成長期です!2(side.アロイス)

 くしゅん、と誰かのくしゃみでふっと意識が上昇した。

 ハッとしてあたりを見渡せば、白桃色の鱗と茜色に染まりつつ空。

 すっかり寝こけてしまったと慌てたアロイスが、ガバっと起き上がれば、それに気づいたルイズのアクアマリンの瞳がきゅるりとアロイスを映す。


「アロイス、おはよー」

「……おはよう?」

「よく寝てたね。おつかれ?」

「疲れてたのかなぁ。……起こしてくれてよかったのに」

「私もお昼寝してたからー」


 クルクルと喉を鳴らして、目を細めて笑うルイズに、アロイスも肩から力を抜いて笑った。


「すっかり寝いっちまったなぁ。日も暮れてるし、竜舎に戻ろう」

「はーい」


 アロイスは地面に落ちていた本を見つけ、しまったと目をしかめる。図書館から借りた本を汚してしまったら弁償ものだ。落ちない汚れがないか用心深く確認しつつ、砂を払って拾う。ルイズの前足に乗っていた本も回収すると、白桃色の鱗がのっそりと動いた。


 その鱗を目で追えば、遠くの方を、夕陽をぼんやりと見つめるルイズの姿を見つけた。

 ルイズはたまに、どこか遠くを見ることがある。

 生まれたばかりの頃は、そうしてどこかぼんやりとした後はよく泣いていて、唯一ルイズで手がかかる瞬間だった。


 お腹が空いているわけでも、眠いわけでも、体調が悪いわけでもない。

 理由の分からないルイズの泣き声に、一年前くらいまではやきもきすることもあったけれど。


「ルイズ?」

「はぁーい」

「何を見てたんだい?」

「んー……なにも」


 ルイズは寂しそうに目元をたれさせるのに、笑顔を作ろうと口の端が上がってる。

 竜なのに人間のように動くその表情に、アロイスはいつも胸が引き絞られたかのように痛んだ。

 今もまた。


「なにか気になるものでも見つけたかい?」

「そういうわけじゃないよ。ちょっと夢見が悪かっただけ。お昼寝ぽかぽかして気持ちよかったのに、最悪だよー」


 はぁあ〜、とまるで人間みたいに愚痴るルイズ。

 すっかりおしゃべりが上手になったルイズは、誰に似たのか、ちょっとのんびりした口調の社交的な竜に成長した。

 今ではすっかり竜の通訳係で、竜からのあれこれを竜騎士に伝えてくれたりしてくれている。

 そんな頑張り屋のルイズのことを、アロイスは誇らしく思っているし、何よりこうして憧れていた自分の竜と気ままにおしゃべりができることが嬉しい。

 だからこそ。


「どんな夢だったんだぃ?」

「たいしたことないよー」

「でも、最悪だったんだろ? 一人で鬱々してるよりも、思いっきり愚痴ったほうが気分がスッキリするかもしれないよ」

「んー……」


 ルイズが前足で頬をかく。

 こういう所作が、他の竜たちに比べて人間っぽいことを、彼女は気づいているのだろうか。

 アロイスがルイズを見上げていれば、ルイズは観念したように、目元をたれさせた。


「昔の夢を見たんだよ」

「昔の?」


 ルイズはまだ生まれて二年だ。

 彼女が昔というのなら、おそらく一年前、生まれた頃の話だろうかと当時のことを思い返していたアロイスは、次の言葉に耳を疑った。


「卵より昔の夢。私が人間だった頃の夢だよ」

「……え?」


 一瞬、聞き間違いか、言い間違いだと思った。

 だけど、諦めたように笑ったルイズが寂しげに夕陽を見るから。


「ユウヤケコヤケデヒガクレテ……」

「それは? 歌?」

「そうだよ。鐘が鳴ったらおうちに帰るの。おうちにはお母さんがいて、私にお帰りなさいって言ってくれて、ちょっとしたらお父さんが帰ってくるの。それだけの夢。それだけなんだけど……私死んじゃって、ご飯の机に、私のご飯がないんだ。私いるのに……そこで死んじゃったの気づくの」


 ルイズの声は淡々としてる。

 この話は本当に夢なのだろうか。

 夢と言うには、ルイズの感情が。


「アロイス……さみしいよぅ……おとうさんと、おかあさんに、会いたいよ……」


 めそめそと、生まれたときのように涙をこぼしていくルイズ。涙をぬぐってやろうにも、大粒の水滴はアロイスの手に余ってしまう。


「……ごめんな。ルイズにも、お父さんとお母さんはいるよな」

「なんでアロイスが謝るの? アロイスは悪くないよ?」

「だって、ルイズは両親に会いたいんだろ? たぶん本を読んだからそういう知識も広がって、里心ついちゃったんじゃないのかい?」


 ルイズはきょとんとした後、ブンブンと首を振った。それから涙をぐしぐしと前足で拭う。


「ううん、違うよ? 里心ついてるけど、竜のお父さんとお母さんには別に会いたいとは思わないかな。だって私、卵だったじゃん。親竜の顔知らないよ。私が会いたいのは、人間のお父さんとお母さん。竜に生まれる前の人たち」


