえられたまま、私は担がれる。
もう抵抗する気力もなくて、されるがままになっていたら、さらに複数の人の気配を感じて。
「こっち! こっちからルイズの声がした!」
「こんな細い道でか!? んなわけねぇだろ!」
「でもしたんだって!」
この声、アロイスと、ベランジェ?
私の目の前に光が差す。
それはまるで、卵の殻をやぶった時のような。
人が来る気配に気づいた男たちが、慌ててこの場から離れようとするのを、身体をよじって暴れて、邪魔をする。
「くそ! 暴れんな!」
「もごごっ!」
また殴られる、けど。
視界の端に映る、銀色の髪。
アメジストの瞳と視線が合う。
「お前たち、何をしている!」
「たすけて! この人たち、人さらい!」
なんとか口元を押さえる手から逃れて叫べば、アロイスとベランジェの顔色が変わった。
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