17:俺はアイジスじゃない





 部屋の中で、スレイヴと名乗る男と皇国兵の異形が戦っているのだが、スレイヴが扉を閉めたが為に、中が一体どう言った様子なのかが一切分からない。

 ただ激しい戦闘音のみが響いた。

 この音の大きさからするに、暫くすれば部屋の床が抜けるのも時間の問題だと思われた。

 なので早急に家を脱出せねば行けないのだが。


「――コル…………コルぅ…………?」


 ただ戸の前で、愛した夫の名を呟く。

 しかしもうその人は居ない。

 突然奪われた。

 信じられないのは当然。

 しかし何故か俺は、そこまで衝撃を受けていない。

 悲しいのは確かだ。

 しかし悲しいだけなのだ。

 つまり俺の中でコルという人間は、心の底では他人であったのだ。とても、家族であるとは思っていなかった。

 家族だと、思えなかった。

 俺の家族は、別に居るのだ。

 鬱陶しいと思っていた親だ。

 しかしこんな俺を、向こうでは唯一愛してくれた人なのだ。

 離れて、その暖かさが理解出来た。

 しかし、ここに来て、ティリムとコルと出会って。

 そしてティリムは、俺がアイジスでない事がバレてしまった。

 しかしコルはそれを知らない。

 それに知っているティリムだって。


 ――俺じゃなく、を愛していたのだ。


 結局俺は、アイジスの皮を被った他人でしか無い。

 そんな他人を心の底から愛せるか。否、心の底より愛せる筈も無し。

 ただそれを知らぬ者からすれば俺はまごう事なきアイジスであり、コルからすれば愛すべき息子なのだ。

 だからこそ気にかけ愛してくれていたのだが。

 それが嫌だった。

 申し訳がなかった。

 コルの望むアイジスはもう亡く、俺はアイジスの皮で自分を欺瞞している。

 ただ偽りの自分をアイジスと勘違いし、心の底から愛してくれている事に、途轍もない罪悪感を感じていた。

 果たして自分が愛されても良いのだろうか、と。

 ずっと悩んでいた。

 ずっと、ずっと、ずっと。


 しかしついさっき、その懸念は消えた。

 コルが、死んだ。

 これで悩む必要も無い。

 罪悪感もない。

 何も隠さずに生きていける。

 今までの懸念が、全て消え去るのだ。


 だが、罪悪感は膨張するばかり。

 人の死を嬉々と捉えるなど、俺に出来る筈もない。

 だが、傷心はしていない。

 結局心のどこかでは、コルは他人であったのだ。

 辛辣だろう。

 薄情だろう。

 人の心が無いと言われても、否定できない。

 だが実際、自分の事を知らない人は、他人と同義になってしまうのである。



 ◇


 

 その点ティリムは、コルの事を知っているし。コルもティリムを深く知っている。

 お互い想い合っていたからこそ、死を嘆く。

 今もこうして、嘆く。


 だが残酷な事に。嘆いている時間は、無いのだ。


「お母様! 早く‼︎」


 茫然自失と立ち尽くすティリムにそう叫ぶ。

 その気持ちも分かるが、今は自分達の命が優先だ。


「早く‼︎」


 必死に呼び掛けるが、反応は無い。

 ずっと、立ち尽くすのみ。


「お母様‼︎」


 あまつさえ、ティリムは歩き出し、現在交戦している部屋のドアノブに手を掛けようとした。


「ティリム‼︎」

「…………ッ!」


 ティリムの手がピクリと震え、その手はドアノブから離れていく。


「………ごめんなさい」


 小さな声で、囁くように。ティリムはそう言った。

 奥では激しい戦闘音が聞こえると言うのに、その小さな声は、辺りが静寂に包まれた時よりも鮮明に聞こえた気がした。

 ……俺も、酷な事を言っていると、理解している。

 それに、俺が特にダメージを受けていない事が、可笑しいのだ。

 だが、相も変わらず、深く知り合わぬ人には、どうしても感情移入出来ない。

 どうしても、深く想えない。

 だからこそ、そんな俺にできるのは、未だ生きているティリムやダイアを守る事。

 コルを喪って。

 そして改めて思ったのだ。

 ダイアを、ティリムを、もっと知らねばならないと。

 コルもを愛した。

 ティリムは、アイジスを想ってくれた。

 ダイアも、アイジスを兄と慕ってくれた。

 その俺に対する想いには、応えなければならない。

 それこそが、愛されると言う事なのだから。

 だからせめて、二人だけは守り通して、もっと二人を知るのだ。

 全人的理解は無理にしろ、せめてここまで育ててくれた恩がティリムにはあるし。

 ダイアは、ずっと側にいて慕ってくれた大事な妹だ。

 どうしても家族と思えずとも。

 それでも返すべき恩が多すぎる。

 それだけは返そう。


 ダイアとティリムを守り通す。

 それが、今俺の為さねばならないことだ。



 ◆



 しかし、未だ領民は、異形襲来を知らない。

 現在、避難訓練の終わり、丁度夕食時。

 それぞれの家で、美味しそうな晩御飯を拵えている頃。


 ロメオ領は、地獄と化す。







 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る