09:此処がエデンか





「ん――――やぁ………………〜」


 もがく。

 もがく。

 しかし起き上がることすらままならない。

 何が、何が起きている……?


「あいやぁ………………」


 手を眼前へ持ってくる。

 そこには、十センチメートルも無い太々しい両の手がひらひらと黄金色に輝いている。

 試しに喋ろうとしてみる。


「ぐぅあいぃゃぁゎい」


 ままならない。

 体を起こす。

 しかし中々上手く起こせない。

 体の使い方に、慣れていないようだ。

 体躯も、子供のそれ。

 上手く喋れない。


 要するに。

 要するに!


「やっぁぁぁぁぁぁ!」


 やったぁと叫ぼうとしたがままならない。

 つまり俺は無事、向こうの世界へ来れた訳だ、

 そしてこの体はアイジスという男児のもの。

 未だ一歳だと聞いていたが、その通りだった様。

 俺は運良く、生き残る五割の賭けに勝ったのだ!

 また、新しい人生を歩める。

 しかも此処は、窮屈な地球でも無い。

 もっと自由に生きられる世界。

 何も俺を縛るものは無い。

 好き勝手に生きられる。

 まぁラノベの主人公みたいに主人公出来なくても。

 ラノベの主人公みたいに最強じゃなくても。

 魔法が無くても。

 スキルが無くても。

 好きに生きてやる!



 ◇

 


「うぃぅ」


 今は朝。

 窓の外から朝日が顔を出している。

 それを横目に、俺はベッドを降りる。

 歩き、窓にかかっていたカーテンを開けた。

 勢いよく陽光が目を刺す。

 両眼を腕で覆うが、やがて目が慣れたのか、徐々に腕を下ろし、窓外の景色に目を向けた。


「あゎぁぁ…………」


 そこに広がるのは、地球では見ることの出来ない町。

 恐らくペンキで塗られたのであろう白い壁が燦然と太陽光を跳ね輝煌している。

 その奥に見える田畑の緑と白皚々とした町との調和が実に素晴らしい。

 美しい。

 感嘆し溜め息を吐くが、ただの一歳児がしても格好良くも何も無い。

 しかしそれ程迄に、睥睨した眼下の景色は、言葉に出来ない程に美麗であった。

 そのまま視線を窓の直下へ向けて見る。

 そこには、庭。

 此処は二階。

 よく見ると三階もある。

 庭も、恐らく敷地内……

 もしかして、金持ち?


