16:偉大なる骸






「――――ッハ……!」


 気付くと、辺りは骸の平野だった。

 鼻をつんざく、血生臭い骸。

 それが幾千も転がるこの、少し前まで戦場だったここ。

 未だに残っている。

 突然力が増し、知性を失い、敵兵の腹を素手で穿ち、そして臓物を握り潰す感覚が。

 何とも気持ちの悪い。おぞましい。

 あのグチャグチャした――――


「ウォェッ…………」


 思わず嘔吐してしまう。


「カハッ……ゴホッゴホッ」


 苦しい……苦しい――――


 もう、胸を張って生きられない。

 あぁ……◼️◼️よ――我が娘よ。

 済まない…………


 ――済まない…………


 しかしその時。

 南へ走り行く一人の兵を、スレイヴは見逃さなかった。

 血にまみれた顔を上げ、その兵を見遣った。


 ――まだ、戦わねばならぬのか。


 見逃すと言う選択肢は当然持ち合わせていないが、しかしまたこの手で人を殺めると言う事実に、また嫌悪し、殺すしか無い無力な自分に、怨嗟した。



 ◆



「ゆっくり、焦らずに!」


 ティリムがそう叫びながら領民を誘導する。

 それに倣い、ダイアも見様見真似で誘導をした。


「ダイアちゃんも偉いねぇ。頑張ってね!」

「は、はいっ!」


 時折町へ顔を出した時にダイアを可愛がってくれたおばあちゃんだ。

 応援され、ダイアも笑顔で誘導を続ける。


「アイジスちゃんも頑張って下さいね!」


 そして何故か俺に対しては敬語なのだ。

 ちゃん呼びなのに。


 ティリム曰く、アイジスが変に大人びているからだ、と。

 敬語を幼い頃から使えたり。

 その練度も大人と大差なく。

 余計に出来た子供だと領民には密かに賞賛され、俺を神童と嘯いていると。

 悪い気はしないが、羞恥が募る。

 やめて欲しいが、俺以外はこれを良しとしているようだ。なら俺に出来ることは無い。


 んで放置した結果。

 一応子供だからちゃん付けで。

 そして何故か。敬語。

 ティリムからはあまり気にするなと言われたが、当然気にする。

 何か……申し訳ない気持ちになるのだ。

 だから是非友達口調で話して欲しいと思うのだが、中々そうはいかず。

 ここまで流れてしまった。

 もっと早くにお願いしておけば……と、今になって悔やんでしまう。

 しかしもうどうしようもないので、何とか気にしないようにするしか無い。

 後悔先に立たずとは言うが……

 それにしても、いずれどうにかしたい案件には変わり無いのだ。



 ◇



 この策だが、当然“訓練”なので、領民の本気度がなのだが。

 尤も有事の避難より冷静に動けるのは確かなのだ。どうもこの策は一長一短であるのだが、若し何かあった際、それまでに避難が完了出来れば良い訳だ。

 何より迅速に。その上有事であると悟られぬ様装う。

 それこそがこの策に於いて最も肝要である。


 ――今の所王都からの連絡は無い。


 最良は王都より「勝利」の吉報が先ず届けられる事だが、果たして。


「アイジス! 戻ってきてくれ‼︎」


 コルが家から大声で俺を呼ぶ。

 領民達がふと領主宅を見上げる。


「……すみません、少し戻りますので。俺が戻って来るまではお母様やダイアの指示に従って下さい」


 そう言い残し、返事を聞く前に領主宅へと走る。

 打ち合わせで決まっていた。

 若し何か王都からの連絡があれば、コルは今いる場所から離れる事は出来ないので、伝達要員一人にコルの下へ行って貰い、その者が後で残った二人に伝達する。と言う手筈だ。

 そしてその伝達要員だが、ダイアは未だ幼く上手く伝達できるか危うい。

 ティリムは避難誘導の要である為、抜けられるのは不味い。

 そしてアイジスならばその年にしては極めて優秀な頭を持っていて、伝達も十分こなせるだろうとコルが見込んだ為、伝達要員は消去法的にも俺に決まった。


 そして俺の名が呼ばれたと言う事は……

 ティリムが、俺の目を見つめる。

 それに対し頷くと、またティリムは避難誘導へと戻った。

 果たして、どんな報せが。



 ◇



「只今!」

「ああ、来てくれたか……!」


 家に戻り、コルの下へ駆けた。


「それでお父様。王都からは何と……?」


 時間も無い為早速本題へ入る。

 ふぅと、コルが深呼吸をする。

 ほんの数秒の沈黙であったが、どうも心の余裕が無いのか、数日もこうしていた様な気がして来る。

 心臓の音が五月蝿い。

 唾を飲む音が鮮明に聞こえた。


 コルが口を開き。

 宣った。







「――此度の戦争。我が国の勝利だ!」







「…………はぁぁぁぁ……」


 安堵のため息が俺の口からこれでもかと言う程に溢れ出た。

 コルは満面の笑みを浮かべている。

 これまで張り詰めていた緊張も、一瞬にして解けた。

 思わず俺は床にへたった。


「取り敢えず、領民に不信感を与えぬ様に、避難訓練は継続し、毎年の様に訓練として終わらせてくれ」

「承知しました」

「うむ。頼んだ」


 そうして俺はコルの下を去る。

 この事をさりげなくティリムにも報告しないといけない為だ。



 ◇


 

 ――よかった。

 もう何も無いだろうし。

 戦争も無事終わったし。

 領民にも恐らく、不信感は抱かれていない。

 万事解決。

 後は避難訓練を無事済ませるだけ。


 ――なのになぜ、落ち着かない?