 ここでようやくアロイスは理解した。

 二度目の説明で、ルイズが言い間違えたわけでも、聞き間違えたわけでもないって、気がついた。


「……ルイズは、前世があるのかい?」

「ゼンセ?」

「生まれる前の記憶があるのかってこと」

「あぁ。うん。あるよ。そっか、アロイスには言ってなかったっけ」


 あっけらかんと話すルイズに、アロイスは珍しく渋面になった。

 二年間ずっと一緒にいて、全く気づくことも言われたこともなかった。でもこれで、今までのルイズに感じていた違和感と紐づいた気がした。

 ルイズの異様なまでの学習能力と教養力。

 竜の能力を越えたそれらは、人間だった記憶があってのものだと理解した。

 それと同時に少しだけの不満も感じてしまって。


「僕にはって……誰かに話したのかい?」

「テッド。アロイスが訓練でいないときは暇だから、壁越しにテッドに話しかけてるの。テッドに前に『お前、竜じゃなくて人間っぽい』って言われて、そりゃ元人間だもんって話したんだ」

「あー……そっか」


 相手が竜で、種族は違えど幼なじみの存在なら致し方ない。

 ルイズが今いる竜舎は幼竜専用なので、あと一年もすればルイズもテッドもあそこを出ることになる。それぞれの種族の竜舎に入るから、ルイズがテッド相手におしゃべりができるのも今だけのことだ。

 それでも少しだけ、自分以外と熱心におしゃべりするルイズを想像して、アロイスは面白くなかった。まるで、親しい友人を取られてしまったかのような。こんな子供じみたおかしな感情を自分の相棒に向けるなんて、ちょっと情けない。しかも相手は、自分よりもルイズに近しい種族のテッドで。

 自嘲気味に笑いかけて、ルイズの前だと表情を取り繕った。手に持った、ルイズの読みかけの恋愛小説に目を落として、ふと尋ねてみる。


「ルイズって、前も女の子?」

「よく分かったね? そうだよー」

「まぁ、なんとなく、かな」


 男所帯の中、しかも男手で育てられているにしては、趣味感覚が女性らしく育っているなと思ってはいた。好む本然り、考え方然り。

 ルイズは涙でうるうるしているアクアマリンの瞳を、アロイスに向けた。


「でもね、今はね、寂しいけどね、アロイスが一緒にいてくれるから大丈夫なんだ」


 るるる、と喉を鳴らすルイズ。

 すいっとルイズの頭がアロイスの目線にまで降りてきたから、アロイスはその頬をもう一度撫でてあげた。嬉しそうにルイズが笑う。


「嬉しいこと言ってくれるなぁ」

「本当のことだよ。ルイズはアロイスのこと大好きなんだ」


 さらっと好きだと伝えてくれるルイズに、元気づけるつもりが、逆に自分が元気づけられてしまった気がして、アロイスは破顔した。


「僕もルイズが好きだよ。そっかぁ、ルイズは人間だったのか。ならそうだなぁ……もうちょっと良いもの、今度から持ってきてあげようか」

「いいもの?」

「本ばかりじゃ退屈だろ? 次の休みは盤上遊戯(ボードゲーム)を持ってきてあげる」

「ぼーどげーむ?」

「そう。白と黒の石を、こう、マス目があって、お互いに陣取り合戦してくやつ」

「チェスとかオセロみたいなやつかな……」


 アロイスの知らない言葉を言うルイズ。

 明確な音を持ってるそれは、おそらくルイズの前世の知識なのだろう。


「ルイズの前世はどこの国の人?」

「日本だよ」

「ニホン?」

「んー……この国でも、隣の国でも、どこの国でもない、遠い国? 別の星の国?」

「別の星?」

「説明難しい……言葉わかんない……」


 どうやらルイズの語彙力では足りないらしい。

 まだまだ勉強が必要かも、と唸るルイズに、アロイスは笑った。


「おいおい、また教えて。ルイズのこと、もっと知りたいから」

「……この女たらしぃ」

「ん? ルイズ、どこでそんな言葉を覚えたんだよ」

「さぁ、どこだったかなー?」


 すっとぼけるルイズに、アロイスは仕方ないなと肩をすくめた。


「まぁいいや。竜舎に戻ろう」

「うん。かーえろ、かえろ、おうちにかえろ」


 るるる、とさっきまでの落ち込み気味だった様子はどこへ行ったのか、ご機嫌に鼻歌を歌うルイズに、アロイスもつられて笑う。


 アロイスもルイズも、お互いに胸の奥につかえていたものが取れて、また一つ、心の距離が近づいたような気がした。

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