「ん、ん〜………………」

「ギャヒッ!」


 突然背後より呻き声が…………

 と思って後ろを振り返ると、そこには。


「アイジスちゃんッ‼︎」


 そう言って飛びついてくるその人。

 明るいブロンドの髪を靡かせる、美女。

 スラットしたお腹。

 魅力的な足。

 綺麗な肌。

 そして、実りの良い二つの果実。

 豊満な体つきが何とも艶めかしい。

 しかしその風体は何処か天然で。

 その人が俺の母親なのだと、本能で理解できた。

 飛びつくと言っても、当然本当に飛びついた訳ではない。

 ベッドを降り、そのまま一直線に俺を抱き付きに来ただけだ。


「うぉぅ………………」


 豊満な胸が体に纏わりつく。

 有識者は胸の感触と二の腕の感触が同じと言った。

 有識者は車で時速六十キロ以上出している時に外に手を出し空気を揉むと、恰も胸を揉んでいる様な感触だと言った。

 しかし、本物はそのどれとも異なる、神聖な物なのだ。

 紛い物など、夢を語る童貞の世迷言だ。

 この素晴らしさなど、煩悩の生み出す戯言には分かり得ぬ。

 あぁ、此処がエデンか。

 何と素晴らしい。


「ういぇへ…………」


 元の体でこんな声を出せばただの変態だが、今は幼児。

 ただ呻いているだけにしか聞こえないのだ。

 ニヤけても何の問題も無い。

 何なら自分から触りに行っても…………

 いやぁ何と素晴らしい…………

 本当に素晴らしい。

 思春期男子の夢とは、子供になる事で全てが解決されるのだ。

 素晴らしい、素晴らしい。

 これこそが、生涯童貞を貫かんとしてきた俺への祝福。

 何もかもがし放題。

 だからってウブな俺は特に何も出来ないのかも知れないけど。

 この様な機会をお与え下さったルイア様には尊敬の意を…………


《ほほぅ、僕に対する感謝の意を忘れないとは、殊勝な心掛けだな》

「きぃゃぁ‼︎」

「わぁっ‼︎」


 突然ルイアの声が聞こえた。

 それに対して絶叫すると、それに驚いて母親も吹っ飛んだ。

 床に背中を打ったらしく、痛がっている。

 痛がっている姿もまた…………なんて、そんな酔狂な性癖は残念ながら持ち合わせていないので、今はルイアだ。


「な、ないぃ…………?」


 しかし喋れないので、どうやって返事しようか………


《あ、喋らなくても話そうという意思と話す内容を思い浮かべるだけで会話出来るから》

「あっ…………」


 何だよ……と思い少し赤面する。


《ハハハハハハッ‼︎ フフハ、ハハハハ‼︎》


 俺の様子を見て大笑いするルイアに、心底憤る。

 まぁ良いや、放っておこう。

 ええと、何だっけ?

 話す意思と、話す内容を思い浮かべれば話せるんだっけ。

 話せる内容を思い浮かべるのは当然だとして、話す意思……?


《なぁ、話す意思って何で必要なんだ?》

《おい、敬語を忘れてるぞ》


 あ、あまりにも鬱陶しかったので忘れてた。


《鬱陶しいだと‼︎》

《何で聞こえてんの!》


 さっきは聞こえてなかったのに。


《まぁ良いや、君には僕の実験に付き合ってくれた恩があるしね。それくらい許してあげるよ》


 優しいな。


《さて、さっきの質問だが。君がまだ自我のみだった頃は、僕はその自我の形を見て君の思考を読んだ。此処までは覚えてる?》

《あぁ》

《ほんと敬語使わなくなったね。まぁ良いけど。その後君はアイジスという別人の体に憑依した。それによって、僕は直接君の自我を読み解けなくなってしまった》


 前に言ってたもんね。


《だがこうして念じて会話する為には、僕が君の自我の形を読む必要がある。君と会話する手段がそれしか無いからね〜》

《はぁ》

《だが君の自我は見られない。ならどうするか。部分的に見せてもらう》

《その為に必要なのが、話す意思、と》

《つまりはそういう事さ》


 話す意思とは喩えるなら録音ボタンで、話す内容は台本だ。

 台本だけあってもそれを大衆に届けられないし、台本が無ければ何もできない。

 話す内容台本を作って、話す意思録音ボタンを押す事で初めて届けられる。

 つまりはそういう事だ。


《なら何でさっき聞こえたんだよ?》


 さっきとは、鬱陶しいなと思った時に聞こえてしまっていた時の事だ。

 話す意思は無かった筈だが....


《いや、話す意思があったからだぞ?》

《え?》

《どうせ僕の事を煽ろうとでも思ったのだろ? だから自然と話す意思を持ってしまった》


 そんな事しちゃってたのかよ。

 気を付けないと。


《まぁ僕は聞こえても聞こえなくてもどっちでも良いけど、それが嫌なんだったら早く自我について理解する事だな》


 結局は自我が全てを司っているのだ。

 それを理解すれば自ずと世界を理解出来るのだろう。


《取り敢えず、何かあったらこうやって連絡するから。でも多分君からは多分連絡できないと思うけど》

《え? 出来ないの?》

《自我の理解が進めば他人の自我についても変わる様になるかも知れないから、少なくともそれが出来ないと話にならないね》

《はぁ》


 つまり俺は何も出来ない弱者だ、と。


《いや、意識するだけで異形になれるだけで相当強いとは思うけど》

《でも結局ルイアに対しては何も出来ないんでしょ》

《いつの間にか呼び捨てにされてるし。まぁそうだな。僕に対しては、君は無力だろうな》


 サラッと心を読まれてしまった。

 まだ話す意思のコントロールがイマイチわからない。


《取り敢えず、頑張ってね》

《ちょ、ちょっとま…………》


 こうしてルイアとの会話は切れた。

 いつも勝手だな。

 だが俺の命を救ってくれた恩人なのだから、無碍には出来ないわな。


「それじゃぁアイジス。朝ごはんにしましょうか」

「うぁ!」


 いつの間にか立っていた母親は、そう言ってこの寝室を出た。

 いや、今思ったのだが、俺って母親と添い寝していたのか?

 毎晩毎晩一緒に寝られるのか?

 …………いやぁほんと、ありがとうございます。


《いえいえ》

《帰れ》


 ルイアとの交信を遮断する。

 簡単な話。無視すれば話す意思も無いし、自然とルイアは交信を止めるのだ。

 何と完璧な心理戦。

 無視をして諦めさせるという。

 なんか、嫌な方法だが、仕方ない。


 朝ごはんを求めて、俺も寝室を出た。



 こうして俺は、アイジス・ロメオとして第二の生を謳歌する事となる。





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