 ――なのになぜ、落ち着けない?


 安堵感に包まれているのは確か。

 肩の荷が降りたのも確か。

 もう何も懸念するべき事は無い筈なのに。


 胸騒ぎがする。

 頭の中で、先よりも大きく、警鐘が鳴り響いていた。



 ◆


 

「という事で、今年の避難訓練はこれにて終了します! ご協力ありがとうございました。来年もまた行いますので――――」


 ティリムが今回の纏めを行っていた。

 それを軽く聞き流しながら、領民の顔を一つ一つ見回していく。

 ロメオ領から南方の、徒歩数十分の位置。

 程よい木陰もあって、領民を隠蔽するのにはもってこいのこの場所。

 そこから少し離れは広場で、ティリムは話していた。

 広場なので、領民一人一人の顔が良く見える。


 ぱっと見、怪訝そうな顔をしている領民は居ない。

 不信感や不安は、瞬く間に伝染して行く。

 なので一人も不信感を抱いていないであろうこの状況を鑑みるに、今作戦は大成功といういう事だろう。


「お兄様?」


 隣に立っていたダイアが俺を呼んだ。


「そんなにキョロキョロして、どうしたの?」


 領民の顔を見回していたのを不審がったのか。


「何でも無いよ」


 わざわざ言う事でも無いので、隠す。


「それにしても、今日ダイア頑張ったなぁ! 偉いぞ!」


 そう言って俺はダイアの頭を優しく撫でた。


「えへへへ…………」


 ダイアは、子供らしい笑みを浮かべた。

 ――可愛い。可愛過ぎる。

 こんなにも可愛い女の子が我が妹とは。

 いやはや、人生全ての運をここで使ってしまったのでは無いかと思ってしまう程だ。


「アイジス、ダイア! 帰るわよ!」

「「はい!」」


 いつの間にか領民達は帰途につき、この広場には俺とダイアとティリムのみとなっていた。

 避難訓練は無事終了した。

 皇国との戦争も、無事我が国の勝利で集結した。

 何も無くて良かった…………


 そして俺達も、帰途についたのだった。



 ◆



 家へ戻り。

 コルの下へと、階段を上っている時から。

 違和感があった。


 ――静かだった。


 当然外からは領民達の声が聞こえる。

 だが、それすらも気にならない程の、果てしない畏怖を纏った静寂。


 階段の軋む音のみが響いた。

 先頭にティリム。

 次に俺、そしてダイアの順で階段を上っている。


 怖い。

 怖い。

 怖い。

 怖い。


 警鐘がどんどん、どんどんどんどんどんどんどんどんどんと、大きくなっていく。

 心臓の鼓動も早くなる。

 額から冷や汗も流れてきた。


「…………ふぅ……………………」


 誰のものかも分からぬため息が、静寂の中に響いた。



 そして階段を上り終え、コルの居る部屋のドアノブに、ティリムがそっと手を添えた。

 そして、ギィと扉の軋む音と共に、扉は開かれた。


「――――え?」


 扉の直ぐ前で、ティリムが立ち止まった。

 その視線は部屋の中へと向けられている。


 俺もそれに続いて、部屋の中を覗いた。


「――――――ッ⁈」


 なん……で…………?



































 そこにあったのは、腹の抉れた、コルの死体だった。


































「逃げろぉぉ‼︎」


 その時突然、階段下から誰のものかも分からない叫び声が響いた。


「――はっ!」


 その叫びに何とか俺は反応したが、ティリムは茫然自失している。

 ダイアはコルの骸を見ていないので、ただただ混乱していた。

 しかし俺も何が何だか分からない。

 背後の叫びは何だ?

 一体誰が来たのだ?


 その時。


 突然部屋の奥にあったガラス窓に、人影が映った。


「危ない‼︎」


 俺は咄嗟にティリムの手を引いた。

 そのままティリムは体勢を崩し床に倒れ込むが。

 少しでも遅れていれば、ティリムは死んでいた。

 さっきまでティリムのいた所には、腹を抉らんとする勢いで振られた腕があった。

 窓ガラスからその人影の正体が、窓を突き破って来たのである。

 鎧を所々身に纏っているが、どれもこれも血に染まっている。

 外傷が少ない事から、返り血であると推測されるが。

 そしてその鎧には、皇国兵の紋章。

 そしてその目は。


 赫く燃えていた。


「危ないから早く下がって‼︎」


 謎の声の正体が、ティリムと皇国兵の間に割って入った。

 その手には剣が握られている。

 全身に鎧を纏い、その鎧には王国兵である紋章が描かれていた。


「王国兵の、スレイヴ・コルミットだ。ここは私に任せて、早く逃げなさい!」


 その男、スレイヴは。

 そう言い捨て、異形と化した皇国兵と、対峙した。









 

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